クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622


(Cl)ハインリヒ・ゴイザー フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 1957年9月20日録音をダウンロード

  1. モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 「第1楽章」
  2. モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 「第2楽章」
  3. モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 「第3楽章」

モーツァルト、最後のコンチェルト



ケッヘル番号は622です。この後には、未完で終わった「レクイエム」(K.635)をのぞけば、いくつかの小品が残されているだけですから、言ってみれば、モーツァルトが残した最後の完成作品と言っていいかもしれません。

この作品は、元は1789年に、バセットホルンのためのコンチェルトとしてスケッチしたものです。そして、友人であったクラリネット奏者、シュタットラーのために、91年10月の末に再び手がけたものだと言われています。
ここでもまた、シュタットラーの存在がなければ、コンチェルトの最高傑作と言って過言でないこの作品を失うところでした。

ここで紹介している第2楽章は、クラリネット五重奏曲のラルゲット楽章の姉妹曲とも言える雰囲気が漂っています。しかし、ここで聞ける音楽はそれ以上にシンプルです。どこを探しても名人芸が求められる部分はありません。それでいて、クラリネットが表現できる音域のほぼすべてを使い切っています。
どうして、これほど単純な音階の並びだけで、これほどの深い感動を呼び覚ますことができるのか、これもまた音楽史上の奇跡の一つと言うしかありません。

しかし、ここでのモーツァルトは疲れています。
この深い疲れは、クラリネット・クインテットからは感じ取れないものです。

彼は、貴族階級の召使いの身分に甘んじていた「音楽家」から、自立した芸術家としての「音楽家」への飛躍を試みた最初の人でした。
しかし、かれは早く生まれすぎました。
貴族階級は召使いのそのようなわがままは許さず、彼は地面に打ち付けられて「のたれ死に」同然でその生涯を終えました。
そのわずか後に生まれたベートーベンが、勃興しつつある市民階級に支えられて自立した「芸術家」として生涯を終えたことを思えば、モーツァルトの生涯はあまりにも悲劇的だといえます。
それは、疑いもなく「早く生まれすぎた者」の悲劇でした。

しかし、その悲劇がなければ、果たして彼はこのような優れた作品を生みだし続けたでしょうか?
これは恐ろしい疑問ですが、もし悲劇なくして芸術的昇華がないのなら、創造という営みはなんと過酷なものでしょうか。


ドイツクラリネット界を長くリードしてきた人


「Heinrich Geuser」は「ハインリヒ・ゴイザー」と読むらしいです。彼の経歴として「ウラッハに師事した」と書いているページもあるのですが、誤解を招かないようにするためには「アントン・ウラッハ」に師事したと書いておくべきでしょう。
クラリネット奏者としては伝説的存在とも言うべき「レオポルド・ウラッハ」とゴイザーほぼ同時代(ウラッハ:1902年~1956年・ゴイザー:1910年~1996年)の演奏家なので、師弟関係などが存在するはずもありません。

ただし、こんな誤解を生んでしまう原因は、この二人の知名度の差です。片や伝説のクラリネット奏者であり、他方はほとんど「無名」のクラリネット奏者だからです。
この知名度の差が「ウラッハ→ゴイザー」という師弟関係を想像させてしまうのです。

しかしながら、今回この録音と出会い、その流れで「ハインリヒ・ゴイザー」なるクラリネット奏者と出会い、その経歴を調べていくうちに(もちろん、この録音を聞いてゴイザーのクラリネットの響きがとても素晴らしかったことが最大のきっかけなのですが)、これは「無名」どころではないことが分かった次第なのです。

ウラッハはいまだ50代だった1956年に世を去ったのに対して、ゴイザーは80代半ばまで長生きしました。結果として、第2次大戦後から1970年代までベルリン国立歌劇場やベルリン放送交響楽団の首席奏者を務め、まさにドイツクラリネット界を長くリードしてきた超大物だったのです。(知らなかった~^^;)
にもかかわらず、日本国内における知名度が低いのは、録音活動を活発に行ったにも関わらず、その大部分が廃盤となってしまっているからです。この国では、録音という形で目に触れない限りそれは「存在」しないも同然なのです。それと比べれば、ウラッハはモーツァルトやブラームスの録音が伝説的名演としてカタログに残り続けているので、その名前は少し熱心なクラシック音楽ファンならば記憶に刻み込まれることになると言う「仕掛け」なのです。

しかしながら、この二人を聞き比べてみれば、その力量の点では大きな違いはないことがよく分かります。最も、そんな「表現」は若手相手のコンクールではないのですから愚かきわまる物言いであることは承知しているのですが、疑いもなくウラッハとは異なるゴイザー独特の世界があることは納得させてくれる演奏です。

確かに、演奏のスタイルはウラッハほどには古色蒼然とはしていませんが、彼の弟子であるカール・ライスターなどと較べればウラッハと同様の古き良き時代をしのばせるものです。
一言で言えば、柔らかめの鉛筆で縁取っているような風情ながら中身はむっちりと詰まっている感じです。ともすれば、硬質できつめの響きになる昨今のクラリネットとは明らかに響き方が違います。また、も最低音から少し上のあたりまでの響きの柔らかさとふくよかさはとても素晴らしいです。
そして、何よりも、ゆったりとした自然な呼吸によって紡がれていく音楽は、昨今の「吹きこなす」という名人芸とは違う世界を堪能させてくれます。