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R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40
クレメンス・クラウス指揮 ウィーンフィル 1952年9月録音をダウンロード
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オーケストラによるオペラ
シュトラウスの交響詩創作の営みは「ドン・ファン」にはじまり(創作そのものは「マクベス」の方が早かったそうだが)、この「英雄の生涯」で一応の幕を閉じます。その意味では、この作品はシュトラウスの交響詩の総決算とも言うべきものとなっています。
「大オーケストラのための交響詩」と書き込まれたこの作品は大きく分けて6つの部分に分かれると言われています。
これはシュトラウスの交響詩の特徴をなす「標題の設定」と「主題の一致」という手法が、ギリギリのところまで来ていることを示しています。つまり、取り扱うべき標題が複雑化することによって、スッキリとした単一楽章の構成ではおさまりきれなくなっていることを表しているのです。
当初、シュトラウスがあつかった標題は「マクベス」や「ドン・ファン」や「ティル」のような、作曲家の体験や生活からははなれた相対的なものでした。その様なときは、それぞれの標題に見合った単一の主題で「つくりもの」のように一つの世界を構築していってもそれほど嘘っぽくは聞こえませんでした。そして、そこにおける主題処理の見事さとオーケストラ楽器の扱いの見事さで、リストが提唱したこのジャンルの音楽的価値を飛躍的に高めました。
しかし、シュトラウスの興味はその様な「つくりもの」から、次第に「具体的な人間のありよう」に向かっていきます。そして、そこに自分自身の生活や体験が反映するようになっていきます。
そうなると、ドン・ファンやティルが一人で活躍するだけの世界では不十分であり、取り扱うべき標題は複雑化して行かざるをえません。そのために、例えば、ドン・キホーテでは登場人物は二人に増え、結果としてはいくつかの交響詩の集合体を変奏曲形式という器の中にパッキングして単一楽章の作品として仕上げるという離れ業をやってのけています。
そして、その事情は英雄の生涯においても同様で、単一楽章と言いながらもここではハッキリと6つの部分に分かれるような構成になっているわけです。
それぞれの部分が個別の標題の設定を持っており、その標題がそれぞれの「主題設定」と結びついているのですから、これもまた交響詩の集合体と見てもそれほどの不都合はありません。
つまり、シュトラウスの興味がより「具体的な人間のありよう」に向かえば向かうほど、もはや「交響詩」というグラウンドはシュトラウスにとっては手狭なものになっていくわけです。
シュトラウスはこの後、「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」という二つの管弦楽作品を生み出しますが、それらはハッキリとしたいくつかのパートに分かれており、リストが提唱した交響詩とは似ても似つかないものになっています。そして、その思いはシュトラウス自身にもあったようで、これら二つの作品においては交響詩というネーミングを捨てています。
このように、交響詩というジャンルにおいて行き着くところまで行き着いたシュトラウスが、自らの興味のおもむくままにより多くの人間が複雑に絡み合ったドラマを展開させていくこうとすれば、進むべき道はオペラしかないことは明らかでした。
彼が満を持して次に発表した作品が「サロメ」であったことは、このような流れを見るならば必然といえます。
そして、1幕からなる「サロメ」を聞いた人たちが「舞台上の交響詩」と呼んだのは実に正しい評価だったのです。
そして、この「舞台上の交響詩」という言葉をひっくり返せば、「英雄の生涯」は「オーケストラによるオペラ」と呼ぶべるのではないでしょうか。
シュトラウスはこの交響詩を構成する6つの部分に次のような標題をつけています。
第1部「英雄」
第2部「英雄の敵」
第3部「英雄の妻」
第4部「英雄の戦場」
第5部「英雄の業績」
第6部「英雄の引退と完成」
こう並べてみれば、これを「オーケストラによるオペラ」と呼んでも、それほど見当違いでもないでしょう
ウィーンフィルとの相性の良さ
