万葉集を読む(11)~山上憶良「惑へる情を反さしむるの歌」(5)

万葉文化館では「万葉集を読む」という講座以外にも色々と面白い取り組みをされています。
現在は「マンガで語る古代大和」という特別展を行っていて、それとの関連で里中満智子さんを招いての特別講演会が7月29日にありました。特別展は当然の事ながら有料ですが、里中満智子さんの講演会は無料でした。

マンガで語る古代大和

また、昨日は「文学におけるジャポニズム」というシンポジウムがあったのですが、それもまた参加費は無料でした。駐車料金も無料なのですから有り難い限りです。

ジャポニズムというのは日本の開国に伴って多くの美術品や工芸品が西洋に流失することで引き起こされた芸術潮流のことです。しかし、「言葉」と言う障壁がある「古典文学」が受容されるのは一筋縄ではいかなかったようです。
しかし、そう言う一筋縄ではいかない仕事を、明治初期において独学で日本語を学んだ人たちが古事記や万葉集、平家物語などの翻訳に挑んでいたというのは驚きでした。

その様に質の高い講座を定期的に提供してくれているこの施設はとっても偉いと思いますし、それをバックで支えている奈良県というのは立派な見識を持ったところだと感心させられます。
私が住まう大阪では「ハシモト文化革命」のおかげで、金儲けにつながらない文化は文化ではないという「焦土」が広がることになったのですから、どうして隣同士でこんなにも違いが生まれるのか残念でなりません。

そう言えば、最近は「奈良判定」なんて言葉が世に広まって奈良の方は忸怩たる思いをされているのではないかと思うのですが、そんな言葉を生み出した元凶も大阪の人間です。
本当に、奈良の人には申し訳ない限りです。

万葉の花 ちさの花(エゴノキの古称)

閑話休題。

憶良というのは儒教や仏教、さらには神道などの思想的背景を持って、当時の万葉人ならば共通認識が持てる「言葉」をセレクトして使っていると言うこと指摘してきました。

「侍養」「脱履」「倍俗」「青雲の上」「塵俗」などなどです。
しかし、そう言うなかにあって、憶良ならではの、つまりは憶良以外の人は殆ど使っていない言葉があると言うことを井上先生は指摘されていました。

それが「妻子(めこ)」という言葉だそうです。

正直言って「妻子」などと言うのは非常にありふれた言葉のように思えるので、それがほぼ憶良の専売特許のような言葉だったというのは軽い驚きでした。
このあたりが、ボンヤリと一首一首を詠んでいるだけの普通の読み手とは異なるところで、井上先生の方で、この「妻子」という言葉を憶良が使っている用例と、憶良以外の人物が使っている用例を引用してくれていました。

ちなみに、憶良が「惑へる情を反さしむるの歌」以外で「妻子(めこ)」という言葉を使っているのは有名な「貧窮(びんぐ)問答歌」と「筑前国の志賀の白水郎の歌十首」の2例だそうです。
そして、憶良以外でこの言葉を使っているのは大伴家持の「史生尾張少咋(をはりのをくひ)に教へ喩す歌一首 并せて短歌」の1例があるだけだそうです。
驚かされるのは家持の長歌のなかで「妻子」という言葉は「父母を 見れば尊(とふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし」という形で使われていて、「あれ、どこかで見たような」という感じなのです。

この歌は地方に出向いた男が奈良の都にある妻のことを忘れて「左夫流児(さふるこ)」という女性にうつつを抜かしていることを諫める歌という形をとっています。
そして、それを諫めるための長歌は、憶良の「惑へる情を反さしむるの歌」のなかで使われている表現スタイルをあちこちで採用しているのです。

つまりは、「妻子」という言葉を使った家持作品は憶良の文学的表現をそっくりそのまま取り入れているのであって、それは家持の憶良に対するリスペクトを表現したものだろうと、井上先生は指摘されていました。
それはもう、指摘されてみれば全くその通りであって、そう言う文学表現に対するオマージュという概念が既にこの時代にあったと言うことに驚かされるのです。

どうやら万葉集から見えてくる古代人の心情というものは、現代に生きている渡したと本質的な部分においてはそれほど大きな違いはないようです。

橡の馴れに衣 ドングリの実で染めた地味な衣

最後に、家持の憶良へのオマージュとも言うべき「史生尾張少咋(をはりのをくひ)に教へ喩す歌一首 并せて短歌」を引用しておきます。

七出(しちしゆつ)の例に云はく
ただ一條を犯さば、即ち合ひ出(いだ)すべし。七出無くして輙(たやす)く棄つる者は、徒(づ)一年半なり」といる。
三不去(さんふきょ)に云はく

なお、七出を犯すとも棄つるべからず。違へる者は杖一百なり。ただ、奸(かん)を犯せると悪疾(あくしつ)とはも棄つることを得(う)といふ。
兩妻の例に云はく
妻有りて更に娶(めと)る者、徒一年なり。女家は杖一百にして之を離てといふ。
詔書(しょうしょ)に云はく
義夫節婦を愍(あはれ)み賜(た)ぶといふ。
謹(つつし)みて案(あん)ずるに、先の件(くだり)の數條は、法を建つる基に、道に化(おもむ)くる源なり。
然らば則ち義夫の道は、情(こころ)の別(べち)なきことに存り、一家は財を同じくす。
豈、舊(ふる)きを忘れ新しきを愛(め)づる志(こころ)有らめや。所以(ゆゑ)に數行の謌を綴(つづ)り作(な)し、舊きを奇(あや)しとの惑(まどひ)を悔(く)いしむ。
其の詞(ことば)に云はく、

これはもう、「惑へる情を反さしむるの歌」の「序」を思わせる文章です。
そして、これに続く長歌が以下の通りです。

大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 云ひ継ぎけらく
父母を 見れば尊(とふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし 現世(うつせみ)の 世の理(ことわり)と かくさまに 云ひけるものを
世の人の 立つる言立(ことた)て
ちさの花 咲ける盛りに はしきよし
その妻(つま)の児と 朝夕に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは 永久(とこしへ)に かくしもあらめや
天地の 神言(かむこと)寄せて 春花の 盛りも安ら 待たしけむ
時の盛りぞなみをりて 嘆かす妹が 何時(いつ)しかも 使(つかひ)の来むと 待たすらむ
心(こころ)寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(まさ)りて
射水川(いづみかは) 流る水沫(みなは)の 寄る辺(へ)並み
左夫流(さふる)その児(こ)に 紐の緒の いつがり合ひて 鳰鳥(にほとり)の ふたり並び居 奈呉の海の 沖を深めて
さと馳せる 君が心の 術(すべ)も術なさ

(佐夫流(さふる)と言ふは、遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり)

反歌三首

青丹(あをに)よし奈良にある妹が高々(たかだか)に待つらむ心(こころ)然(しか)にはあらじか

里人の見る目恥(は)づかし左夫流児(さふるこ)にさどはす君が宮出後風(みやでしりふり)

紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)の馴(な)れに衣(きぬ)になほ及(し)かめやも

どうやら、女に惑へる心をかえさせるほうが、事は容易いようです。
そう言えば、ドラマ「半分青い」で、映画への夢を断ち切れずに離婚を切り出した涼次のことを、「まだ女の方がよかった」と呟く緑子さん演じる叔母さんが印象的でした。

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