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ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
ヘルマン・シェルヘン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1953年10月録音をダウンロード
- ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」 「第1楽章」
- ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」 「第2楽章」
- ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」 「第3楽章」
- ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」 「第4楽章」
音楽史における最大の奇跡
この交響曲は「ハイリゲンシュタットの遺書」と結びつけて語られることが多いのですが、それは今回は脇においておきましょう。
その様な文学的意味づけを持ってこなくても、この作品こそはそれまでの形式にとらわれない、音の純粋な芸術性だけを追求した結果として生み出された雄大にして美しい音楽なのですから。
それゆえに、この作品は「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのです。
それでは、その「音楽史上の奇蹟」と呼ばれるのはどんな世界なのでしょうか?
まず一つめに数え上げられるのは主題の設定とその取り扱いです。
ベートーベン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。
しかし、ベートーベンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見し、実証して見せたのです。
冒頭の二つの和音に続いて第1楽章の第1主題がチェロで提示されます。
第1楽章の主題
「運命」がたった4つの音を基本的な構成要素として成立したことと比べればまだしもメロディを感じられますが、それでもハイドンやモーツァルトの交響曲と比べればシンプルきわまりないものです。
それは、もはや「主題」という言葉を使うのが憚られるほどにシンプルであり、「構成要素」という言葉の方が相応しいものです。
しかし、そんな小難しい理屈から入るよりは、実際に音楽を聞いてみれば、このシンプルきわまりない構成要素が楽章全体を支配していることをすぐに了解できるはずです。
もちろん、これ以外にもいろいろな楽想が提示部に登場しますが、この構成要素の支配力は絶対的です。
そして、この第1主題に対抗するべき柔和な第2主題が登場してきてもその支配力は失われないのです。
ベートーベンは音楽の全てがこの構成要素から発し、そしてその一点に集中するようにな綿密な設計に基づいて交響曲を書き上げるという「革新」をなしえたのです。
そして、第5番「運命」ではたった4つの音を基本的な構成要素として巨大な交響曲全体を成立させるという神業にまで至ります。単純きわまる構成要素を執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することで、交響曲の世界を成立させてしまったのです。
音楽において絶対と思われた「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。
しかしながら、これが「奇蹟」の正体ではありません。それは正確に言えば「奇蹟」を実現するための「手段」でした。
二つめに指摘しなければいけないのは、「デュナーミクの拡大」です。
もちろん、ハイドンやモーツァルトの交響曲においても「デュナーミク」は存在しています。
「デュナーミク」とは日本語にすると「強弱」と言うことになるのですが、つまりは強弱の変化によって音楽に表情をつける事を意味します。通常はフォルテやピアノと言った指示やクレッシェンド、ディミヌエンドなどの記号によって指示されるものです。
ベートーベンはこの「デュナーミク」の幅を飛躍的に拡大してみせたのです。
主題が歌謡性に頼っていれば、そこで可能なデュナーミクはクレッシェンドかディミヌエンドくらいです。音量はなだらかに増減するしかなく、そこに急激な変化を導入すれば主題の形は壊れてしまいます。
しかし、ベートーベンはその様な歌謡性を捨てて構成要素だけで音楽を構成することによって、未だ考えられなかったほどにデュナーミクを拡大してみせたのです。
そして、それこそが「奇蹟」の正体でした。
構成要素が執拗に反復、変形される過程で次々と楽器を追加していき、その頂点で未だかつて聞いたことがないような巨大なクライマックスを作りあげることも可能となりました。
