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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲(Sinfonia Antartica)


エードリアン・ボールト指揮 (S)Margaret Ritchie (Speaker)John Gielgud ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年12月録音をダウンロード

  1. レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲「前奏曲」
  2. レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲「スケルツォ」
  3. レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲「風景」
  4. レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲「間奏曲」
  5. レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:南極交響曲「終幕」

隠れたシンフォニスト



レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは1872年10月12日に生まれ、1958年8月26日に没したイギリスの作曲家です。何故に、こんな分かり切ったことを最初に確認したのかというと、こういう経歴だと、一般的には著作権が切れていないので、パブリック・ドメイ扱うこのサイトでは「無縁」の存在となるはずなのです。
今さらながらの再確認ですが、日本国内では著作権は創作者の死後50年が経過した翌年の1月1日をもって消滅します。しかし、第2次大戦の敗戦国である日本はペナルティとしての敗戦国条項が連合国に属する国の創作者に対しては適用されるので、そこからさらに10年あまりの保護期間が加算されます。
つまり、1958年に没したレイフ・ヴォーン・ウィリアムズは一般的には2009年の1月1日をもって著作権が切れるのですが、イギリスの作曲家なのでそこからさらに10年有余の保護快感が加算されて2020年になるまではパブリックドメインとならないのです。

ところが、どういう訳か、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズに関してはこの敗戦国条項が適用されずに、2009年を持って彼の全著作は全てパブリックドメインとなっているのです。
どういう経緯があったのかは分かりません。そして、あれこれ調べてみてもよく分からなかったのですが、JASRCの作品データベースで確認してみても間違いなくパブリックドメインとなっています。
このような話題にはなんの興味もないというのが一般的でしょうが(^^;、詳しくは以下のページを参照にしてください。

ヴォーン・ウィリアムズの作品がパブリックドメインとなっているようです。

何故にこういう事を前書きしたのかというと、必ず鬼の首でも取ったかのように著作権違反を報告してくれる方が少なからずいるのです。そう言うメールに個別に返事をするのも面倒なので、一言書き添えた次第です。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは20世紀に活動した作曲家としては珍しく、9曲も交響曲を残しています。
交響曲という形式はハイドン、モーツァルト、ベートーベンという系譜の中で「クラシック音楽の王道」となりました。そして、その王道はロマン派の時代を通過する中で多様性を持つようになり、その多様性は複雑化と巨大化の果てに砕け散ってしまいました。その砕け散る波頭の先に存在したのがマーラーであったことに異論はないと思うのですが、それでも、その先の時代においてもこの形式で音楽を書き続けた作曲家がいました。
しかし、そうやって生み出される交響曲は、既にクラシック音楽における「王道」の地位は失っていました。その事は作曲者自身も十分に意識していたのでしょうが、それでもなお、この形式で音楽を書き続ける人が存在し、その代表的な一人がレイフ・ヴォーン・ウィリアムズだったのです。
彼は事あるごとにシベリウスに対する尊敬の念を述べていますから、彼の交響曲への傾倒はシベリウスからの影響が大きかったのでしょう。

シベリウスはその生涯で7曲の交響曲を残していますが、その創作期間は1899年(交響曲第1番)から1924年(交響曲第7番)までの25年間です。
それに対して、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲の創作期間は1910年(海の交響曲)から1957年(交響曲第9番)までにわたっています。初期の標題付きの3つの交響曲はシベリスの活動時期と重なりますが、残りの6つの交響曲はシベリウスの空白期間の中で作曲されていて、1956年にシベリウスが長い空白期間の後にこの世を去ると、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズもまたその後を追うように1958年にこの世を去ります。

彼が残した9つの交響曲とは以下の通りです。


  1. 1903年~1910年:海の交響曲(A Sea Symphony、交響曲第1番) 管弦楽、ソプラノ、バリトン、合唱

  2. 1912年~1913年:ロンドン交響曲(A London Symphony、交響曲第2番)

  3. 1918年~1921年:田園交響曲(A Pastral Symphony、交響曲第3番) 管弦楽、ソプラノ

  4. 1931年~1934年:交響曲第4番ヘ短調(Symphony No.4 in F minor)

  5. 1938年~1943年:交響曲第5番ニ長調(Symphony No.5 in D major)

  6. 1944年~1947年:交響曲第6番ホ短調(Symphony No.6 in E minor)

  7. 1949年~1951年(?):南極交響曲(Sinfonia Antartica、交響曲第7番) 管弦楽、ソプラノ、合唱

  8. 1953年~1955年:交響曲第8番ニ短調(Symphony No.8 in D minor)

  9. 1956年~1957年:交響曲第9番ホ短調(Symphony No.9 in E minor)



彼が作曲家としての成功を勝ち取ったのは「トマス・タリスの主題による幻想曲」と「海の交響曲」によってでした。そして、その成功は「ロンドン交響曲」によってより確かなものとなります。ですから、彼の作曲家としての全ての活動時期を通じて交響曲を書き続けていたことが分かります。そして、その創作活動も十分に時間をとって、様々な新しい試みが為されていました。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズと言えば、20世紀の作曲家としては珍しく穏やかで美しい旋律ラインを持った音楽を書いた人というイメージがあります。初期の標題付きの3つの交響曲はその様なイメージにピッタリの音楽です。
しかし、そう言う世界とは全く違う、暴力的なまでの不協和音に彩られた音楽も書いていたことは、演奏機会が少ないこともあって、あまり広くは知られていません。その典型が第4番と第6番の交響曲なのですが、とりわけ第4番の交響曲の初演の時には、予想を全く裏切られた聴衆はどのように反応すればいいのか大いに戸惑ったと伝えられています。
また、第2次大戦後に発表された第6番の暗鬱にして不気味な音楽は「核戦争後の世界」をえがいたと評されました。(作曲家自身はその様な見方は否定しています。)

