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ドビュッシー:2つのアラベスク
(P)フェルベール 1955年6月22日録音をダウンロード
ドビュッシーのピアノ作品の概観
フェルベールのおかげでドビュッシーのピアノ曲を少しは楽しく聴けるようになってきました。少なくとも、以前のような「聞いているうちに必ず眠ってしまう」というような拒否感はなくなってきました。そして、これはいつも不思議に思うのですが、そうやって一度拒否感がなくなってしまうと、今まで「眠って」しまっていた演奏もそれなりに面白く聴けるようになってくるのです。
不思議と言えば不思議な人間の感性です。
そして、粗野ってある程度まとまってドビュッシーのピアノ曲を聴いていると、以下のような区分けも何となく納得できます。
ドビュッシーのピアノ強は、その創作年代と発展の過程をもとにすると、以下のように区分されるそうなのです。
- 1880年~1890年:青春時代の作品(「2つのアラベスク」「夢想」など)
- 1890年~1901年:成熟に達する過渡期の作品(「ベルガマスク組曲」「ピアノのために」など)
- 1903年~1907年:成熟期の最初の作品(「版画」「映像」」など)
- 1908年~1909年:一段落して内輪に眼が向けられた作品(「子供の領分」「ハイドン礼賛」など)
- 1909年~1913年:成熟期の次のステップに向かう作品(「前奏曲集」など)
- 1915年~:ドビュッシー音楽の行き着いた姿を示す作品(「練習曲集」)
もちろん、第6期を前にしても「おもちゃ箱」とか「英雄的な子守歌」のようなそれほど重要とは思われない作品は存在します。
しかし、こうして眺めてみると、ドビュッシーのピアノ音楽がどのように成熟していったのかが納得できます。
初期の作品は、例えば「2つのアラベスク」や「ベルガマスク組曲」のように、ドビュッシーらしい響きを持ちながらも、その旋律ラインの美しさが特徴的です。
ですから、ドビュッシーの作品で人気があるのはこの時期の作品に集中しています。
「2つのアラベスク」の第1曲「プレリュード」冒頭の美しいアルペッジ、「ベルガマスク組曲」第3曲「月の光」のロマンティックな情緒は高いポピュラリティを持っています。
司会、これを持ってドビュッシーのピアノ曲を代表させると大きな間違いを引き起こします。
やがて、彼は「版画」において新しい方向性を模索し始めます。
専門的な音楽教育とは無縁だった人なので詳しいことはよく分からないのですが、聞くところによると、ここで初めてドビュッシーは古典的な和声理論ではNGとされていることを導入したらしいです。
具体的には、第1曲の冒頭から嬰ト音と嬰へ音が鳴るらしいのですが、そんな小難しいことは分からなくても、この作品の冒頭部分を聞くだけで、には今までにない響きが存在することは容易に了簡できるはずです。
そう言う意味で、一般的に「印象派」と呼ばれるドビュッシー的な世界はここからスタートします。
そして、この方向性はこれに続く2集の「映像」によってさらに先へと進められます。
そこでは、音楽は機能的な和声から自由となり、旋律や旋律の展開ではなく浮遊する響きによって自然の情景が描かれていきます。そして、ここで用いられた繊細なアルペッジョが絵画の分野における印象派の光と影の世界を連想させるものだったので、この「印象派」という言葉がドビュッシーなどにも用いられたのでしょう。
この新しい「革新的な世界」は娘エマの誕生で一段落します。(子供の領分)
しかし、この親バカ期をくぐり抜けたドビュッシーは最後の段階へと歩を進めていきます。それが、1909年から取り組まれた「前奏曲集」です。
「版画」や「映像」では少なくとも3曲ずつまとめて、さらには「標題」も与えてある種のまとまりを与えようとしていました。
しかし、ここにきて、ドビュッシーは何らかのまとまりを持って作品集とすることを放棄します。ですから、ショパンへのオマージュである「前奏曲集」なのですが、ここではショパンのように24曲で一つのまとまりとなることを拒否しています。
