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ハイドン:クラヴィーア・ソナタ第53番(ウィーン原典版番号)ホ短調 Hob.XVI:34
(P)リリー・クラウス 1953年録音をダウンロード
- ハイドン:クラヴィーア・ソナタ第53番(ウィーン原典版番号)ホ短調 Hob.XVI:34 「第1楽章」
- ハイドン:クラヴィーア・ソナタ第53番(ウィーン原典版番号)ホ短調 Hob.XVI:34 「第2楽章」
- ハイドン:クラヴィーア・ソナタ第53番(ウィーン原典版番号)ホ短調 Hob.XVI:34 「第3楽章」
時々のハイドンの問題意識や自由な挑戦が垣間見ることが出来るジャンル
こういうサイトを始めてかれこれ17~18年の歳月が経過し、さらにはこうやってパブリックドメインとなった音源をアップするようになってからでも15年という時間が経過しました。
当時は10年ほどかけて1000曲ほどアップすればクラシック音楽という世界をザックリと素描できるだろうと考えていたのですが、やってみれば1000曲程度では素描にもならず、2500曲近くに達した現在でも、未だに大きな欠落があちこちに存在します。
個人的にその欠落をはっきりと認識しているのが「歌曲」の分野です。
これは、私自身がシュトラウスの「4つの最後の歌」だけは偏愛していながら、その他の歌曲作品にはほとんど目配りが出来ていないのが原因です。自分が積極的に聞こうとしていない分野はどうしてもおろそかになります。
しかし、時に、そうやって明確に認識していない分野で思わぬ欠落に気づいて驚かされることがあります。
今回の場合はハイドンのピアノソナタです。
2500曲近いパブリックドメインの音源をアップしてきて、気がつけばハイドンのピアノソナは1曲もアップしていないことにふと気づいたのです。これには、自分でも驚かされました。
ハイドンは決して嫌いな作曲家ではありませんし、ピアノ音楽は自前のシステムでは上手く鳴らないという問題があったので少しばかり敬遠していた時期もあったのですが、その後の奮闘努力のかいがあって今では満足できるレベルで再生できるようになっています。ですから、ハイドンのピアノソナタを敬遠する理由は全くないのですが、それでも15年にわたってその欠落に全く気づかずにいたという事実に自分自身が驚いている次第です。
しかし、考えてみれば、これはハイドンという作曲家に対するとらえ方がいかに偏ったものであったかと言うことを思い知らされる事実です。
ハイドンと言えば、まずは交響曲の作曲家です。その次に来るのが弦楽四重奏曲であり、さらにはオラトリオの作曲家という面が強調されてきて、ピアノソナタという分野はそれほど重要なジャンルではないと見なされていました。この位置づけが、自分の中でも彼のピアノソナタを軽視する一因になったのではないかと自己弁護しているところです。
ただし、その欠落に気づいてアップしようと思うと、これがまた結構煩わしい問題がつきまとうことに気づかされます。
その煩わしさの一つは、それではハイドンはそもそもピアノソナタを何曲書いたのかという問題です。
調べてみると、旧全集では52曲、新全集で54曲、そして、ウィーン原典版シリーズでは未発見だった7曲などが追加されて62曲になっています。
だったら、最新の知見に基づくウィーン原典版を尊重して62曲でいいじゃないかとなるのですが、その後の研究で、この62曲の中にいくつもの「偽作」が含まれていることが指摘され、さらにその数は増える勢いなのです。
さらに言えば、ハイドンが間違いなく「書いた」事が記録に残っているのに、肝心の「楽譜」が発見されていない作品も多く存在していて、この「ハイドンはそもそもピアノソナタを何曲書いたのか」という問題はなかなかに煩わしい問題なのです。
そして、その結果として、聞き手にとって一番困るのは、作品に与えられたナンバリングの不一致です。この典型がシューベルトの交響曲のナンバリングに関わる混乱なのですが、同じようなことがこのハイドンのピアノソナタでも起こってきていますし、事態はさらに深刻です。
ハイドンのピアノソナタのナンバリングに関しては長きにわたって旧全集で割り振られた1番から52番までの数字が定着していました。
ところが、最近になって、ウィーン原典版のナンバリングを併記する例も増えてきて、さらには、このウィーン原典版のナンバリングが主流化してきてこの番号をメインに表記する例も増えてきました。
さらに困るのは、そのウィーン原典版とは全く異なる分類でナンバリングされた「クリスタ・ランドン番号」というのも存在していることです。おまけに、このランドン番号はウィーン原典版と同じ1番~62番であるにかかわらず、それぞれの作品に割り振った番号が全く違うと言うことなので、実に持って困った話なのです。
そして、ハイドンと言えばホーボーケン番号というのも存在しているのですから、もう何がなにやら分からないという状態になっています。
つまりは、ソナタに付された番号だけでは、それが一体全体どの作品を示しているのかが全く判断できないという「困った」事が起こってきているのです。
正直言って、シューベルトの交響曲ならば、番号が7番であろうと、8番であろうと、9番であろうと、聞けばたいていの人はそれが「未完成」なのか「ザ・グレート」なのかは区別がつきます。
しかし、ハイドンのピアノソナタの場合はそうはいきません。
もちろん、聞けば「分かる」という人もいるでしょうが、60曲以上も存在する彼のソナタ作品の全てを「聞けば分かる」人なんてのはほとんどいないはずです。
「ハイドン:ピアノソナタ第31番」とだけ記されていて、それを聞くだけでその番号が果たして旧全集版によるものなのか、ウィーン原典版によるものなのか、はたまたランドン番号なのかを明確に指摘できる人はあまりいないと思われます。(私も、聞いただけでは全く分かりません。)
ですから、少なくとも、
「ハイドン:ピアノソナタ第31番(ウィーン原典版番号)変イ長調」
もしくはホーボーケン番号も付加して
「ハイドン:ピアノソナタ第31番(ウィーン原典版番号)変イ長調 Hob.XVI:46」
くらいにしておかないと何がなにやら分からなくなるのです。
ちなみに、ホーボーケン番号と旧全集の番号は完全に一致しますから、
「ハイドン:ピアノソナタ第31番(ウィーン原典版番号)=ハイドン:ピアノソナタ第46番(旧全集番号)」
となります。
あぁ、ややこしい!!