しかし、その様な不協和音が炸裂する作品の間で作曲された第5番では、その様な暴力手な世界は影を潜めて彼らしい穏やかな世界が展開したりするのです。

そして、戦後の最晩年の時代に入っても彼の創作力は衰えることなく次々と交響曲を生み出していきます。
イギリス映画「南極のスコット」のために依頼された音楽をベースにして再構成された「難曲交響曲」では、フタタに「海の交響曲」の時のように交響曲という形式から離れて自由に南極の情景とそれに立ち向かう人間の姿を描き出していきます。
ところが、続く第8番では一転して古典的な佇まいを見せる作風に回帰し、最後の第9番では、どこか暗鬱でありながらも神秘的な雰囲気が漂う音楽になっていて、その初演の半年後に彼はこの世を去ります。

第9番の初演の半年後にこの世を去ったとなると、これもまた「第9の呪いか!」となるのですが、その時レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは御年86歳なので、それまで「呪い」にするのはさすがに無理はあるでしょう。

ただ、残念なのは、このように多様性のある世界を「交響曲」という形式で次々と生み出していったのにも関わらず、その認知度はこの国では非常に低いと言うことです。同時代のイギリスの作曲家としてはホルストが日本では有名なのですが(あの、木星の度演歌が日本人の感性にピッタリ)、本国ではその二人は較べようもなく、その評価はエルガーとも肩を並べるとのことです。

おそらくは、作曲家自身の意向だったのか、遺族の意向だったのかは分かりませんが、彼は日本に対して敗戦国条項を適用することを拒否してくれました。ならば、その好意に酬いるためにも、彼の作品を紹介するのがこのようなサイトの責務だと言えるでしょう。

南極交響曲(Sinfonia Antartica、交響曲第7番)


  1. 前奏曲:アンダンテ・マエストーゾ(引用句:シェリーの詩『鎖を解かれたプロメテウス』)

  2. スケルツォ:モデラート~ポコ・アニマンド(引用句:詩篇第104篇)

  3. 風景:レント(引用句:コールリジ『シャモニー渓谷の日の出前の讃歌』)

  4. 間奏曲:アンダンテ・ソステヌート(ジョン・ダン『夜明けに』)

  5. 終幕:アッラ・マルチア、モデラート(ノン・トロッポ・アレグロ)(スコット大佐の最後の日記より)



よく知られているように、もともとは「南極のスコット」という映画のために作曲された音楽を、もう一度交響曲に仕立て直したものです。もともとが映画音楽ですから、楽器編成も自由でウィンド・マシーンなんてものまで登場するし、ソプラノ独唱に女声三部合唱まで使ってしまうのです。さらには、シロフォン、グロッケン、チェレスタ等という、普段はあまり使われない楽器を駆使して氷山や氷の平原を描き出していくあたりも「映画的」です。

ただ、音楽的にはアムンゼンに先を越され最後は悲劇的な遭難に向かっていく様子が描かれていくので、その悲劇の果てに最後は何もなかったように静かな難曲の姿が描かれて終わるというのは、華々しい悲劇で終わるよりももっと恐く感じてしまうのです。


「良い悪い」を超越した公理系


言い訳をするならば、私もまたヴォーン・ウィリアムズの交響曲を聴く機会などというのは殆どありません。実際のコンサートで彼の交響曲を聴いた事があるのは「海の交響曲」だけです。おそらく、大フィルの定期だったと思うのですが、その時も確か「関西初演」みたいな事がパンフレットに書かれていました。
一般的に日本の評論家筋では彼の作品に対する評価が低いので、よほどのことがに限りはコンサートでは取り上げられないようです。かろうじて第5番だけは時折プログラムに載るようです。

そんな背景がありますから、録音の方もそれほど点灯の目立つところに並ぶことはありません。
結局、自分のCDの棚を眺めてみても、ボールトの新旧2種類の全集とバルビローリによる幾つかの録音が並んでいるだけです。新しい指揮者の録音は残念ながら一つもありません。

と言うことで、私にとってのヴォーン・ウィリアムズの交響曲というのはイコール「ボールト盤」なのですから、今さらボールトの演奏と録音を取り上げて云々することはできないのです。何故ならば、それは評価の対象ではなくて、評価するための基準だからです。基準とは基本的に公理系なのですから、それを疑っては世界が成り立たない存在なのです。

なお、今回紹介する旧盤の全集は1950年代のモノラル録音なのですが、まだ発表されていなかった9番を除く8番までは作曲家自身が「監修者」として録音に関わっています。そして、第6交響曲の最後のセッションでボールトとオーケストラに対する感謝を述べたスピーチが全集に収録されています。
残された第9番は作曲家の死後に録音されるのですが、その時に「今回の演奏が作曲者を追悼するものになる」と述べたボールトのスピーチも全集に収録されています。

やはり、何時の時代になっても、この旧盤の全集はヴォーン・ウィリアムズの世界を尋ねる人にとっては「良い悪い」を超越した公理系であり続けることでしょう。