また、今までの作品では必ず与えられていた「標題」もここでは後退して、標題らしきものは曲の終わりに括弧書きで示されるにとどまります。結果として、音楽から叙情的な旋律はますます後退し、それに変わって音色とリズムによって描き出されるヴィジョンこそが重要になっていきます。
そして、最後の「練習曲集」に至ってドビュッシーの挑戦は終わります。
ここでは一つ一つの和声は全体の構成の中で位置づけられて意味を持つのではなく、まさに響きそのものとして存在することで音楽を成り立たせています。
彼はこの作品に「和声の花の下に過酷な技巧をつつみ隠している」と述べています。ドビュッシーが生涯にわたって追求した和声の花、微妙な陰影と精緻な響きがここに咲き誇っています。
「2つのアラベスク」
習作期の作品を除けば、ドビュッシーにとって一番最初のピアノ作品です。
- 第1曲:アンダンティーノ・コン・モート:ロマンティックで優雅な音楽ですが、その中にドビュッシーらしい感性が溢れています。
- 第2曲:アレグレット・スケルツァンド:情緒的な第1曲に対して生き生きとした動きのある作品で、見事な対照をなしています。
茫洋とした響きがクリアに表現されている演奏
「Albert Ferber」は「アルベール・フェルベール」と読むそうです。そんなことを紹介しなければいけないほどに、このピアニストは忘れ去られた存在になっています。
調べてみると、1919年にスイスのルツェルンに生まれ、マルグリット・ロンやヴァルター・ギーゼキングといった名匠に師事し、ラフマニノフの薫陶も受けたピアニスト・・・という紹介がされていました。
そして、ピアニストとして成功してからは活動の本拠をイギリスに据えるのですが、録音活動は「デュクレテ=トムソン」と言うフランスのローカルレーベルで行ったので、フランス風の「アルベール・フェルベール」が定着したようです。
彼はこの「デュクレテ=トムソン」というレーベルでかなり多くの録音活動を行い、特にこのドビュッシーの録音は高く評価されたようです。
しかし、ローカルレーベルの悲しさか、レーベルの消滅とともに彼の録音も忘れ去られてしまったようです。
ただし、中古LP市場ではかなりの高値で取引されているようですから、一部の好事家の間での評価は高かったようです。
そして、最近になって、漸くにしてCDによる復刻がなされ、誰もが簡単に聞けるようになってみると、なるほど、分かっている人には分かっていたんだと納得できる素晴らしい演奏でした。
そして、個人的な感想を言わせてもらえば、どうにもこうにも苦手だったドビュッシーのピアノ作品を、初めて面白く聞かせてもらえることができました。
私が苦手だったのは、あの茫洋としたドビュッシーの響きです。
何を言ってるんだ、それこそがドビュッシーの魅力なんだろう!と言われそうなのですが、まさにそれこそが「嫌い」だったのです。
しかし、このフェルベールのピアノによるドビュッシーには、そう言う茫洋とした雰囲気が希薄です。
おかしな言い方ですが、その茫洋とした響きがクリアに表現されているような気がするのです。ですから、ドビュッシーの音楽にいつも感じるとりとめのなさが姿を消して、どこかにとっかかりを持ちながら聞き続けることができるのです。
そう考えると、これは異端なドビュッシー演奏なのかも知れませんが、これを好きだという人がいて、とんでもない高値で中古LPを購入する人もいるのですから、これはこれで立派なドビュッシーなのでしょう。
なお、「デュクレテ=トムソン」というレーベルはかなりの優秀録音だったようで、50年代中頃のモノラル録音とは信じがたいほどのクリアな音質です。
また、彼のドビュッシー演奏の中ではこの「前奏曲集」が最も高く評価されているようです。しかし、その是非を判断できるほど良いドビュッシーの聞き手ではありません。
しかし、一つだけ言えることは、この「前奏曲集」を最後まで退屈しないで聞き続けられる数少ない演奏であるとことです。その事だけは、責任を持って保障できます。