クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


FLAC モノラルファイルデータベース>>>Top

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104


(Cello)エンリコ・マイナルディ オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団1950年録音をダウンロード

  1. ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 「第1楽章」
  2. ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 「第1楽章」
  3. ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 「第楽章」

チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

特徴
この協奏曲は、アメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前に書かれた作品で、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品として名高い(これについて、芥川也寸志は「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っている(『音楽を愛する人に』1971年)。

この作品の主題が原住民インディオや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説があるが、これについては作曲者自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てて1900年に書いた手紙の中で明快に否定しており、その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていない。こうした誤解は、この作品がいかに親しみやすい旋律に満ちているかを物語る証左であるが、それと同時に独奏チェロの技巧性を際だたせる場面にも富んでいる。また、低音の金管楽器を巧みに用いることで、シンフォニックで、かつ柔らかな充実した響きをもたらすことにも成功している。コンチェルトには異例な程オーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには、主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。

この作品を知ったブラームスは「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆息したと伝えられる。

作曲の経緯
1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲された。きっかけは同郷のチェロ奏者、ハヌシュ・ヴィハンからの依頼である。作曲が一度完了後、第3楽章に大幅に手が入れられている。この修正は後述するドヴォルザークの個人的事情によるものだった。

1895年8月にドヴォルザークのピアノ伴奏で試弾したヴィハンは、ソロパートが難しすぎるとの感想を述べ修正を提案したがドヴォルザークは納得せず、カデンツァを入れようと言う提案には激怒。ついには世界初演をヴィハンではなくレオ・スターンに任せるといった一幕もあった。


初演
1896年3月19日、ロンドンのフィルハーモニー協会。独奏は先に述べたようにレオ・スターン、作曲者自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。

依頼者のヴィハンはチェコでの初演を担当し、この曲を献呈されている。


楽器編成
独奏チェロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、弦楽五部

楽曲の内容

第1楽章は、ロ短調で比較的厳密なソナタ形式に則った楽章。曲の冒頭でクラリネットがつぶやくように奏でる主題が第1主題である。第2主題はホルンが演奏するニ長調の慰めに満ちた主題。オーケストラがこれらの主題を提示し、確保した後、独奏チェロが第1主題を奏で、その動機をカデンツァ風に発展させながら登場する。速い動きの経過句を経て第2主題を独奏チェロが奏で、提示部コーダから展開部へと移る。再現部は、オーケストラが第2主題を演奏して始まり、独奏チェロがこれを繰り返す。ついで提示部のコーダ、第1主題の順に再現される。最後はロ長調によるトゥッティによる短いコーダで力強く終わる。
第2楽章はト長調、三部形式。ドヴォルザークのメロディーメーカーとしての天賦の才能がいかんなく発揮された、抒情性に満ちた旋律を堪能できる緩徐楽章。のどかな主題が最初木管楽器で提示され、これを独奏チェロが引き継ぐ。木管と独奏チェロが掛け合いで進行するうち徐々に他の弦楽器も加わり発展させてゆく。中間部はオーケストラの強奏で表情を変えて始まるが、すぐに独奏チェロがほの暗い主題を歌い上げる。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして」op.82-1 (B.157-1)によるものである。やがて第1主題が、ホルンに再現され、第3部に入る。独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏し、最後は短いコーダで静かに終わる。
第3楽章はロ短調のロンド形式。ボヘミアの民俗舞曲風のリズム上で黒人霊歌風の旋律が奏でられるドヴォルザークならではの音楽である。ロンド主題の断片をオーケストラの楽器が受け渡しながら始まり、やがて独奏チェロが完全なロンド主題を演奏する。まどろむような第1副主題、民謡風の第2副主題といずれも美しい主題がロンドの形式に則って登場する。終わり近くで、第1楽章の第1主題が回想されると急激に速さを増して全曲を閉じる。

