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ウェーバー:舞踏への招待 Op.65
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1951年9月28日録音
原曲はピアノ曲です
以前に、原曲のピアノ曲を紹介したときにこんな事を書いていました。「舞踏への招待と言うとオーケストラ曲じゃなかったの?とお思いになるかもしれません。今日ではそちらの方が有名ですから。
しかし、原曲はこちらの方、つまりピアノ曲だったのです。そして、今ではそちらの方が有名になってしまっているオーケストラ番はベルリオーズによる編曲版です。自分が編曲したものならいざ知らず、他人が勝手に編曲した方のバージョンが有名になると言うのではウェーバーも苦笑いしているかもしれません。」
うーん、これは全くの勘違いでした。
ベルリオーズはウェーバーのことを大変尊敬していたらしいのです。そして、その尊敬の念があったがゆえに、ベルリオーズの尽力で「魔弾の射手」がパリで上演されることになりました。
ところが、当時のパリではオペラにバレエを入れるのが習慣となっていたのですが、「魔弾の射手」にはそのような気の利いたバレエのシーンは存在しません。そこで、ベルリオーズは尊敬すべきウェーバーのオペラがパリで受け入れられるようにと、「魔弾の射手」をオーケストラ用に編曲したというのです。
ですから、「他人が勝手に編曲した」というのは、私の早とちりでした。
原曲にないバレエの場面をそんな形で挿入することにベルリオーズ自身も抵抗があったようですが、出来上がった作品はまるで最初から管弦楽曲だったかのような見事さです。
真っ向から眉間を真っ二つにたたき割るような演奏
トスカニーニの「スケートをする人(スケーターズ・ワルツ)」を紹介したときに、「純音楽的表現」等という生易しいものではなくてそう言う上品さを突き抜ける「凄み」があると書きました。
それは「ライト・クラシック」等とよばれることのある作品であるにもかかわらず、真っ向から挑みかかるような指揮ぶりでした。あれは実にもって凄まじい「スケーターズ・ワルツ」でした。
「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という言葉がありますが、こういう演奏を聞かされると、トスカニーニと言う人は己が取り上げる以上は、その音楽を絶対に「鶏」だとは思っていなかったことがよく分かります。
そして、トスカニーニという人はそう言う「小品」を結構たくさん録音しているにもかかわらず今までほとんど取り上げてこなかったことに気づきました。
考えてみれば、収録時間が5分程度のSP盤の時代にはそう言う小品がサイズ的には最適でした。
レーベルにしても一番の売れ筋だったでしょうから、巨匠と言われる指揮者であっても積極的に取り上げていたのです。しかし、長時間収録が出来る媒体に変わっていく中で、そう言う小品はメインの大作を収録した余白の埋め草のような存在になっていってしまいました。
当然の事ながら、埋め草に全力が投入されるはずもなく、次第に通り一遍のつまらぬ演奏しか生まれなくなっていったのです。
それに対して、かつての巨匠たちは実に個性豊かにそう言う小品を演奏したものだと感心させられます。
そして、雰囲気的にはそう言う小品には一番似つかわしくないようなトスカニーニが一番個性的な表現をしているように感じられるのが面白いところです。
ウェーバーの「舞踏への招待」やスッペの「詩人と農夫、ポンキエルリの「時の踊り」」等は、優雅さよりは真っ向からその眉間を真っ二つにたたき割るような演奏です。バッハの「G線上のアリア」やシュトラウスの「美しく青きドナウ」も強靭なまでのカンタービレが魅力的です。
ただし、「舞踏への招待」のように、録音的には強奏部分ではいささか音が潰れてしまっているものもあるので、そのあたりはいささか残念です。しかし、それもまたトスカニーニらしい迫力のあらわれで、録音スタッフが対応しきれないような凄みのあらわれだったのかもしれません。
人よってはトンでも演奏と言われるかもしれないのですが、それもまた楽しからずやです。