淀川長治さんの死去に思う

1998年12月1日 更新

?H広からぬ庭を3匹のワン助が今日も元気よく走り回っています。
最初は一匹でした。

ゴールデンレトリーバーの女の子で、2年半前の夏のある日、スイス、パリとまわった2週間の旅行から帰った翌日に、友人から子犬はいらないかとの電話があり、時差ボケでかすむ頭でイエスと答えてしまったために我が家にやってきました。
一時は35キロ近くもあった体重は、ダイエットの甲斐あって、現在は30キロ近くまで減って、美人にいっそうの磨きがかかりました。( 親バカならぬ犬バカと言います。)

その半年後の冬のある日、寒風吹きすさぶ中を捨てられた子犬が歩いていました。
その哀れさは筆舌に尽くしがたく、誰か救いの手をさしのべるやつはいないのかと憤慨していると、「それならあなたが救いの手をさしのべてやったら。一匹も二匹も変わらないでしょう。」なんどとぬかす奴がいて、何故か我が家にやってきました。雑種の女の子ですが、毛並みの美しさはすばらしく、おまけに大変なきれい好きで、最近、その美人ぶりにいっそうの磨きがかかっています。

ただし、「一匹も二匹も変わらないでしょ」と言ったやつは地獄に堕ちるべきで、一匹と二匹は大違いです。この二匹、何故か食後に腹ごなしのためか取っ組み合いを始めるのです。
ソファで新聞などを読んでいると、その上を30キロが飛び越え、ついで20キロが上から降ってくるのです。ウギャーと叫ぶ間もあれ、またもや30キロと20キロが頭の上を越えていくのです。
こんな悲惨は一匹では絶対に起こらないのです。

そして、3匹目です。

木枯らし吹き始めた今年の11月の末、すでに成犬に達している年齢不詳の男の子が、またまたあわれ限りなしという姿で近くの公園に住みついたのです。散歩の度に妻が食事を与えているうちにすっかりなついてしまい、この年の暮れに三匹目の我が家のメンバーになりました。

妻は、「2匹も3匹も一緒よ」と宣っていますが、きっと2匹と3匹は大違いのはずだとつぶやく今日この頃です。

評論家としての理想像、それが淀川長治さんでした

そんな日々を送っているときに、淀川さんが亡くなったという報道に接しました。
痛恨事です。

これで、日本の映画界は最大の理解者と擁護者を失いました。

淀川さんほど映画を愛し、多くの人に映画のすばらしさを語り続けた人はいませんでした。
淀川さんと言えば真っ先に思い浮かぶのが、「ラジオ名画劇場」です。話を聞くだけで、映画一本をみた気分になるといわれた淀川さんの話芸をたっぷりと楽しめました。
今、手元にはその時の話を本にまとめた「私の映画の部屋」がありますが、何度読み返しても飽きないすばらしい本です。

淀川さんの88年の人生は日本の映画の歩みそのものでした。
ですから、どんな映画に対しても好き嫌いのレベルではなく、長い歴史の中でその作品のしめるべき正当なポジションを語れる人でした。

淀川さんはどんな作品も貶さないことで有名な方でしたが、それは人間性にも起因しているのでしょうが、より本質的には、評論家というのは個人の好き嫌いのレベルで評価すべきでないというスタンスがあったのだと思います。
好き嫌いでなく、全体の歴史の中でどのようなポジションをしめるのかを評価できる能力があれば、個人的にはどうしても好きになれなくても、積極的に評価できる側面を見つけだすことは容易です。
そして、本当にすばらしい作品を的確に指摘できる能力にもつながっていました。

淀川さんの勧める映画にはずれはありませんでした。

しかし、これは本当に大変なことです。おそらく公開された作品のほとんどすべてを『同時代体験』(それが制作され封切られた時代の匂いまでをも含めた)をしてきた、淀川さんならではの評論活動だったと思います。
その意味で、淀川さんにとって映画は皮膚感覚とでも言うべきレベルまで内面化されていたんだなと、今更ながらそのすごさを感じさせられます。

お金を出して商品を買う側にとって最高の判断基準は好き嫌いです。評価がどんなに高くても、たとえば、出ている俳優が嫌い、監督が嫌い、暴力シーンが多いのは駄目等々という理由で好きになれない作品はなかなか観る気にはなれないものです。
そして、あまりにも自分の価値判断に固執していると進歩がなくなるのですが、そんな時に、淀川さんのような優れた評論家がいると、こんな頑固者の目も開いてくれて新しい世界へと誘ってくれるのでした。

そういう意味で、淀川さんこそは、日本の映画界にとっては最大の理解者であり、擁護者でした。淀川さんに変わるような評論がいない今、日本の映画界はますます厳しい時代を迎えそうです。

好き嫌いでのレベルでしか語れないクラシック音楽の評論家

翻ってクラシック音楽の世界を眺めてみると、その最大の不幸は淀川さんのような優れた評論家を持たなかったことだと気づかされます。

特にひどいのは、自分にとって好きか嫌いかでしか評価しないような人物が、プロの評論家として活動している事実です。自分にとって好きなものは天まで持ち上げるのに、嫌いとなれば演奏をまともに聴いているのかと、疑問すら感じるような態度で貶しまくる、本当に、傲慢が服を着て歩いているような評論家が存在することに嘆きを禁じ得ません。