逸話
ドヴォルザークがこの曲で自身の歌曲を引用したのには理由があった。ニューヨークで作曲中に、夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(彼が若き日に想いを寄せた人でもある)が重病であると言う知らせを聞いたドヴォルザークは、彼女が好んでいた自作の「一人にして」を引用した。

1895年の4月にドヴォルザークは家族と共にプラハへと帰国。その1ヵ月後、彼女は亡くなった。第3楽章のコーダは、このときに第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れるものに書き換えられている。この60小節は修正前は4小節しかなかった。

研究家達によれば、習作のチェロ協奏曲を書いていた時期と、彼女への想いを募らせていた時期がほぼ一致していることから、これらは当時の彼女への想いを振り返り、その後も親しくしていた彼女への感謝が込められていると考えられている。ヴィハンの修正などの提案にドヴォルザークが気分を害した(ヴィハンに「1つも音を変えてはならない」と念押しする書簡まで書いている)のも、彼にしか分からない気持ちがこめられていたからであった。


悠然たる雰囲気の中から、ボヘミアの草原を吹き渡る風の匂いすら漂って来る


最近、このマイナルディというチェリストにすっかり注意を引きつけられています。

取っかかりはバッハの無伴奏チェロ組曲でした。
どのチェリストとも違う悠然たるテンポで紡がれていく瞑想的なバッハにすっかり感心させられました。

その次に注意を引いたのがベートーベンのチェロソナタでした。
それもまた、春風駘蕩たる音楽で、思わず蕪村の句をもじって「ゆく春やおもたきチェロの抱きごころ(ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ)」等と言いたくなるような演奏でした。

チェロにとっては新旧の聖書とも言うべきこの二つの作品で独自の世界を描き出すというのは、なかなか出来るものではありません。
そして、このドヴォルザークのチェロ・コンチェルトです。

バッハとベートーベンで聞かせてくれた世界がこのドヴォルザークでも貫かれているのかと期待したのですが、まさにその期待にドンピシャリで応えてくれている演奏でした。
不思議な話なのですが、オケはヨッフムらしい、どちらかと言えば剛直な雰囲気で豪快にならしている部分もあるのですが、マイナルディのチェロはそんな事は気にもせずに悠然たる歌を聴かせてくれています。
そして、その悠然たる雰囲気の中から、ボヘミアの草原を吹き渡る風の匂いすら漂って来るではないですか。

イタリア人のチェロからボヘミアの風というのは、書いている私も不思議な感じがするのですが、しかしこのマイナルディのチェロを聞いてもらえればそれほど突飛な表現ではない事は納得していただけると思います。

「チェロの貴公子」と言えば今ではフルニエの代名詞ですが、その前はこのマイナルディに奉られていた言葉です。
しかし、この両者を較べてみれば、フルニエの方がはるかに客観性が高くて、時代の標準に添った演奏を展開しています。

それと比べれば、マイナルディの場合は何を演奏しても全てマイナルディならではの色に染め上げてしまいます。
もちろん、色に染め上げると行っても、さらに一昔前のロマン主義的に歪曲する流儀とは異なります。スコアに対しては十分すぎるほどの敬意を払っているのですが、それでもそのスコアは必ずマイナルディという「主観」を通して「音」となっています。
その意味では、このマイナルディというチェリストはこの50年代においても、それより一つ前の時代の匂いを身にまとった音楽家であることが分かります。

もちろん、どの演奏家にしても「譜読み」はするのであって、多かれ少なかれ「主観」によって濾過されるのですが、時代が下るにつれて濾過したのかどうかも分からないほどに「主観」は無色透明になっていきます。
ですから、同じ「チェロの貴公子」であっても、フルニエの「主観」はマイナルディと較べればはるかに色は薄いのです。

そうなると、最後はそう言うマイナルディの色が好きか嫌いかと言うことになってしまいます。
今のところ、私はそれを非常に好ましく思っていますし、このドヴォルザークのコンチェルトなども他にはない味わいが非情に魅力的なのです。