クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18


P:カペル スタインバーグ指揮 ロビンフッド・デル管弦楽団 1950年7月7日録音をダウンロード

  1. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 「第1楽章」
  2. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 「第2楽章」
  3. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 「第3楽章」

芸人ラフマニノフ



第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)

さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。

このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。

また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。

ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。

そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?


カペルの「始めの終わり」



ウィリアム・カペル(William Kapel)といえば、「ホロヴィッツの再来」と呼ばれるような華々しいキャリアと、そのキャリアが飛行機事故によってわずか31歳で断ち切られたことの悲劇性が常について回ります。さらに、その事故の報に接したホロヴィッツが「これで私がナンバーワンだ。」と語ったというエピソードによってその悲劇性はさらに飾り立てられることになります。
しかしながら、同じように若くして、そしてほとんど同時代にこの世を去ったリパッティが今も多くの人の記憶にとどまっているのと比べると、カペルの記憶はずいぶんと薄らいでしまっていることは否めません。そして、今回、あまり多いとはいえない彼の録音をまとめて聞いてみて、その理由が少しはわかったような気がしました。

リパッティは33歳でこの世を去りましたが、すでに彼ならではの世界を築いていました。しかし、カペルはホロヴィッツを意識したのか、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代を脱皮して、心の内面を繊細に表現しようとする新しい世界に足を踏み入れた矢先に人生を断ち切られました。
それは、終わりを意識してピアノに向き合わざるを得なかったリパッティと、そういうことは夢に思わずにピアノに取り組んでいたカペルの違いでしょう。カペルにしてみれば、そんなにも生き急ぐように歩を進める必要などは全く感じていなかったでしょうし、おそらくはじっくりと時間をかけて一つ一つを丹念に確かめながら音楽を熟成させていくつもりだったのでしょう。
そう思えば、真に悲劇的だったのはリパッティではなくカペルの方だったことに気づかされました。

1950年に録音されたラフマニノフのコンチェルト(第2番)やその翌年に録音されたパガニーニ狂詩曲は、意気盛んにピアノを強打するカペルの姿が刻印されています。しかし、同じように刻印されていても、狂詩曲の方ではライナーの指揮するオケの語り口の上手さに引っ張られて、果たしてこのままでいいだろうかと新しいアプローチを考え始めたような姿も垣間見られます。
話はカペルからはずれるのですが、実際、この狂詩曲の録音を聞いて一番感心させられたのはライナーの語り口の上手さです。一つ一つの変奏の特徴その面白さをものの見事に聞き手に伝えてくれるので、まるで千夜一夜物語を楽しんだ王様のように、実におもしろいお話を聞かせてもらたっような満足感が残ります。そんな演奏の中では、カペルのピアノは物語の中の一人の登場人物(重要ではあるが)であるかのようにおさまっています。
ほんとに、恐るべし、フリッツ・ライナーです。

それと比べれば、コンチェルト(第2番)の方はオケもピアノもイケイケどんどんの威勢の良さが前に出ています。ピアノもオケも目一杯に鳴り響いていて、まさにアメリカの脳天気な黄金時代を象徴するような演奏になっています。
そして、もしも、この時点でカペルの人生が断ち切られていれば、おそらく彼の記憶はとうの昔に消え去っていたことでしょう。おそらく、彼が今も記憶の中から消え去らないのはおそらくはこの後のほんの2?3年の変化によるものであることを強く感じました。

そういう意味では、このラフマニノフの録音はカペルの「始めの終わり」を知る上では格好の演奏だといえそうな気がします。

なお、「ロビンフッド・デル管弦楽団」とは聞き慣れないオケですが、これはフィラデルフィア管弦楽団のことです。「ロビンフッド・デル」はフィラデルフィアにある野外音楽コンサート会場で、フィラデルフィア管弦楽団の夏の音楽祭の会場となるので、この名前を時々使ったようです