万葉集を読む(26)~大伴旅人「日本琴(やまとこと)の歌」(2)

万葉時代の教養人の間で贈り物をするときは、その贈り物に対する「物語」のようなものを付することが多かったようです。旅人もまた、「文選」に収められている「琴賦(きんのふ)」の叙述を踏まえた上で、「遊仙窟」という小説の舞台立てを拝借して物語を作りあげています。
それは、言ってみれば贈る方と贈られる方の「知恵比べ」みたいな趣があって、贈られた方もその「物語」を読み解いて、それに相応しい「礼状」を返さなければいけないわけです。
そして、その二つが見事に呼応することで互いに「さすがだ!」と認め合うことが出来るのです。

そう言う意味では、これは一種の「知的格闘技」と言っていいのかもしれません。

まず始めに、旅人が「贈り物」として「日本琴」を選んだという時点で、贈られた方は「文選」の「琴賦」を思い浮かべることが出来なければいけないようです。
なぜならば、「琴賦」の「序」に次のような記述があるからです。

「衆器の中(うち)、琴徳(きんとく)最も優る」

あらゆる楽器の中で「琴」が最も優れていると述べられているのです。
つまりは、贈り物として楽器を選んだ上は、その中でも最も優れたものを選んだと言うことを仄めかしているのです。

竹林の七賢(中央にいるのが 嵆叔夜)

そして、この竹林の七賢人の中でも主導的な役割をはたしたと言われている「嵆叔夜(嵆康) 」の作と言われる「琴賦」は、そう言う「琴」に関する蘊蓄が詰め込まれているのであって、乙女となった琴が自らの素性を語っていくときにこの「琴賦」からの引用をふんだんに使っているのです。
ですから、その乙女が語ったとされる以下の叙述は「琴賦」に対する知識がなければその意味を正確にとらえることは難しいのです。

「(1)余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(たか)き蠻(みね)に託(つ)け、(2)韓(から)を九陽(くやう)の休(よ)き光に晞(ほ)す
長く烟霞を帶びて山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて鴈木(がんぼく)の間に出入す。
(3)唯(ただ)百年の後に、空しく溝壑(こうかく)に朽ちむことを恐るるのみ
(4)偶(たまため)良匠に遭ひて、散(けず)られて小琴と為る
質の麁(あら)く音の少(とも)しきを顧みず、恒(つね)に君子(うまひと)の左琴(さきん)を希(ねが)ふ」

取りあえず、最初に「現代語訳」を紹介しておきます。
ただし、最初に述べたように、これを文法的に解釈して現代語に訳すだけでは、見えてこない部分が非常に大きいのでその事は注意してください。

[現代語訳]

「私は根を沖遠き島の高き山におろし、幹を太陽の美しい日の光にさらしてきました。
長く雲や霞をまとい、山川の中に心を遊ばせ、遠く風や波を望み見ては、役に立つとも立たぬともなくすごしていたのです。
唯、百年の後に生涯を終えて、空しく谷底に朽ち果てるのだろうかと恐れていました。
ところが、たまたま良き工匠の手にかかり、削られてささやかな琴となりました。
質も悪く、よい音もでない我が身も顧みず、常に立派な方の愛用の琴になりたいと思っています。」

吉原先生によりますと、上で太字にした(1)から(4)の叙述の背景には「琴賦」の叙述が存在しているとのことでした。

(1)余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(たか)き蠻(みね)に託(つ)け→(文選)惟れ椅梧(いご)の生ずる所、峻嶽の崇岡(しゅうかう)に託す。

「遥嶋」とは「対馬」のことなので、「遥嶋の崇き蠻」とは書簡文の最初に記された「對馬の結石山」に対応します。
つまり、乙女に化した琴は、自分は「對馬の結石山」という高い峰に根を張っていましたと述べているのです。そして、この出自は「琴賦」における、「琴の材質となる桐というものは険しい山の高い峰にあるものだ」という記述に対応しているのです。
つまりは、「琴賦」を典拠として乙女は己の出自を誇っているのです。

(2)韓(から)を九陽(くやう)の休(よ)き光に晞(ほ)す。→(文選)日月の休光を吸ふ。&旦(あした)に幹を九陽に唏(かわ)す。

これもまた何とも意味のとりにくい文章です。
「韓」とは木の幹のことで、「九陽」は太陽の光ことですから、「木の幹を太陽のよき光にさらしてきました」と、己の出自の良さを誇っているのです。
そして、そうやって誇る背景には、「琴賦」において、「日月の輝きを吸収する」とか「朝には幹を陽光にさらす」桐の木こそが最も優れたものだと記されているからです。
これもまた、(1)と同じような出自に関する記述です。

(3)唯(ただ)百年の後に、空しく溝壑(こうかく)に朽ちむことを恐るるのみ→(文選)千載を経て持って値を待ち、寂として神跱して永く康し。

ここでの「唯百年の後」というのは「生涯を終えた後」という意も含んでいるようです。つまりは生涯を終えた後に虚しく谷間に朽ち果ててしまうのを恐れると言っているのです。
ところが、この部分に関しては「琴賦」の記述とずれがあります。

「琴賦」では「百年」が「千載」とさらに時間が長くなっていますし、「朽ちむことを恐るるのみ」が「寂として神跱して永く康し」となっています。
つまり、「琴賦」では買い手を待ち続けて1000年を経ても、その桐の木は厳かにそびえていて、いつまでも心は安らかだと述べているのです。

深読みに過ぎるかもしれないのですが、この違いは、一日も早く太宰府から都に帰りたいと願っていた旅人の心情を分かってもらうために意図的に改変したのではないかとも推察されます。

(4)偶(たまため)良匠に遭ひて、散(けず)られて小琴と為る→(文選)乃(すなわ)ち離子をして墨を督(ただ)し、匠石をして斤(おの)を奮(ふる)ひ、・・・(この後琴の制作過程が細かく記述されている)

「琴賦」では桐の木が琴へと仕上げられていく過程を事細かく述べているのですが、旅人は一言「偶良匠に遭ひて、散られて小琴と為る」と簡潔に記すにとどめています。
それは、送り状としての正確を考えれば、この一言で要約した方が相応しいと考えたのでしょう。

ただし、険しい山の上で日月の光を浴びて育った桐の木が、良き匠に見いだされて琴になったという構成は「琴賦」と全く同じなのです。
ですから、乙女に姿を変えた琴が己の出自を語り、それを誇る背景には「琴賦」が存在するのであって、それは決してひとりよがりの自惚れではないのです。

梧桐(青桐)

しかしながら、琴を贈るときのストーリー性を「文選」の「琴賦」だけに頼るというのでは、万葉時代の教養人としてはいささかストレートに過ぎますし、安直だとの誹りもまぬがれません。
贈られた房前にしてみれば、琴の贈り物の背景に「琴賦」を忍ばせているなどと言うことはすぐに察することが出来たでしょうし、それだけで終わってみれば「まあ、そんな程度か」と思ったはずです。そして、旅人という人は「まあそんなものか」で終わるような人でないことも明らかです。

実は、太字にしなかった2行目「長く烟霞を帶びて山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて鴈木(がんぼく)の間に出入す。」には、これに該当する「琴賦」の喜寿は存在しないのです。
と言うことになれば、これは旅人のオリジナル表現なのかと言うことになるのですが、そうすると「鴈木の間に出入す。」というのが全く意味が取れないのです。

「雁と木の間で出入りする」って何なのよ?と言うことになるのです。
と言うことになると、この意味不明の言葉の背景には「琴賦」とは異なる漢籍が存在していると言うことになるのです。(続く)

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