クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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R.シュトラウス:デュエット=コンチェルティーノ


フリッチャイ指揮 (Cl)ハインリヒ・ゴイザー (Bassoon)ヴィリー・フグマン ベルリン放送交響楽団 1953年4月20日録音をダウンロード

  1. R.シュトラウス:デュエット=コンチェルティーノ 「第1楽章」
  2. R.シュトラウス:デュエット=コンチェルティーノ 「第2楽章」
  3. R.シュトラウス:デュエット=コンチェルティーノ 「第3楽章」

器楽作品としては実質的に最後の作品



1947年に、ルガーノの放送局からの依頼で作曲された作品ですから、リヒャルト・シュトラウスにとっては最晩年の作品の一つだといえます。ナチスの政権下で要職を歴任したために大戦後は非ナチ化裁判にかけられ(最終的には無罪となった)、そのために戦後は表立った音楽的活動は避けていたのですが、暇をもてあまして(^^;、作曲活動は結構熱心に行っていました。
そして、その音楽はすでに戦時中から大きな変化を遂げていて、かつての大管弦楽を駆使した音楽ではなくて、古典的なモーツァルト的なものへと回帰していきます。ですから、この最晩年のシュトラウスの創作時期を「インディアン・サマー」と表現する人もいるようです。
まさに、人生の最後における穏やかな小春日和のような音楽が次々と生み出され、その最後を飾るように「4つの最後の歌」が生み出されるのです。

余談ですが、私は無人島に3曲持って行けるならば「マタイ受難曲」「フィガロの結婚」「エロイカ」を持っていくと言っているのですが、もしも1曲しか許されないならば「最後の4つの歌」を持っていきます。おかしな話ですが、それが偽らざる心情です。
そして、そんな小春日和の日々の中で、器楽曲の分野でもいくつもの素晴らしい作品が生み出されます。


  1. 1942年:ホルン協奏曲第2番

  2. 1943年:16の管楽器のためのソナチネ第1番「老いぼれの仕事部屋から」

  3. 1945年:メタモルフォーゼン

  4. 1945年:16の管楽器のためのソナチネ第2番「喜びに満ちた仕事部屋」

  5. 1945年(48年改訂):オーボエ協奏曲

  6. 1947年:デュエット=コンチェルティーノ



こうして並べてみると、1947年に作曲された「デュエット=コンチェルティーノ」は、シュトラウスの器楽作品としては実質的に最後の作品と言うことになります。

それ故にと言うことではないのでしょうが、19世紀から20世紀のドイツ音楽界に君臨した男が、そんな己の過去などは全て捨てて、この上もなく自由に振る舞っているように聞こえます。
ですから、この作品を語るときによく持ち出される話、アンデルセンの童話を下敷きにした「豚の番人」や「王女と乞食」「王女と熊」みたいな標題性は無視した方がいいでしょう。当然の事ながら、クラリネットが王女、バスーンが最後は王子の姿に戻る豚を表しているというような話も忘れた方がいいでしょう。

確かに、この音楽は物語的に聞こえることは否定しません。しかし、ここでのシュトラウスは、音楽で何でも描くことが出来ると豪語した壮年期を離れて、まさに古典的な純粋器楽の世界に舞い戻っているのです。

ですから、そんな標題性よりは、例えば弦楽合奏部がバロック時代の合奏協奏曲のように「コンチェルティーノ(独奏楽器群)」と「リピエーノ(オーケストラの総奏)」に分かれている・・・みたいな事の方に注目した方がまだましです。弦楽合奏が独奏楽器的振る舞う弦楽五重奏と五部合奏に別れるというバロック的な佇まいの中で20世紀的な近代的な和声が鳴り響く面白さに耳を傾ける方がまだしもましなのです。

若い時代には豊饒の果てにあるような音楽を次々と生み出した男が、その最晩年においてこの上もなく節約された素材で音楽を見事に処理して見せるというのは、ある意味では一つの理想なのかもしれません。なかなか、こんな風に(あまり好きな言葉ではないのですが)枯れるというのは希有なことです。


ドイツクラリネット界を長くリードしてきた人


「Heinrich Geuser」は「ハインリヒ・ゴイザー」と読むらしいです。彼の経歴として「ウラッハに師事した」と書いているページもあるのですが、誤解を招かないようにするためには「アントン・ウラッハ」に師事したと書いておくべきでしょう。
クラリネット奏者としては伝説的存在とも言うべき「レオポルド・ウラッハ」とゴイザーほぼ同時代(ウラッハ:1902年~1956年・ゴイザー:1910年~1996年)の演奏家なので、師弟関係などが存在するはずもありません。

ただし、こんな誤解を生んでしまう原因は、この二人の知名度の差です。片や伝説のクラリネット奏者であり、他方はほとんど「無名」のクラリネット奏者だからです。
この知名度の差が「ウラッハ→ゴイザー」という師弟関係を想像させてしまうのです。

しかしながら、今回この録音と出会い、その流れで「ハインリヒ・ゴイザー」なるクラリネット奏者と出会い、その経歴を調べていくうちに(もちろん、この録音を聞いてゴイザーのクラリネットの響きがとても素晴らしかったことが最大のきっかけなのですが)、これは「無名」どころではないことが分かった次第なのです。

ウラッハはいまだ50代だった1956年に世を去ったのに対して、ゴイザーは80代半ばまで長生きしました。結果として、第2次大戦後から1970年代までベルリン国立歌劇場やベルリン放送交響楽団の首席奏者を務め、まさにドイツクラリネット界を長くリードしてきた超大物だったのです。(知らなかった~^^;)
にもかかわらず、日本国内における知名度が低いのは、録音活動を活発に行ったにも関わらず、その大部分が廃盤となってしまっているからです。この国では、録音という形で目に触れない限りそれは「存在」しないも同然なのです。それと比べれば、ウラッハはモーツァルトやブラームスの録音が伝説的名演としてカタログに残り続けているので、その名前は少し熱心なクラシック音楽ファンならば記憶に刻み込まれることになると言う「仕掛け」なのです。

しかしながら、この二人を聞き比べてみれば、その力量の点では大きな違いはないことがよく分かります。最も、そんな「表現」は若手相手のコンクールではないのですから愚かきわまる物言いであることは承知しているのですが、疑いもなくウラッハとは異なるゴイザー独特の世界があることは納得させてくれる演奏です。

確かに、演奏のスタイルはウラッハほどには古色蒼然とはしていませんが、彼の弟子であるカール・ライスターなどと較べればウラッハと同様の古き良き時代をしのばせるものです。
一言で言えば、柔らかめの鉛筆で縁取っているような風情ながら中身はむっちりと詰まっている感じです。ともすれば、硬質できつめの響きになる昨今のクラリネットとは明らかに響き方が違います。また、も最低音から少し上のあたりまでの響きの柔らかさとふくよかさはとても素晴らしいです。
そして、何よりも、ゆったりとした自然な呼吸によって紡がれていく音楽は、昨今の「吹きこなす」という名人芸とは違う世界を堪能させてくれます。

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