クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ドビュッシー:3つの交響的スケッチ「海」


コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1958年3月15日~17日録音をダウンロード

  1. ドビュッシー:3つの交響的スケッチ「海」「海の夜明けから真昼まで」
  2. ドビュッシー:3つの交響的スケッチ「海」「波の戯れ」
  3. ドビュッシー:3つの交響的スケッチ「海」「風と海との対話」

ドビュッシーの管弦楽作品を代表する作品



「牧神の午後への前奏曲」と並んで、ドビュッシーの管弦楽作品を代表するものだと言われます。
そう言う世間の評価に異議を唱えるつもりはありませんが、率直な感想としては、この二つの作品はたたずまいがずいぶん違います。

いわゆる「印象派」と呼ばれる作品ですが、この「海」の方は音楽に力があります。
そして曖昧模糊とした響きよりは、随分と輪郭線のくっきりとした作品のように思えます。

正直申し上げて、あのドビュッシー特有の茫漠たる響きが好きではありません。
眠たくなってしまいます。(^^;

そんな中でも聞く機会が多いのががこの「海」です。

作曲は1903年から1905年と言われていますが、完成後も改訂が続けられたために、版の問題がブルックナー以上にややこしくなっているそうです。

一般的には「交響詩」と呼ばれますが、本人は「3つの交響的スケッチ」と呼んでいました。
作品の雰囲気はそちらの方がピッタリかもしれません。

描写音楽ではありませんが、一応以下のような標題がつけられています。


  1. 「海の夜明けから真昼まで」

  2. 「波の戯れ」

  3. 「風と海との対話」





他のどこでも聞くことのできない「強烈な荒れ狂う海」


まず最初にお詫びをしておかなければいけません。
誰にかというと、それはシルヴェストリに対してです。

かつて、彼について「出来上がったオケに乗っかってこそ本領が発揮できるタイプ」だと書いたことがあります。
そして、「そして、ボーンマス響の首席指揮者に就任してからの凋落ぶり見ると、オケの土台作りから始まる一連の煩わしい作業を含めて自分の音楽を構築すると言うことは出来ない人だったようです。」と書いてしまいました。

一体全体、何を聞いてこんな判断をしたのかと、自分で自分を訝しく思ってしまいます。
おそらくは。ヴォーン・ウィリアムスの「トマスの主題による変奏曲」あたりを聞いて、そのあまりにもボッテリとした音色に辟易としてアンナ事を書いてしまったのでしょう。

実は、あの演奏は聞き手の本気度にチャレンジするような録音であり、そこまでの献身を伴わないシステムで再生すると妙に低域のふくらんだ暑苦しい演奏に聞こえてしまうものだったのです。しかし、入力系の純度を上げていくと、低域はふくらんでもいませんし、ボッテリとしていると思われた音色も、豊麗でありながら素晴らしい透明感に満ちた響きであることに気づかされるのです。
そして、それは、デュカスの「魔法使いの弟子」やラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」、サン=サーンスの「死の舞踏」等を聞くと、驚くまでの透明感に満ちた響きと精緻なアンサンブルが実現していることに気づかされるのです。

さらに別のところでは「ボーンマス交響楽団と言えば、このシルヴェストリの後を受けてベルグルンドが首席指揮者に就任して、そのコンビですぐれたシベリウスの交響曲全集を完成させています。この2流(3流?)のオケを通して時代を接する二人の指揮者を並べてみれば、その気質の違いがよく見えてきます。」とまで書いてしまっているのですが、ベルグルンドがこのオケと優れたシベリウスの録音を実現できたのは、ベルグルンド一人の功績ではなくて、その前にシルヴェストリが土台作りをしていたからだと言うことがよく分かります。

シルヴェストリという人はルーマニアでキャリアを積み上げた人なのですが、やがて40代に入る頃に西側に活動の拠点を移しその存在が評価されるようになります。
どういう経緯があったのかは分かりませんが、EMIを中心としてフィルハーモニア管やウィーンフィル、パリ音楽院のオケを指揮してかなりの数の録音を残していますから、その評価はかなり高かったように思われます。しかし、定まったポストは持たないために、その活動は思うに任せぬ部分もあったのではないでしょうか。

私が「出来上がったオケに乗っかってこそ本領が発揮できるタイプ」だと感じたのは、いい訳を許してもらえるならば、そう言う思うに任せぬ部分を感じとったからかもしれません。(^^;
そんなシルヴェストリがようやくつかみ取ったポストがボーンマス響の首席指揮者の地位でした。

そして、そのポジションについて彼がまず最初にやり始めたことが「オケの土台作りから始まる一連の煩わしい作業」であったことが67年、68年に行った録音からははっきりと聞き取ることが出来ます。

何故ならば、これって本当にボーンマス響なの、と思ってしまうほどの素晴らしい響きとアンサンブルが実現しているのです。この精緻極まるボーンマス響のアンサンブルを聴くと、コンセルヴァトワールのオケなどはゴミ満載と言わなければなりません。
ただし、それらの録音がパブリック・ドメインとなって広く公開できるまでにはもう少しの時間が必要です。

ああ、それと比べれば、シルヴェストリはどういう思いでこの言うことを聞こうとしないコンセルヴァトワールのオケと共同作業をしたのでしょう。
ここにはドビュッシー特有の茫漠たる響きもなければ、精妙な色合いも存在しません。

存在するのは気合いと根性だけです。
こういう録音を聞いていると、アンドレ・マルローが何故にこのオケを解散し、7割を超えるメンバーを入れ替えてパリ管を創設したかの理由がよく分かります。
ここには一人ひとりのプレーヤーがオーケストラと言う全体のために奉仕するという思想が全く存在していません。もっとも、それがフランスのオケだと言えばその通りなのですが、たまにやってくる客演指揮者が相手だとその悪癖が露骨に表に出ています。

そして、シルヴェストリも仕方なしにやりたいようにやらせるしかなく、結果としてこういう爆裂型の音楽が出来が上がってしまったのでしょう。
ここではアンサンブルや響きを整えるなどと言うのはもはや不可能であり、出来るのはラストに向かって音楽を煽り立てていくだけです。

ただし、フランスのオケというのはそうやって好き勝手にやらせると、それはそれなりに不思議な味を出してしまうと言う特性を持っているので、シルヴェストリはそう言う部分を上手くすくい上げながら、結果として他のどこでも聞くことのできない「強烈な荒れ狂う海」を作りあげてみせました。

そして、そうやって出来上がった音楽は、私のようなドビュッシーの茫洋たる響きが苦手にものにとってはそれはそれなりに面白く聴けてしまうのです。
ただし、繊細な響きを持ち味とするフランス音楽を愛する人にとっては、これはもう犯罪的とも言えるほどの音楽になっています。

ただし、最初に私の「お詫び」とともに記したように、これを持ってシルヴェストリを爆裂型指揮者と決めつけるのは大きな誤りです。それだけは最後に申し述べておきます。