延々とピアニッシモを維持し続けた頂点で突然のようにフォルティッシモに駆け上がることも可能です。
さら言えば、その過程で短調から長調への転調も可能なのです。
結果として、ハイドンやモーツァルトの時代には考えられないような、未だかつてない大きさをもった音楽が聴衆の前に現れたのです。そして、その「大きさ」を実現しているのが「デュナーミクの拡大」だったのです。
とは言え、この突然の変貌に対して当時の人は驚きを感じつつも、その強烈なインパクトに対してどのように対応して良いものか戸惑いはあったようです。
当時の聴衆にとってこれは異形の怪物ととも言うべき音楽であり、第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。
しかし、この音楽が聞くもののエモーショナルな側面に強烈に働きかける事は明らかであり、最初は戸惑いながら、やがてはその感情に素直となってブラボーをおくることになったのです。
しかしながら、交響曲は複数の楽章からなる管弦楽曲ですから、この巨大な第1楽章受けて後の楽章をどうするのかという問題が残ります。
ベートーベンはこの「エロイカ」においては、巨大な第1楽章に対抗するために第2楽章もまた巨大な葬送行進曲が配置することになります。
第2楽章の主題
ベートーベンは、このあまりにも有名な葬送のテーマでしっかりと第1楽章を受け止めます。
しかし、ここで問題が起こります。
果たして、この2つの楽章を受けて続く第3楽章は従前通りの軽いメヌエットでよいのか・・・と言う問題です。
答えはどう考えても「否」です。
そこで、ベートーベンは第2番の交響曲に続いて、ここでも当然のようにスケルツォを採用することになります。
つまりは、優雅さではなくて諧謔、シニカルな皮肉によって受け止めざるを得なかったのです。
ベートーベンはこの「スケルツォ」という形式を初期のピアノソナタから使用しています。しかしながら、その実態は伝統的なメヌエット形式を抜け出すものではありませんでした。
そこでの試行錯誤の結果として、彼は第2番の交響曲でついにメヌエットの殻を打ち破る「スケルツォ」を生み出すのですが、その一つの完成形がここに登場するのです。
そして、これら全ての3つの楽章を引き受けてまとめを付けるのが巨大な変奏曲形式の第4楽章です。
ベートーベンはこの主題がよほどお気に入りだったようで、「プロメテウスの創造物」のフィナーレやピアノ用の変奏曲などでも使用しています。
第4楽章の主題
しかしながら、交響曲という形式は常に、この最終楽章をどのようにしてけりをつけるのかという事が悩ましい問題として残ることになります。
ありとあらゆる新しい試みと挑戦が第1楽章で為され、それを引き受けるために第2楽章は緩徐楽章で、第3楽章はスケルツォでという「スタイル」が出来上がっても、それらすべてを引き受けて「けり」をつける最終楽章はどうすべきかという「形式上の問題」は残り続けるのです。
ベートーベンはここでは「変奏曲形式」を用いることでこの「音楽史上の奇蹟」を見事に締めくくってみせたのですが、それは必ずしも常に使える手段ではありませんでした。
しかしながら、この「エロイカ」の登場によって、「交響曲」という音楽形式はコンサートの前座を務める軽い音楽からクラシック音楽の王道へと変身を遂げた事は事実です。
そして、それはまさに「これからは新しい道を進もうと思う」と述べた若きベートーベンの言葉が、一つの到達点となって結実した作品でもあったのです。
デュナーミクの拡大という「エロイカ」の手品の種を明らかにした演奏
ヘルマン・シェルヘンという名前が強く結びついている録音と言えばルガーノ放送管弦楽団とのベートーベン交響曲全集でしょう。1965年の1月から4月にかけて一気呵成にライブ録音で収録されたものですが、売り文句が「猛烈なスピードと過激なデュナーミク、大胆な解釈で荒れ狂う演奏」と言うのですから、まあ、大変なものです。
そして、その全集録音は「ト盤」という言葉結びつき、それ故に「爆裂指揮者」という有り難くもないレッテルを貼られてしまった原因ともなった録音です。
しかし、彼には50年代にもう一つ、革新的でもあり、真っ当でもある全集録音があります。
それが「Westminsterレーベル」によって以下の順で録音された全集です。
なお、録音データに関しては「Westminster」と「TAHRA」では食い違いがあるのですが、ここでは「Westminster」のデータを採用しておきました。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
- 交響曲第7番イ長調 作品92:1951年6月録音
- 交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」:1951年6月録音
