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フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調
(Vn)ジョコンダ・デ・ヴィート(P)ティート・アプレア 1955年7月18,21~23日録音をダウンロード
- フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調 「第1楽章」
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ヴァイオリンソナタという形式は不思議な形式です。
もとはヴァイオリン助奏付きのピアノソナタと言った方がいいようなスタイルでした。
しかし、ヴァイオリンが楽器としても完成され、さらに演奏者の能力も高まるにつれて、次第に二つの楽器が対等にわたりあえるようになっていきます。
この移り変わりは、モーツァルトの一連のヴァイオリンソナタを聞いていくとよく分かります。
初期の作品はヴァイオリンはおずおずとピアノに寄り添うだけだったのが、後期の作品になると二つの楽器が対等に自己主張をするようになり素晴らしい世界を展開してくれます。
ベートーベンはヴァイオリンが持つ表現力をさらに押し広げ、時にはヴァイオリンがピアノを従えて素晴らしい妙技を展開するようになります。
ヴァイオリンが自己主張する傾向はロマン派になるとさらに押し進められ、ここで聞けるフランクのヴァイオリンソナタはその頂点をなすものの一つです。
それにしても、これほどまでにロマン派らしいヴァイオリンソナタが他にあるでしょうか!まさに、ヴァイオリンという楽器の持つ妖艶な魅力をいかんなく振りまいています。
もともとユング君はこのような室内楽のジャンルはあまりにも渋すぎてどうも苦手でした。
でも、初めてフランクのヴァイオリンソナタを聞いたときは、「室内楽は渋いなんて誰が言ったの?」という感じでたちまち大好きになってしまいました。
誰だったでしょうか、この曲を聞くと、匂い立つような貴婦人が風に吹かれて浜辺に立っている姿がイメージされると言った人がいました。
まさにその通りです。
「どうも私は室内楽は苦手だ!」と言う方がいましたらぜひ一度お聞きください。
そんな先入観なんかは吹っ飛ばしてくれることだけは保証します。
濃厚な演奏
ヌヴーの事を振り返っていて、自分が書いた文章なのに「そうだったんだ!」と気づく事がありました。
「飛行機事故にあったアメリカでの演奏旅行の後にはベートーヴェンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、さらにはエドウィン・フィッシャーとの協演によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲の録音が予定されていたそうです。」
「エドウィン・フィッシャーとの協演によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲の録音が予定されていた」ということは、デ・ヴィートとエドウィン・フィッシャーによる有名な録音は、代打だったのでしょうか?
まさか、と思ってあれこれ調べてみると、ヌヴーに変わりうるヴァイオリニストと言うことで白羽の矢が立ったのがデ・ヴィートだったよう・・・なのです。
なるほど代打だったのか、と思いながら、さらに自分の文章を読み返してみると、そこではデ・ヴィートの非常に抑制のきいた音色と演奏を褒めています。しかし、褒めながら、一つ引っかかることがありました。
それは、そのコンビで1番と3番は録音しながら、何故に2番だけは別のピアニストで録音することになったのか?と言うことです。
「3曲のヴァイオリンソナタは実に優れた演奏ですが、フィッシャーという、これまた優れた色気を身につけたおじいさんのサポートを得た54年録音の1番と3番が出色」なのですから、54年にどうして一気に3曲を録音しなかったのでしょうか?
もちろん、フィッシャーもお年を召していたので、2番の録音を望みながらも果たせなかったのかもしれません。これまた調べてみると、フィッシャーはこのセッション録音の最中に体調を崩し、ロンドンで検査をした結果深刻な病が見つかってチューリッヒに引っ込まざるを得なかった・・・みたいな記述を発見しました。
そう思って、56年に同郷のイタリア人ピアニスト、ティート・アプレアと共演した第2番のソナタをもう一度聞き直してみると、フィッシャーと合わせたときは非常に抑制的だったデ・ヴィートのヴァイオリンがかなり自由に振る舞っていることに気づきました。そして、その雰囲気が、同じ組み合わせで55年に録音されたフランクのソナタでは好ましい方向にあらわれていることに気づきました。
正直言って、ティート・アプレア との組み合わせで穴埋めをしたブラームスの2番のソナタはフィッシャーとの録音と較べれば恣意性は前に出ているような気がしてあまり気に入らなかったのです。そして、それと同じ組み合わせと言うことでフランクのソナタは聴かずじまいだったのですが、何かのきっかけでチェックしてみる必要があって、そして実際に聞いてみると、これがあのデ・ヴィートかと思うほどに抑制のたがが外れて濃厚な演奏を展開して驚かされたのです。そして、その抑制のたがが外れることがブラームスでは裏目に出ていたのが、フランクではものの見事につぼにはまっているのです。
ブラームスのソナタではいささか居心地の悪そうだったティート・アプレアのピアノも、ここでは水を得た魚のように生き生きと動いています。
なんだか、残された写真を見ると怖い先生風のデ・ヴィートなのですが、なるほど、こういう一面もあったのかと非常に感心させられた一枚でした。