万葉集を読む(14)~山上憶良「子らを思(しの)へる歌」(3)

さて、最後の締めくくりとなる「反歌」なのですが、これはもうとても有名です。

銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも

憶良と言えば真っ先に思い浮かぶのがこの歌でしょう。
そして、それは子供というものに対する絶対的な愛を素直に歌い上げたものだと言われてきました。そして、それは「貧窮問答歌」に代表されるような社会派の歌人である憶良のバックボーンを為すものだとも理解されてきたのです。

しかし、この歌は単独で成立しているものではなくて、「序」とそれに続く「長歌」があって、それのまとめとしてこの「反歌」があるのであって、その流れの中で見極めないと誤りを犯すことになります。
さらに言えば、この「子らを思へる歌」自体が「嘉摩郡三部作」の2番目の歌としてのポジションを持っているのですから、その3部作全体の流れに置いてみる必要もあるのです。

福岡県嘉麻市の歌碑

そうすれば、そこには、シンプルに子供への愛を歌い上げたわけではないことが見えてくるのです。

まず、最初に注目したいのは、「長歌」と「反歌」の関係です。
一般的には「反歌」は「長歌」の「まとめ」と言うような働きを持っているのですが、ここでは、その両者の内容が微妙に矛盾していることに気づきます。

「長歌」では、子供への愛情を「何処(いずく)より 来たりしものそ」と疑問を投げかけ、その疑問のゆえに「眼交(まなかい)に もとなかかりて 安眠し寝(な)さぬ」として、いわゆる子供への愛情を絶対化はしていないのです。
それは、子供への強い愛情があることは認めながらも、そんなものがどこからやってくるのかという戸惑いと、その戸惑いがもたらす苦悩を述べているのです。

ですから、子供への絶対的な「愛」を主張する「反歌」は明らかに「長歌」のまとめにはなっていません。
では、どういう関係なのかと言えば、「長歌」で投げかけた疑問や戸惑いに対する憶良の「回答」になっていると読むのが妥当ではないかと思うのです。

つまりは、「長歌」と「短歌」が一つの問答形式を構成しているのです。

そこには、先にも少しふれたように、妻子を棄てて山沢に亡命した、自称倍俗先生のことが念頭にあります。
何故ならば、憶良にはそう言う戸籍から離脱していく農民をもう一度律令体制の中に取り込むという「国司」としての責務があるからです。

すでにふれたことですが、妻や子への「愛」というものは仏教的には執着を生み出す「煩悩」と定義されています。
ですから、そう言う「執着」から逃れて自由になると宣言する自称倍俗先生に対して、子供への愛を説いて帰ってこいと説得するのは仏教的論理から言えば成り立たないのです。

その成り立たない「論理」を力業で成り立たせて結論としているのがこの「反歌」なのです。
それでは、その「力業」とは何でしょうか。

遠賀川河川敷中之島公園内の歌碑

まず、気づくのは冒頭部分の切迫するような力強さが指摘できます。
その切迫感というのは、「銀(しろがね)も」が5音、「金(くがね)も」が4音、「玉(たま)も」が3音という見事な構成がもたらしています。

この「5→4→3」というふうに、「基本動機」を少しずつ短縮して重ねるというのは、ベートーベンが音楽に緊迫感をもたらすために用いた手法と基本的には共通しています。
憶良の場合も、3つのアイテムを「も」で接続することによって「銀(しろかね)も」「金(くがね)も」「玉も」とすることで、その3部分が「基本動機」の変形として意識される事を十分に意識していたはずです。
そして、読み手の側から見れば、それが「基本動機」が短縮して重ねられていると意識される事によって、そこに強い切迫感や緊迫感を感じとってしまうのです。

さらに、この「銀」「金」「玉」を持ち出すことによって、憶良は巧妙な三段論法を成り立たせています。
この「銀」「金」「玉」は仏教で言うところの「七宝」が意識されていることは間違いありません。

この「七宝」とは経典によって微妙にその内容は異なるのですが金や銀、宝玉、シャコ貝、珊瑚、瑪瑙などとされています。
そして、重要なのは、この「七宝」は「人宝」にも劣らぬほど貴重なものだとされていたことです。

岩手のお寺にもこんな歌碑が建っているそうな

ここで言うところの「人宝」というのは「人が宝」などと言うヒューマンな内容ではなくて、釈迦のように悟りを開いた人のことを「人宝」と言ったのです。
ですから、薬師寺縁起などでは「金堂内陣立間、仏壇三間。金銀等七宝を以てこれを荘厳す」などと記されているのですが、それは金堂などを金銀で飾ることは、釈迦のような悟りを開いた人々を招き入れるのと同じような重みを持ったようなのです。

そして、憶良はこの「反歌」において、そう言う「七宝」の上に勝れる宝として「子」を位置づけてしまったのです。
その結果として、「子>七宝=>人宝」という三段論法がこの「反歌」の世界の中では成立してしまっているのです。

つまりは子供というのは釈迦のような悟りを開いた「人宝」にも勝るような得難い存在なのだと言うことを強引に結論づけてしまったわけです。
そして、その無茶な三段論歩を読み手に納得させてしまうのは「5→4→3」というベートーベン的手法によって実現した強迫観念の為せる技なのです。

そう思って、この「反歌」全体を振り返ってみて浮かび上がってくるのは、子供というものに対する絶対的な愛を素直に歌い上げたヒューマニストとしての憶良ではなくて、優れた文学的センスを持った才人としての憶良であり、さらにはその文学センスをフルに活用して国司としての責務を果たそうとする「したたかな官僚」としての憶良なのです。

そして、その様な憶良の姿はこれに続く「嘉摩郡三部作」の締めとも言うべき「世間の住り難きを哀しびたる歌」でさらに明らかになるそうで、次回の講座が楽しみです。

2件のコメント

  1. この誰もが知っている山上憶良の歌が、単に子煩悩な父親の賛歌ではないということ。
    目からウロコとはまさにこのことかと感じ入りました。

    1. この春から万葉文化館の講座に通い始めて、私自身も「万葉集」というものに対する認識が一変しました。もちろん、そこには古代人ならではの心情が歌われていることは間違いないのでしょうが、そこから一歩踏み込んでみると驚くほどに現代的な感覚が溢れているようです。
      つまりは、人間の本質というのは200年近い年月くらいでは大きく変化しないと言うことなのでしょう。

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