はっきり言って、好き嫌いでしか評価できない人物はアマチュアです。
クラシック音楽に対する愛情があればこんな態度はとれるはずがないとないと思うのですが、まさに自分の評価が絶対無二のものだと言わんばかりに貶しまくる態度は、不快感を通り越して恐怖さえ感じます。
そして、彼の評価を頭から信じ込んで追随するグループもあって、彼が贔屓にしている日本の老巨匠(言うまでもなく朝比奈隆)のコンサートには追っかけまででる始末です。

もちろんこれは朝比奈には何の責任もないことですが、真の評論家であるならば、すでに全業績が定まりかけている朝比奈の生涯を俯瞰して、彼の業績の頂点がどこにあったかを明らかにする作業をすべきです。
でてくる新譜を片っ端から誉めまくればいいと言うものではありません。

特に、朝比奈は私たち大阪人にとってはかけがえのない誇りです。
若き時代に、大フィルの定期に足を運んでは、訳のわからんブルックナーの素晴らしさを教えてもらった恩人でもあります。

こういうことを書くのはいささか気が引ける部分もあるのですが、朝比奈に関してはその頂点は70年代後半にあったように思っています。正直言って、最近の彼の演奏は老齢からくる運動神経の衰えとそれに伴う音楽の弛緩を強く感じます。

そして恐れるのは、一部の評論家による評価によって、彼の全業績の中でも決して出来のよくない演奏が代表盤として残ることになれば、早晩彼の演奏は忘れ去られ、真にすばらしい演奏が闇に埋もれてしまうことです。
そんなことになればは悔やんでも悔やみきれないことです。

どうか頼むから、朝比奈とヴァントだけは誉め殺しにしないで、口を噤んでいてくれと祈るような思いです。

評論家とは、レコード会社の営業担当の別名?

次に許せないのはひも付きの評論家です。

毎度繰り返される、有名指揮者による有名曲の再録音にどんな意味があるのか語れる評論家がいるでしょうか。
有名オーケストラが、指揮者をとっかえひっかえして繰り返す有名曲の録音に、何の意味があるのか語れる評論家がいるでしょうか。

誤解のないように付け加えておきますが、有名指揮者が、同じ曲を5回も6回も録音を繰り返すことが悪いと言っているのではありません。有名オーケストラが同じ曲を何回も録音することが無意味だと言っているのではありません。やりたければ何度でもやればいいのです、気の済むまで。
しかし、評論家と名の付く以上、そんな行為に何の意味があるのかを明確に語る義務があるはずです。

前の録音に対して、新たに付け加えるべきものが何かを明確に語るべきです。
そして、付け加えるべきものが殆ど、または全くない場合はその事実をはっきりと語るべきです。
でてくる新譜を片っ端から誉めまくるだけなら、レコード会社の営業担当と何ら代わりがないのです。

その点、欧米の雑誌などを眺めていると、実に小気味のよい評論が読めます。
どんなビッグネームでも、過去の録音と比較してあまり意味のない録音だと判断すれば、あなたのコレクションに新たに付け加える必要がない旨はっきりと明言しています。

この「あなたのコレクションに是非とも追加すべき」または「あなたのコレクションに新たに付け加える必要はない」という表現が大好きです。
なぜなら、そこには評論家の個人的な感情とは別のレベルで、その曲の今までの膨大な録音を念頭に置いた上での自信に満ちた評価を感じるからです。

それにしても、今年はテンシュテット・淀川さんとかけがえのない人物を失いました。冥福を心から祈って合掌。

<2015年3月7日追記>
この頃は随分と「辛口」と言われましたが、今読み返してみても内容的には決して辛口でも何でもありません。ごく当たり前のことをごく真っ当に書いているだけです。
ただし、言い回しがよくありませんでした。
この頃は、「他者に読まれることを前提とした文章」はどのように書くべきかというノウハウがないというよりは、「他者に読まれることを前提とした文章」という発想そのものが存在しませんでした。

その後、サイト管理者としての経験を積み重ねることで「他者に読まれることを前提とした文章」と言うことの重要性を教えてもらいました。そうして身につけたスキルで昔のテイストを損なわない範囲で表現は手直ししています。

私の映画の部屋―淀川長治Radio名画劇場

今でも古本で簡単に入手できるようです。

1 comment for “淀川長治さんの死去に思う

  1. nakamoto
    2015年4月4日 at 6:22 AM

    私は一度だけ、生の淀川長春さんを、見たことがあります。私が高校生の頃、渋谷の今はもう無い、五島プラネタリュウムの入っていた、建物の一角で、サイン会が行われていたところを、お見かけしたのでした。 なんと、氏は私がサイン会の列に並んでいないにも拘らず、私を見てニコーっと微笑んで見つめてくれました。それは、私が当時柔道部に所属していて、丸坊主でいたことが、目を引いたのでしょうか??そこのところはよく分かりませんですが、かなりの至近距離だったので、私の勘違いではないと思います。そういった行いが、表情が、氏の人柄が並大抵の人ではないなと、私は感じたのです。ユング君さんが、淀川氏に対して、良い印象を持っていたことに、あらためてうまく言えませんが、ユング君さんの感性の素晴らしさを再認識させられた次第です。

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