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マーラー:交響曲第4番
ワルター指揮 ニューヨークフィル 1945年5月10日録音
マーラーの間奏曲・・・?
この作品をそのようにいった人がいました。2番・3番と巨大化の方向をたどったマーラーの作品が、ここでその方向性を変えます。ご存じのように、この後に続く5〜7番は声楽を伴わない器楽の3部作と言われるものです。
この第4番はそれらとは違って第4楽章にソプラノの独唱を伴いますが、それは前2作のように、声楽の追加によってよりいっそうの表現の巨大化を求めたものとは明らかに異なります。
牧歌的小景とか天国的な夢想と称されるこの作品の雰囲気をより高めるために、実に細やかな歌となっています。まさに、前期の2,3番と中期の4〜7番をつなぐ「間奏曲」というのはまさにこの作品を言い表すのにはぴったりの表現かもしれません。
しかし、そこはマーラーの事ですから、間奏曲と言っても普通に演奏すれば1時間近い作品ですから、一般的な交響曲のサイズから言えばかなりの大作であることは事実です。
とりわけ、第3楽章の美しいメロディは、ユング君の見るところでは、第3番の最終楽章と並んでマーラーが書いたもっとも美しい音楽の一つだと思います。
マーラーの指示は無視したというワルター
ワルターといえばマーラーの直弟子とも言うべき人です。しかし、マーラーは音楽家としてのワルターの能力は高く評価しながらも、彼が演奏するマーラー作品についてはあまり評価しなかったという話が伝わっています。理由は、マーラー自身がしつこいほどに書き込んだ細かい指示をあまり忠実に守らなかったからだと言うことです。
そんな話をどこかで呼んだような記憶があるのですが、この演奏を聞いてその話をまざまざと思い出してしまいました。
マーラーの音楽は直線で突っ切ればいいようなところを、ああでもない、こうでもないといってグジグジと曲線路をくねくねと進んでいくような音楽です。そして、そう言う曲がりくねったところにはまっすぐに突っ切ってしまわないようにしっかりと標識を立てては細々と指示が書き込んであります。
ところがここでのワルターはそういう細かい指示は一切無視して、迷うことなくまっすぐに突っ切っています。
ここには、ヴィスコンティが「ヴェニスで死す」で描いたグスタフ・アッシェンバッハ(言うまでもなくマーラーをモデルとした音楽家)のグロテスクさは欠片もありません。
堂々と引き締まった、まるで古典派の交響曲のようにすら響きます。
そして、こういう描き方はマーラー自身が想定した音楽とはまったく異なるものであることを了解しながら、このワルターが描き出した世界はユング君にとってはとても魅力的に感じられます。そう言えば、セルもまた無駄な曲線路は整理してしまって、実に引き締まったマーラー像を提示しましたが、それと比べてもより剛直に描ききった演奏だといえます。
アメリカ時代のワルターの特徴を遺憾なく発揮した名演です。
*ちなみに、録音はこれが1945年のものとは信じがたいほどの優秀さです。こういう録音を聞くと、SP盤の音は良かったという古い人の話も十分に納得できるものがあります。