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モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 "Prague" K.504
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1954年12月6日録音
- モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504「第1楽章」
- モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504「第2楽章」
- モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504「第3楽章」
複雑さの極みに成立している音楽
1783年にわずか4日で「リンツ・シンフォニー」を仕上げたモーツァルトはその後3年にもわたってこのジャンルに取り組むことはありませんでした。40年にも満たないモーツァルトの人生において3年というのは決して短い時間ではありません。その様な長いブランクの後に生み出されたのが38番のシンフォニーで、通称「プラハ」と呼ばれる作品です。前作のリンツが単純さのなかの清明さが特徴だとすれば、このプラハはそれとは全く正反対の性格を持っています。
冒頭部分はともに長大な序奏ではじまるところは同じですが、こちらの序奏部はまるで「ドン・ジョバンニ」を連想させるような緊張感に満ちています。そして、その様な暗い緊張感を突き抜けてアレグロの主部がはじまる部分はリンツと相似形ですが、その対照はより見事であり次元の違いを感じさせます。そして、それに続くしなやかな歌に満ちたメロディが胸を打ち、それに続いていくつもの声部が複雑に絡み合いながら展開されていく様はジュピターのフィナーレを思わせるものがあります。
つまり、こちらは複雑さの極みに成り立っている作品でありながら、モーツァルトの天才がその様な複雑さを聞き手に全く感じさせないと言う希有の作品だと言うことです。
第2楽章の素晴らしい歌に満ちた音楽も、最終楽章の胸のすくような音楽も、じっくりと聴いてみると全てこの上もない複雑さの上に成り立っていながら、全くその様な複雑さを感じさせません。プラハでの初演で聴衆が熱狂的にこの作品を受け入れたというのは宜なるかなです。
伝えられた話では、熱狂的な拍手の中から「フィガロから何か一曲を!」の声が挙がったそうです。それにこたえてモーツァルトはピアノに向かい「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を即興で12の変奏曲に仕立てて見せたそうです。もちろん、音楽はその場限りのものとして消えてしまって楽譜は残っていません。チェリが聞けば泣いて喜びそうなエピソードです。
ワルターのベストはニューヨークフィルとのモノラル録音にあり!!
ワルターといえば一昔前はモーツァルト演奏のスタンダードでした。彼が没したあとにはその地位にベームが「就任」したわけなのですが、そのモーツァルト演奏の素地も、ワルターのもとで修行したミュンヘン歌劇場時代に培ったものでした。
それから時は流れ、古楽器による演奏が一世を風靡する中で、モダン楽器による大編成のオケでモーツァルトを演奏するなんてことは時代錯誤も甚だしいと思われるようになってしまいました。
たしかに、ベームによる交響曲全集を聴くと「鈍重」という言葉を否定しきれませんし、ワルター最晩年のコロンビア響との演奏においても事情は同じです。古楽器演奏は必ずしも好きではないユング君ですが、それでもその洗礼を受けてしまった耳には、彼らの演奏はあまりにも反応が鈍いと思わざるをえません。
問題は低声部の強調にあるのだろうと思います。
とりわけワルターは低声部をしっかりと響かせます。その結果として、土台のしっかりとした厚みのある壮麗な響きを実現しています。
しかし、低声部を担当する楽器というのは小回りはききません。そう言う小回りのきかない鈍重な楽器を強調すれば、それはオケ全体の機能性にとっては大きなマイナスとならざるを得ません。これが、セルとクリーブランドのような「鬼の集団」ならばクリアするのでしょうが、その様なやり方はワルターが好むところではありません。
しかし、ワルターが現役として活躍した50年代前半のモノラル録音を聴くと、同じように低声部はしっかりと響かせながらも、決して「鈍重」なモーツァルトとは感じません。オケはモダン楽器の特性をいかした壮麗な響きを保持しながら、ワルターの棒に機敏に反応しているように聞こえます。結果として音楽は「鈍重」になることなく生き生きとした活力に満ちています。
おそらく、ここに「現役」の指揮者として活動している時と、「引退」した指揮者の「昔語り」との違いがあるのでしょう。
ワルターは戦前のSP盤の時代から、最晩年のステレオ録音の時代まで数多くのモーツァルト演奏を録音として残しています。別のところでも書いたことですが、その長い活動の中で演奏スタイルを大きく変えていったのがワルターの特長です。
そして、その長い活動の中の「昔語り」に属する演奏が、ワルターを代表する業績として世間に広く流布して、それでもって彼の評価がされるようになったということは実に不幸なことでした。これは、ニューヨーク時代のモノラル録音のリリースに積極的でなかったSONYの責任が大きいのですが、それもまたコロンビア響とのステレオ録音を売らんがための戦略だったとすれば悲しいことです。
しかし、幸いなことに、ワルターのモノラル録音のほぼすべてがパブリックドメインの仲間入りを果たしました。今後、ネット上で広く流布することを通してワルターへの再評価が進めばこれほど嬉しいことはありません。
なお、モノラル録音の時代にもオケが「コロンビア交響楽団」となっているものがありますが、これは最晩年のステレオ録音のために特別に編成された「コロンビア交響楽団」とは全く別の団体です。
その実態は明確ではありませんが、おそらくはニューヨークフィルのメンバーを主体にしてそこにメトのメンバーが加わった臨時編成のオケだったと思われます。ちなみに、ステレオ録音を担当した「コロンビア交響楽団」の方はロサンジェルスフィルを主体とした50人程度の小規模なオケだったと言われています。