クラウスの棒によるシュトラウスは、ヨハンの方もリヒャルトの方も困ってしまうほど面白いと書いたのですが、調べてみると50年代にウィーンフィルとのコンビでまとまった録音を残しています。
ウィーン、ベルリン、ミュンヘンというドイツ語圏の三大歌劇場の音楽監督を歴任した人にしては残された録音が異常に少ないだけに、モノラルとはいえデッカレーベルでこれだけまとまった録音が残ったことは感謝すべきでしょう。
- 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 op.30 1950年6月12日&13日録音
- 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」op.28 1950年6月16日録音
- 交響詩「ドン・ファン」 op.20 1950年6月16日録音
- 家庭交響曲 op.53 1951年9月録音
- 交響詩「英雄の生涯」 op.40 1952年9月録音
- 組曲「町人貴族」op.60 1952年9月録音
- 交響詩「ドン・キホーテ」 op.35 1953年6月録音
- 交響的幻想曲「イタリアより」 op.16 1953年12月録音
- 楽劇「サロメ」op.54 1954年3月録音
「ナチスの指揮者」というレッテルのために戦後はしばらく演奏活動が禁止されていましたから、戦後の音楽活動のほぼ全ての時期を網羅しています。戦後の録音はほぼ50年からスタートしていますし、54年の5月に演奏先のメキシコで急死したクラウスにとっては、その年の3月に録音された「サロメ」は結果として遺言のような録音になってしまいました。
それにしても、こうやってまとめて聞いてみると、クラウスとウィーンフィルとの相性の良さには感心させられます。
ウィーンフィルの美質と言えば、他では聞けない管楽器群の響きの美しさと、弦楽器群の臈長けた美しさ、そして何よりも他のオケでは絶対に聞くことの出来ない歌い回しの見事さあたりでしょうか。
そういえば、ヴァイオリンのソロが大きな役割を果たす「ツァラトゥストラはかく語りき」や「英雄の生涯」ではコンサート・マスターのボスコフスキーがつとめているのですが、そのとろっとした響きの美しさこそは「これぞウィーンフィル!」と思わせるものがあります。
それだけに、新しく再開されるウィーンの国立歌劇場の音楽監督に自分が指名されることを、彼は疑いもしていなかったのでしょう。
ところが、結果は、このような優美さと高貴さを讃えた指揮者ではなく、木訥な田舎もののベームがその地位を手に入れるのです。結局は、ベートーベンが指揮できないような指揮者がウィーンのシェフでは困ると言うことでしょうし、さらに言えば、何処まで行っても「ナチスの指揮者」という影が、新しく船出をするウィーンの国立歌劇場には相応しくないと判断されたのでしょうか。
それにしても、彼の師匠に当たるリヒャルト・シュトラウスの演奏は、どれもこれもウィーンフィルの美質を惜しげもなく振りまいていて、昨今のハイテクオケが聞かせてくれる音楽と較べれば、待ったくもって別の作品のように聞こえるほどです。そして、その「全く別の作品のように聞こえ」てしまうあたりが彼の音楽の様式的な古さを顕わにしていることも事実なのです。
しかし、物事を単純な進化論で切って捨てることが出来ないことも事実です。より新しく、より精緻に、より美しくと頑張ってきた果ての世界が、過去と較べて麗しくなっているとは言い切れないのも事実です。
ヘーゲルが語ったように歴史は決して「阿呆の画廊」ではありません。この50年の成果は素直に認めながらも、その「進化」の中で失ったものはないのかを見直すためには、時にはこういう「過去」に目を向けることも大切なのではないでしょうか。
<どうでも言い追記>
なお、どうでもいいことですが、このデッカ録音が最近まとまってリリースされました。ところが、その録音紹介の中に「『ナクソス島のアリアドネ』から編まれた組曲では、優雅な感覚に満たされてもいました。」なんて書いてありました。
シュトラウスさんの作品に「『ナクソス島のアリアドネ』から編まれた組曲」なんてものはありません。
詳しいことは割愛しますが、「町人貴族」と「ナクソス島のアリアドネ」という二つのオペラにはともに作品番号60が付されています。そして、オペラとして有名なのは「ナクソス島のアリアドネ」の方なのでそういう間違いが起こったのでしょう。シュトラウスが組曲として編んだ作品番号60は「町人貴族」の方です。
こんな事、調べればすぐに分かるのに、いい加減なものです。
<追記終わり>