- 交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱」:1953年7月録音
- 交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」:1953年10月録音
- 交響曲第1番ハ長調 作品21:1954年10月録音
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団:1954年9月録音
- 交響曲第2番ニ長調 作品36
- 交響曲第4番変ロ長調 作品60)
- 交響曲第5番ハ短調 作品67運命」
- 交響曲第8番ヘ長調 作品93
二つのオーケストラを振り分けているのですが、その振り分けたオーケストラによって明らかにテイストが異なります。
それから、すでにふれたこともでもあるのですが、この「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」というオーケストラの実態についてもう一度確認しておきます。
一般的に考えれば、「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」は「ウィーン国立歌劇場」のオーケストラと言うことになります。
その歌劇場のメンバーの中から入団が認められたものによって結成されているのがウィーンフィルと言う自主団体ですから、「ウィーン国立歌劇場管弦楽団≒ウィーンフィル」という図式が成立するのです。
しかし、この「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」というクレジットがよく登場するウェストミンスターの録音では、それは「国立歌劇場」のオケではなくて、オペレッタなどを上演する「フォルクスオーパー」のオケだったらしいのです。
ですから、ここでは「ウィーン国立歌劇場管弦楽団≒ウィーンフィル」という図式は成立しないのです。
ただしボールト指揮による「惑星」の録音のように「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」というクレジットが「ウィーン国立歌劇場管弦楽団≒ウィーンフィル」を意味している可能性が感じられるものもあるから困ってしまいます。
しかしながら、ここでの「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」は明らかにウィーンフィルの母体となる「国立歌劇場のオケ」とは別の団体のように思われます。
それは同じクレジットであっても、ボールト指揮の「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」と、ここでの「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」では、オーケストラの響きの質が全く異なるからです。
さらに言えば、番・4番・5番・6番を演奏したロイヤルフィルと較べれば、そのアンサンブル能力は次元が違うと言うくらいに開きがあるからです。
もしも、これがウィーンフィルの母体となっていたとしたら、いくら戦争の余塵と影響がくすぶる時代だったとは言え悲しすぎます。
しかしながら、よく言われるように、この世の中に悪いオーケストラというものは存在していなくて、いるのは悪い指揮者だけです。
そして、ここでのシェルヘンは決して悪い指揮者ではないですし、彼が表現しようとしていることは隅から隅まで明らかですから、結果として表面的に響きを磨いただけの演奏よりははるかに聞くものの耳と心を刺激します。
では、その表現意図とは何だったのかと言えば、おそらくはベートーベンがこの「エロイカ」で徹底的に追求した「デュナーミクの拡大」を誰の耳にも明らかなように提示してみせることでした。
ですから、やや遅めのテンポで、構成要素が反復され、変形されていく過程で次々と楽器が積み重なっていく様子が、まるで目で見えるかのような鮮やかさで提示されています。
そして、そのデュナーミクの拡大は結果として聞くものに強烈な感情を呼び起こしますから、ある意味ではフルトヴェングラー的な演奏になっていきます。
しかし、注意しなければいけないのは、シェルヘンはここでその様なドラマとしての「エロイカ」を追求しているのではありません。
ですから、この演奏を「フルヴェン」流の表現を目指したにもかかわらず、残寝ながらスケールが小くなってしまった、なと評するのは大きな誤りなのです。
考えてみれば、この男がそんなものを目指すはずもないのです。
しかし、その様な錯覚を聞き手に与えるとすれば、それほどまでに見事に「エロイカ」の手品の種を明らかにしたと言うことですし、それは同時に「エロイカ」という手品がいかに見事なものかと言うことを証明しているようなものでもあります。