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チャイコフスキー:白鳥の湖, Op.20 「第3幕」
アンタル・ドラティ指揮 (solo violin)ラファエル・ドルイアン ミネアポリス交響楽団 1954年12月14,15日録音をダウンロード
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- Tchikovsky:Swan Lake (ballet), Op.20 [Act III, No.19. Pas de Six Variation 5]
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初演の大失敗から復活した作品
現在ではバレエの代名詞のようになっているこの作品は、初演の時にはとんでもない大失敗で、その後チャイコフスキーがこのジャンルの作品に取りかかるのに大きな躊躇いを感じさせるほどのトラウマを与えました。
今となっては、その原因に凡庸な指揮者と振り付け師、さらには全盛期を過ぎたプリマ、貧弱きわまる舞台装置などにその原因が求められていますが、作曲者は自らの才能の無さに原因を帰して完全に落ち込んでしまったのです。
今から見れば「なぜに?」と思うのですが、当時のバレエというものはそういうものだったらしいのです。
とにかく大切なのはプリマであり、そのプリマに振り付ける振り付け師が一番偉くて、音楽は「伴奏」の域を出るものではなかったのです。ですから、伴奏音楽の作曲家風情が失敗の原因を踊り手や振り付け師に押しつけるなどと言うことは想像もできなかったのでしょう。
初演の大失敗の後にも、プリマや振り付け師を変更して何度か公演されたようなのですが、結果は芳しくなくて、さらには舞台装置も破損したことがきっかけになって完全にお蔵入りとなってしまいました。
ところが、作曲者の死によって作品の封印が解かれた事によってそんな状況が一変したのは皮肉としかいいようがありません。
「白鳥の湖」を再発見したのは、「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」の振り付けを行ったプティパでした。(くるみ割り人形では稽古に入る直前に倒れてしまいましたが)
おそらく彼は、「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」ですばらしい音楽を書いたチャイコフスキーなのだから、その第1作とも言うべき「白鳥の湖」も悪かろうはずがないと確信していたのでしょう。しかし、作曲自身が思い出したくもない作品だっただけに生前は話題にすることも憚られたのではないでしょうか。
ですから、プティパはチャイコフスキーが亡くなると、すぐにモスクワからほこりにまみれた総譜を取り寄せて子細に検討を始めます。そして、当然のことながら、その素晴らしさを確信したプティパはチャイコフスキーの追悼公演でこの作品を取り上げることを決心します。
追悼公演では台本を一部変更したり、曲順の変更や一部削除も行った上で第2幕のみが上演されました。結果は大好評で、さらに全幕をとおしての公演も熱狂的な喝采でむかえられて、ついに20年近い年月を経て「白鳥の湖」が復活することとなりました。
この後のことは言うまでもありません。
この作品は19世紀のロシア・バレエを代表する大傑作と言うにとどまらず、バレエ芸術というもののあり方根底から覆すような作品になった・・・らしいのです。(バレエにはクライのであまり知ったかぶりはやめておきます。)
ただ、踊りのみが主役で、音楽はその踊りに対する伴奏にしかすぎなかった従来のバレエのあり方を変えたことだけは間違いありません。
<お話のあらすじ>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
序奏
オデットが花畑で花を摘んでいると悪魔ロッドバルトが現れ白鳥に変えてしまう。
第1幕 :王宮の前庭
今日はジークフリート王子の21歳の誕生日。お城の前庭には王子の友人が集まり祝福の踊りを踊っている。そこへ王子の母が現われ、明日の王宮の舞踏会で花嫁を選ぶように言われる。まだ結婚したくない王子は物思いにふけり友人達と共に白鳥が住む湖へ狩りに向かう。
第2幕 :静かな湖のほとり
白鳥たちが泳いでいるところへ月の光が出ると、たちまち娘たちの姿に変わっていった。その中でひときわ美しいオデット姫に王子は惹きつけられる。彼女は夜だけ人間の姿に戻ることができ、この呪いを解くただ一つの方法は、まだ誰も愛したことのない男性に愛を誓ってもらうこと。それを知った王子は明日の舞踏会に来るようオデットに言う。
第3幕 :王宮の舞踏会