次に問題となるのは、「ピアノソナタ」という呼称です。
言うまでもないことですが、ハイドンが活躍した時代のピアノ(ピアノフォルテ)は生まれたばかりであり、鍵盤楽器の主役はチェンバロでした。ですから、ハイドンもまた鍵盤楽器のためのソナタとして作曲した一連の作品はチェンバロを想定したものなので、それを「ピアノソナタ」と呼ぶことには問題があります。
ただし、残されている60曲前後の作品の中には、明らかに生まれたばかりのピアノフォルテを想定して書かれた作品も存在します。
ですから、このあたりの問題にピューリタンな対応したい人は「ピアノソナタ」ではなく「クラヴィーアソナタ」もしくは「キーボード・ソナタ」とした方がいいのかもしれません。
とは言え、彼のピアノソナタを概観してみると、その創作時期は1770年代に集中していることは間違いなのですが、それでも若い時期から晩年にたるまで切れ目なくこのジャンルに取り組んでいるという事実は重く見るべきでしょう。
その意味では、モーツァルトやベートーベンのピアノソナタと似通っています。
そこでは、ハイドンという作曲家の軌跡が刻み込まれていますし、このシンプルな形式ゆえに時々のハイドンの問題意識や自由な挑戦が垣間見ることが出来ます。
ハイドン:クラヴィーア・ソナタ第53番(ウィーン原典版番号)ホ短調 Hob.XVI:34
1784年に出版された作品ですが、成立時期はそれよりも早い時期、おそらくは1780年頃ではないかと推測されています。ここでのハイドンは、楽曲全体を強い統一感でまとめることに腐心していたことがよくあらわれている作品です。
- 第1楽章(Presto):プレストで8分の6拍子というのはハイドンでは珍しい。非常に躍動的な音楽だがそのリズム感が強い統一感を与えています。
- 第2楽章(Adagio):一転して装飾感豊かな、ゆったりとした足取りの音楽です。
- 第3楽章(molto vivace):ロンド形式ですが二つの部分の素材に共通性を持たせて統一感を持たせようとしています。
洒落た雰囲気にあふれた演奏
リリー・クラウスはシモン・ゴールドベルク、アンソニー・ピニ(Anthony Pini)のコンビで戦前の39年にハイドンのピアノ三重奏曲を3曲(Hob.XV:26,Hob.XV:27,Hob.XV:29)録音しています。これは、おなじくシモン・ゴールドベルクとのコンビで録音したモーツァルトのヴァイオリンソナタと並んで、長く評価の高い録音でした。
クラウスとゴールドベルグはその後、1942年からのアジアへの訪問したインドネシアで日本軍に捉えられて終戦まで軟禁され、その時の日本軍に対する対応の違いなどもあって戦後は再びコンビを組むことはありませんでした。50年代に入って、クラウスは再びモーツァルトのヴァイオリンソナタ等の録音を行うのですが、その時も相方としてゴールドベルグを希望していたようなのですが、それに対してゴールドベルグは応えなかったようで、結果としてウィーンフィルのコンマスだったボスコフスキーとのコンビで録音を行いました。
今回紹介した一連のハイドンのソナタは、ボスコフスキーとのコンビで取り組んだウィーンゆかりの作曲家の室内楽作品を録音するプロジェクトの一環として取り組まれたもののようです。
クラウスの録音と言えば60年代以降のステレオ録音が市場に出回り、その結果として彼女に対する評価を貶めることにもなるのですが、この50年代に取り組まれた録音ではその様な衰えはありません。
ここでのクラウスは、モーツァルトとの時と同じで、素っ気ないイン・テンポで押し通すのではなく、かなり自由に表情付けを行っています。それを「ウィーン風」という分かったような言葉で片付けるのは躊躇われますが、今では聞くことの出来ない洒落た雰囲気にあふれた演奏であることは間違いありません。
モノラル録音ですが、アンドレ・シャルランの手になるものですから、何の不満もありません。(62番だけは弟子筋のAntoine Duhamelです。)