クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ベートーベン:荘厳ミサ曲

トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 ロバート・ショウ合唱団 他 1953年3月30,31&4月2日録音

  1. ベートーベン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス) ニ長調 作品123 「Kyrie(キリエ)」
  2. ベートーベン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス) ニ長調 作品123 「Gloria(グロリア)」
  3. ベートーベン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス) ニ長調 作品123 「Credo(クレド)」
  4. ベートーベン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス) ニ長調 作品123 「Sanctus(サンクトゥス)」
  5. ベートーベン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス) ニ長調 作品123 「Agnus Dei(アニュス・デイ)」


“Von Herzen―Moge es wieder zu Herzen gehen !“

宗教曲というものは本質的に神を賛美する目的で創作され、演奏されるものです。しかし、人々の関心が「神」から「人間」に移り変わるにつれて、宗教曲も表面的には神を讃える形式を保持しながら、その本質は人間性の追求に移り変わっていきます。
荘厳ミサ曲の冒頭に“Von Herzen―Moge es wieder zu Herzen gehen !“「心より出で、――願わくば、再び心に至らんことを!」とベートーベンが記したのは、その様な変化をハッキリと宣言したものです。

バッハはその生涯に200をこえる教会カンタータを残しましたし、モーツァルトもザルツブルグ時代を中心として数多くのミサ曲を残しました。しかし、ベートーベンはこの荘厳ミサ曲以外には「ミサ曲ハ長調」しか純粋な宗教曲は残していません。
何故かと言えば、独立した芸術家としてその生涯を全うすることができたベートーベンは、口を糊するための「苦役」と表現するしかないような営みから解放されていたからです。つまり、ベートーベンにとって宗教曲というものは、バッハやモーツァルトのような「宮仕えの苦役」として生み出されたものではなくて、あくまでも自発的な意志によって創作されたものだったがゆえに、その生涯においてごくわずかの作品しか残さなかったと言うことです。

そう言えば、ザルツブルグを飛び出して「苦役」から解放されたモーツァルトも宗教曲をほとんど書いていません。モーツァルトのウィーン時代は10年もあったのに、純粋な宗教曲としては「ハ短調ミサ」・「アヴェ・ヴェルム・コルプス」・「レクイエム」の三曲しか残していません。
しかし悲しいかな、モーツァルトが生きた時代においては、「苦役」からの解放は「人生そのもの」からの解放をもたらしてしまいました。一人の音楽家が貴族の召使いとしての地位から解放されて自由な芸術家として生きていくには、市民社会はあまりにも未成熟でした。

この「荘厳ミサ曲」は私の最大の作品である、とベートーベン自身が書き残しています。
この言葉はこの作品に対するベートーベンの絶対的な自信の表明と解釈されてきましたが、上記のような文脈においてみるとより深い意味にもとれるように思えます。
時代は貴族の社会から市民の社会へ、そして、音楽家も召使いから芸術家へと変容していきます。そう言う時代のターニングポイントにうち立てられた金字塔ととしてこれほど相応しい作品はないのかもしれません。

トスカニーニのお気に入り


トスカニーニはこの作品がよほど気に入っていたのか、コンサートなどでよく取り上げています。そのため録音もたくさん残っていて、1935年・1939年・1940年・1953年のものが存在しているようです。記録などをたどってみると、1935年以前にかなりの回数を取り上げているようです。
オケだけでなく4人のソリストと合唱団を必要とするこのような大規模な作品としては、異例とも言えるほどの偏愛ぶりでしょうか。
そして、そんな数ある録音のかでは最も豪華なメンバーが顔を揃えているのがこの1940年の録音です。一般的には1953年のものが広く市場に出回っていますが、総合点としてはこちらの方が上ではないかと思います。
しかし、録音のクオリティも考えると、やはり基本的にはこの53年盤を選ぶのが一般的かもしれません。

とはいえ、この作品にはクレンペラーによる「絶対的」とも言うべき演奏がありますので、どちらにしても影は薄くなってしまいます。