世界各国の踊りが繰り広げられているところへ、悪魔の娘オディールが現われる。王子は彼女を花嫁として選ぶが、それは悪魔が魔法を使ってオデットのように似せていた者であり、その様子を見ていたオデットの仲間の白鳥は、王子の偽りをオデットに伝えるため湖へ走り去る。悪魔に騙されたことに気づいた王子は嘆き、急いでオデットのもとへ向かう。
第4幕 :もとの湖のほとり
破られた愛の誓いを嘆くオデットに王子は許しを請う。そこへ現われた悪魔に王子はかなわぬまでもと跳びかかった。激しい戦いの末、王子は悪魔を討ち破るが、白鳥たちの呪いは解けない。絶望した王子とオデットは湖に身を投げて来世で結ばれる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』よりの引用終わり
私などは問題を感じないのですが、どうも世の女性達にはこの「エンディング」がいたって評判が悪いようです。
実は、妻と「白鳥の湖」を見に行ったときに、彼女はこのエンディングをはじめて知って「激怒」されました。「男というのはいつもこんな身勝手な奴ばかりだ!」とその怒りはなかなか静まりませんでした。
私などはこれで身勝手だと言われれば、ワーグナーの楽劇などを見た日にはライフルでも撃ち込みたくなるのではないかと懸念してしまいます。
ただし、ポピュラリティが全く違いますし、「白鳥の湖」の公演ともなれば女性が圧倒的に多いのです。
と言うことで、劇場側もこのストーリーは営業上まずいと思ったのでしょう。エンディングで悪魔の呪いがとけて二人は結ばれて永遠の愛を誓ってハッピーエンドで終わる演出もメッセレル版(1937年)以降よく用いられるようになっているそうです。
この変更は物語の基本構造に関わることなので、そんなに安易に変更していいものかと思うのですが、女性達の怒りにはさからえないと言うことなのでしょう。(当然のことながら、原典版のエンディングが許せないと怒っている男性には未だ私は出会ったことがありません。)
モノラル録音の最終完成形
「Mercury」は1955年からステレオ録音を始めていますから、これはまさにモノラル録音の最終完成形に近い録音といえるのかも知れません。
確かに、ステレオ録音に馴染んだ耳からすれば、最初はいささか違和感を感じるかも知れません。しかし、響きがセンターに集中はしていても、驚くほど楽器の分離は良くて、やがては頭の中で補正が効いてくるのか(^^;、その様な違和感はどこかへ行ってしまいます。
それに、考えてみれば、実際のコンサートでのオケの響きと言うものは、ステレオ録音で聞けるような響きよりはどこかモノラル的に響くのも事実です。
言うまでもなくこの録音を担当したのはウィルマ・コザート&ロバート・ファインという黄金のコンビです。
と言うことは、この録音は掛け値なしに一本のマイクだけで拾われた音だと言うことです。まさに、究極の「ワンポイント録音」だと言えます。
ですから、ここで聞ける響きは、ミネアポリス交響楽団の本拠地(Northrop Memorial Auditorium)で鳴り響いていた音そのものだと言えます。後からの編集は一切不可能な録音形式ですから、聞いていてオケの響きに荒っぽさを感じる部分はあるのですが、それでもここまで鍛え上げたドラティの腕の冴えは十分に感じ取れます。
ドラティという人はオケの機動性というのを非常に大切にする指揮者でした。とにかく、その頃のヨーロッパの巨匠達の様な大仰な身振り、言葉をかえればモタモタしたオケの響きとは全く無縁の世界がここにあります。
この機動性に低弦楽器が追随していくのはとても大変だと思うのですが、ミネアポリスのオケは良く健闘しています。
それから、あまり語られることが少ないのですが、ドラティが指揮者としての出発点となったのがバレエの指揮者でした。
1935年にモンテカルロ・バレエ・リュスの副指揮者の職を得たのを振り出しに、やがてそこが分裂すると、ド・バジル大佐が率いるオリジナル・バレエ・リュスで指揮者を勤めます。指揮者の世界ではバレエ指揮者というのはなんだか一段低く見られる風潮があるようなのですが、若い頃のそういう劇場での経験が生かされていて、生真面目でありながら聞かせどころはキッチリと聞かせてくれるサービス精神にも欠けていません。
それから、もう一つ忘れていけないのは、録音にもクレジットされているように、ヴァイオリン・ソロをコンサート・マスターの「ラファエル・ドルイアン」が担当していることです。
「ラファエル・ドルイアン」と聞いてピントくる人はかなりのセル・ファンです。
ドルイアンは、ドラティがダラス交響楽団の指揮者だったときにコンマスを務めていた人で、ドラティが49年にミネアポリスに移ると彼もまたミネアポリスのコンマスに招かれます。そして、60年にドラティがミネアポリスを去ると、今度はセルに招かれて、あのクリーブランド管のコンマスに就任するのです。
この経歴を聞いただけで、いかに凄い人なのかが分かる人は結構なマニアです(^^v
そして、ここでも本当に素晴らしいヴァイオリンを聞かせてくれています。