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スッペ:「詩人と農夫」序曲
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1943年7月18日録音
オペレッタの序曲と言われるのですが、じつは正体不明の音楽です
スッペの作品と言えば、こんな風に書かれるのが一般的です。存命中はウィーンを中心に指揮活動を展開し、100を超えるオペレッタやバレエ音楽を作曲しました。
実はウィーンでオペレッタを作曲した最初の人はこのスッペであって、「ウィーンオペレッタの父」と呼ばれることもあります。しかし、彼の死後、それらの作品のほとんどは忘れ去られ、現在では演奏される機会はほとんどありません。
おそらくは、「詩人と農夫」や「軽騎兵」序曲などで一般によく知られているくらいです。
しかしながら、実際はヨーロッパの劇場ではけっこうしぶとく上演される機会があるようです。気楽な一夜の楽しみとしては十分なクオリティは持っていると言うことなのでしょう。
「軽騎兵」序曲に代表されるように、オーケストラの威力を誇示するにはピッタリの音楽もたくさん書いているので、大衆受けする能力にも溢れていたと言うことです。
そんなスッペの人気曲の一つがこの「詩人と農夫」です。
そして、この作品もまたオペレッタは忘れ去られたものの「序曲」だけは今もコンサートで取り上げられますと言われるのですが、実のところを言えばその正体が実に曖昧なのです。
なぜならば、本体のオペレッタの方は「忘れ去られる」どころか「楽譜」そのものが残っていないのです。
そして、残っているのがこの「序曲」と「ワルツ」だけなので、この作品はオペレッタではなくて「詩人と農夫」という「劇」につけられた付随音楽だったのではないかという人もいます。
ところが、そうだったとしても、その肝心の「詩人と農夫」なる「劇」のストーリーすらも不明なのです。
創作年代を見てみると、彼が本格的にオペレッタを書き始める前の作品なので、今では全く忘れられ散逸してしまった劇作品に対して習作的に音楽をつけたものだったのかもしれません。
全体は6つの部分に分かれた「接続曲」というスタイルをとっているのですが、耳に心地よい魅力的な旋律やオケが豪快になる場面などがふんだんに用意されていて、聞くものの心をとらえる術に長けたスッペの姿がはっきりと刻み込まれています。
真っ向から眉間を真っ二つにたたき割るような演奏
トスカニーニの「スケートをする人(スケーターズ・ワルツ)」を紹介したときに、「純音楽的表現」等という生易しいものではなくてそう言う上品さを突き抜ける「凄み」があると書きました。
それは「ライト・クラシック」等とよばれることのある作品であるにもかかわらず真っ向から挑みかかるような指揮ぶりでした。あれは実にもって凄まじい「スケーターズ・ワルツ」でした。
「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という言葉がありますが、こういう演奏を聞かされると、トスカニーニと言う人は己が取り上げる以上は、その音楽を絶対に「鶏」だとは思っていなかったことがよく分かります。
そして、トスカニーニという人はそう言う「小品」を結構たくさん録音しているにもかかわらず今までほとんど取り上げてこなかったことに気づきました。
考えてみれば、収録時間が5分程度のSP盤の時代にはそう言う小品がサイズ的には最適でした。
レーベルにしても一番の売れ筋だったでしょうから、巨匠と言われる指揮者であっても積極的に取り上げていたのです。しかし、長時間収録が出来る媒体に変わっていく中で、そう言う小品はメインの大作を収録した余白の埋め草のような存在になっていってしまいました。
当然の事ながら、埋め草に全力が投入されるはずもなく、次第に通り一遍のつまらぬ演奏しか生まれなくなっていったのです。
それに対して、かつての巨匠たちは実に個性豊かにそう言う小品を演奏したものだと感心させられます。
そして、雰囲気的にはそう言う小品には一番似つかわしくないようなトスカニーニが一番個性的な表現をしているように感じられるのが面白いところです。
ウェーバーの「舞踏への招待」やスッペの「詩人と農夫、ポンキエルリの「時の踊り」」等は、優雅さよりはは真っ向からその眉間を真っ二つにたたき割るような演奏です。バッハの「G線上のアリア」や羞悪羅臼の「美しく青きドナウ」も強靭なまでのカンタービレが魅力的です。
ただし、「舞踏への招待」のように、録音的には強奏部分ではいささか音が潰れてしまっているものもあるので、そのあたりはいささか残念です。しかし、それもまたトスカニーニらしい迫力のあらわれで、録音スタッフが対応しきれないような凄みのあらわれだったのかもしれません。
人よってはトンでも演奏と言われるかもしれないのですが、それもまた楽しからずやです。