クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜



モノラル録音の歴史的意義

カザルス 歴史的には貴重ではあるけれども、それではCDを買ってまでも聞いてみたいのか?と問われれば躊躇ってしまう録音というものが存在します。
世間では、モノラル録音と言うだけで、視野の外に置く人も存在します。

これは考えてみると実にもったいない話であり、さらに言えば、クラシック音楽の演奏史を考える上で、時には致命的な「欠落」を招くこともあります。しかし、それは安直に過去の演奏を褒めそやすことを奨励しているのではありません。

重要なのは過去ではなくて常に現在です。
昔はよかったといって、過去の中に浸り込んで現在と未来に向かって心を閉じてしまうのは愚かなことです。同じように、いかに現在が大切だからといって、過去を「あほの画廊」として切り捨てるのも大きな誤りです。

過去は常に現在を正確に映し出す鏡です。言葉をかえれば、私たちは過去という鏡なくして現在を正しくうつしだすことはできないのです。
歴史の波打ち際にたっている私たちがなすべきことは、水平線の彼方からこの波打ち際まで、水中に没することなくその杭の先端を表している演奏を何本もの線でつないでみることです。そして、そのつないだ線から見えてくるものを語ることこそが大切なのです。

目の前に乱立している「現在の演奏」の中から真に意味のあるものを、好き嫌いという感覚的な話としてではなく、それなりの確固とした理由を明示して選び取ることは、そのような過去の鏡に映し出してこそ可能となります。

派手な広報活動や提灯持ちの評論に惑わされることなく、本当に真摯な姿勢で音楽活動を行っている人々を見出していくためには、その事が絶対に必要なのです。
このサイトがそのような心ある人々の一助となれば幸いです。



最新の更新(10件)

【 2016-09-25追加】・・・ベートーベン:弦楽四重奏曲第2番 ト長調 OP.18-2 「挨拶」


【 2016-09-24追加】・・・ベートーベン:弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 OP.18-1


【 2016-09-16追加】・・・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64


【 2016-09-15追加】・・・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64


【 2016-09-14追加】・・・メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 作品56 「スコットランド」


【 2016-09-06追加】・・・グリンカ:悲愴三重奏曲 ニ短調


【 2016-09-04追加】・・・リムスキー=コルサコフ:ピアノと木管のための五重奏曲 変ロ長調


【 2016-08-06追加】・・・バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV1041


【 2016-08-05追加】・・・レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番ヘ短調(Symphony No.4 in F minor)


【 2016-08-04追加】・・・R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11


フルトヴェングラートスカニーニの歴史的録音を配信します

フルトヴェングラー フルトヴェングラーとトスカニーニは並び立つ両雄ですが、後継者という点では大きな違いがあります。
即物主義という、時には大きな誤解を生みがちなトスカニーニの方法論は今やスタンダードなものになっています。

まさに世界標準規格です。

それに反して、フルトヴェングラーの芸術を受け継ぐ者は誰もいませんでした。いや、正確に言えば、誰も受け継ぐことができませんでした。

この、受け継ぐ者のいなかった独自性のためか、フルトヴェングラー信奉者の数はトスカニーニの比ではありません。戦後の碩学の一人でもある政治学者丸山真夫のフルトヴェングラー讃はその典型でした。
ただ、こういう風潮を疑問に思う人も少なくないわけで、そのためにいつまでたってもフルトヴェングラーやトスカニーニをめぐる話題は熱く沸騰することになります。

そんな百家争鳴の場に、今さら私ごときがしゃしゃり出て何かを発言する必要もなければ、余地もなく、さらに言えば能力もありません。
しかし、そのような論議に対する資料提供くらいはできるのではないかと思い立ってこのようなサイトを立ち上げました。

既に、フルトヴェングラーやトスカニーニの録音の大部分はパブリックドメインとなっています。その気になれば、ネット上でそれらを公開してあれこれの論議の資料とすることは可能です。
そして、その隙間のほんの一つにでも私なりの思いを伝えることができればと思います。



ワルターの歴史的録音を配信します

ワルター 私たちの手元に残されたワルターの録音を聞き直してみると、彼の音楽は時代によって大きく変化していったことが分かります。

ヨーロッパ時代の特徴を一番よく表しているのは、シューベルトの未完成やハイドンの軍隊でしょう。さらに、マーラーの使徒として現代の音楽も積極的に取り上げていた姿をもっともよく現すものとしては、マーラーの9番があげられます。
それらの演奏は、どれをとっても濃厚なロマン主義に彩られた非常に味の濃い音楽です。

ところが、亡命によってアメリカに移ってからは音楽の姿は一変します。
たとえば、戦時中にニューヨークフィルを振ったベートーベンのエロイカなどは、時には攻撃的とすら感じるほどのたくましさにあふれた音楽となっています。そこには、ヨーロッパ時代の脂粉の香りはかけらもありません。
50年代にニューヨークフィルを振って録音したブラームスの交響曲にもそのようなワルターの姿がはっきりと刻印しています。響きが充実していて、がっしりとした音楽の造形の中から、ブラームスらしいロマンが香ってくる素晴らしい演奏です。

そして、最後にもう一度大きく姿を変えたのが、功成って現役をすでに引退した後にレコード会社から依頼されて取り組んだコロンビア響との録音です。多くの人は、このステレオ録音によってワルターという指揮者に出会いました。
ここでは、ヨーロッパ時代でもない、そしてザッハリヒカイトの洗礼を受けたアメリカ時代でもない、まるで一筆書きのような大らかな音楽を聴くことができます。それを人は、中庸の美と呼び、善人ワルターを代表する円満な音楽として褒め称えて彼の代表的な業績として定着しました。

一つの時代を代表したほどの指揮者の全容をとらえるというのは大変なことです。それがワルターのように大きな変身を繰り返した巨匠であるならばなおさらです。

しかし、幸いなことに、彼の録音のほとんど全てがパブリックドメインとなりました。時代を跨いで活躍したその姿をネットをとして紹介できると時代がきたことは実に幸せなことです。
そして、その事によって、この偉大な指揮者の姿がより陰影の富んだ姿でとらえることができれば、それに勝る喜びはありません。