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レスピーギ:ローマの祭
ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団 1954年11月録音をダウンロード
- レスピーギ:ローマの祭「チルチェンセス -Circenses」
- レスピーギ:ローマの祭「五十年祭 -Il giubileo」
- レスピーギ:ローマの祭「十月祭 -L'Ottobrata」
- レスピーギ:ローマの祭「主顕祭 -La Befana」
オーケストレーションの達人
レスピーギという人、オーケストレーションの達人であることは間違いはありません。
聞こえるか、聞こえないかの微妙で繊細な響きから、おそらくは管弦楽曲史上最大の「ぶっちゃきサウンド」までを含んでいます。言ってみれば、マーラーの凶暴さとドビュッシーの繊細さが一つにまとまって、そして妙に高度なレベルで完成されています。
しかし、この作品、創作された年代を眺めてみると、色々な思いがわき上がってきます。
最初に作られたのが、「ローマの噴水」で1916年、次が「ローマの松」で1924年、そして「ローマの祭り」が1928年となっています。
要は後になるほど、「ぶっちゃき度」がアップしていき、最後の「ローマの祭り」の「主顕祭」ではピークに達します。そこには、最初に作られた「ローマの噴水」の繊細さはどこにもありません。
そのあまりの下品さに、これだけは録音しなかったカラヤンですが、分かるような気がします。
そう言えば、どこかの外来オケの指揮者がこんな事を言っていましたね。
「どんなにチンタラした演奏でも、最後にドカーンとぶっ放せば、日本の聴衆はそれだけでブラボーと叫んでくれる」
しかし、これは日本だけの現象ではないようです。
どうも最後がピアニッシモで終わる曲はプログラムにはかかりにくいようです。(例えば、ブラームスの3番。3楽章はあんなに有名なのに、他の3曲と比べると取り上げられる機会が大変少ないです。これは明らかに終楽章に責任があります)
この3部作の並びを見ていると、受けるためにはこうするしかないのよ!と言いたげなレスピーギの姿が想像されてしまいます。
それから、最後に余談ですが、レスピーギはローマ帝国の熱烈な賛美者だったそうです。この作品の変な魅力は、そういう超アナクロの時代劇が、最新のSFXを駆使して繰り広げられるような不思議なギャップにあることも事実です。
ちなみに彼は自分の作品にこんな解説をつけています。
チルチェンセス -Circenses
円形大劇場のうえに威嚇するように空がかかっている。しかし、今日は民衆の休日「アヴェ・ネローネ」だ。鉄の門が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気にただよう。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌がひろがり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。
五十年祭 -Il giubileo
巡礼者たちが祈りながら街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から、渇望する眼と切望する魂にとって永遠の都「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起り、教会は、それに応えて鐘をなりひびかせる
十月祭 -L'Ottobrata
ローマの諸城(カステッリ)での10月祭は、葡萄でおおわれ、狩のひびき、鐘の音、愛の歌にあふれている。そのうちに、柔らかい夕暮れの中にロマンティックなセレナードが起ってくる。
主顕祭 -La Befana
ナヴォナ広場での主顕節の前夜。特徴あるトランペットのリズムが狂乱の喧騒を支配している。増加してくる騒音の上に、次から次へと田園風の動機、サルタレロのカデンツァ、小屋の手廻しオルガンの節、物売りの叫び声、酩酊した人たちの耳障りな歌声や「われわれはローマ人だ。通り行こう」と親しみのある感情で表現している活気のある歌などが流れている。
オレはホントはこういう音楽をしたいんだよ
ドラティとマーキュリーレーベルといえば真っ先に思い浮かぶのが、チャイコフスキーの序曲「1812年」です。当時、世界中で200万枚売れたという超ベストセラーであり、このレーベルの録音の素晴らしさを世に知らしめた1枚です。陸軍士官学校のカノン砲がぶっ放され、72個の鐘が壮大に鳴り響くというのがこの録音の売りなのですが、確かにその迫力たるや尋常のものではありませんでした。
しかし、そういうカノン砲や鐘の音ばかりが話題になった録音なのですが、真面目に聴き直してみると意外なほどに演奏が素晴らしいことに驚かされたものです。これほどの高解像度の録音でもほとんど破綻を感じさせないオケの力量は、偉大なるオーケストラトレーナーだったドラティによる鍛錬のたまものでした。
そして、こういう大仕掛けのもとではともすれば緩みがちになり、粗っぽくもなってしまいがちな音楽をキリリと引き締めて、この冗談のような絵巻物を最後の最後まで大真面目に演じきっていました。
おそらくは、レーベルの側からは冗談みたいな音楽を要請されたのでしょうが、その冗談みたいな要請をこなしながらも、最低限の節度は保って音楽として成り立たせているあたりにドラティの良心を感じたものです。
そして、そう言う音楽家としての良心がこのレスピーギの一連の録音には如実に表れています。
オーディオが広く普及し、その「威力」を世に知らしめるためには、レスピーギの管弦楽曲は最適のアイテムでした。とりわけ、ローマの松は極限のピアニッシモから爆発するフォルティッシモまで含んでいますから、まさにオーディマニア御用達の音楽といえました。
ドラティもまた、モノラルの時代に一度、そしてステレオ録音になってからもう一度録音を行っています。
こういう事には聡いカラヤンも58年にはステレオでローマの松を録音しています。すべての楽器が力ずくではなく、しなやかに鳴りきって、その頂点で目も眩むような大爆発を演じて見せたフィルハーモニア管との演奏は実に見事なものでした。
ところが、ドラティの方は、その爆発する部分が意外と大人しいのです。
これを残念と見る向きも多く、そして私もその一人なのですが、どうやら、ドラティという人は最期の最後で「アホ」になることが出来ない人だったようです。当然、やろうと思えばやれたはずなのですが、それをやらないところにドラティという人の本質が潜んでいるように思います。
例えば、この「ローマの祭」はあのカラヤンでさえ、そのあまりの下品さ故に録音しなかったという「噂」が流れる作品なのですが、ドラティはモノラルの時代に一度だけ録音しています。モノラルとは言っても、さすがのマーキュリー録音で、実に見事ものなのですが、やはりこのブッチャキサウンド満載の音楽をギリギリのところでそれなりの佇まいのなかに押さえ込んでいます。
決して、どんな音楽であっても下品にはしないところがドラティの良心であり、もしかしたら弱点かもしれないのです。
そして、その事を裏返すと、彼が「鳥」とか「教会のステンドグラス(これはかなりローマ三部作的な音楽ですが・・・))」、「ブラジルの印象」のような、他の人がほとんど取り上げない作品で素晴らしい演奏を聴かせてくれることにつがっています。その事は、ローマ三部作に続く彼の代表作である「リュートのための古風な舞曲とアリア」でも同様です。
レスピーギといえばローマの松に代表されるブッチャキ、スペクタクルサウンドが取り柄のように思われるのですが、そして実際そうでもあるのですが、それ以外にアッピア街道の松に聞ける繊細な響きこそが彼の本領であったように思います。
バロック時代のクラブサンやリュートの音楽を下敷きにした繊細な響きを、実に美しく響かせていくドラティを聞いていると、オレはホントはこういう音楽をしたいんだよ・・・という声が聞こえてきそうです。
自慢のオーディオシステムで爆音を轟かせるのもいいのですが、そういう繊細な響きを楽しむのも悪くない話です。とりわけ、聞く機会の少ない作品でもあるので、今もって貴重な録音だと言えます。