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シューベルト:乙女の嘆き D.191b
(S)キルステン・フラグスタート (P)エドウィン・マッカーサー 1956年3月21日~23日録音をダウンロード
歌詞はシラーの作品です。
シューベルトはこの歌詞に2つの曲を書いているのですが、これは1816年に作曲された二度目のものです。
ものの本によると、一度目は通作形式で書かれ、2度目は有節形式で書かれていると記されています。
「通作形式」とか「有節形式」と言われてもピンとこないのですが、「有節形式」とは以下の歌詞を見れば分かるように1番、2番(1節、2節)という形で同じ旋律が繰り返されるスタイルです。私たちが歌と言うときに思い浮かぶごく一般的なスタイルです。
それに対して、「通作形式」とはそう言う繰り返しはなしに、歌詞が進むに逢わせて新しい旋律をつけていくスタイルのことです。
<第1節>
カシの木の森はざわめき、雲は流れてゆく
乙女は緑の岸辺に腰を下ろしている
波は砕ける
そして乙女は夜の闇の中で溜息をつく
その瞳を涙で濡れていた
<第2節>
「私の心は死んでしまい、この世は虚しいのです
もう望みは何もありません
聖母よ、あなたの御子を呼び戻してください、
私はこの世の幸せを味わいました
私は永らえ、恋してきたのです」
<第3節>
涙はとめどなく流れるが
嘆きも死んだ者を目覚めさせはしない
それでも言うがいい 何が心を慰め癒すのかを
恋の喜びが絶えた後でも
天にある者はそれを拒みはしない
<第4節>
「涙の流れるままにさせてください
嘆きは死んだ者を目覚めさせはしない
この悲しむ胸にとって最も甘美な幸せは
甘い恋の喜びが消え去った後でも
恋の痛みと嘆きなのです」
気品があり、時に垣間見せる劇的な表現は不世出のワーグナー歌手と言われた片鱗をうかがわせる
フラグスタートの最晩年に「Decca」が優れた音質でまとまった録音を残してくれたことには感謝したいと思います。
「歌曲」という分野はどうにも苦手なので先送りをしていたのですが、退職もして時間も出来てきたのですから、ぼちぼち本格的に取り上げていってもいいかと思い始めています。
そして、その第一歩としてはこのフラグスタートの最晩年の録音が相応しかろうかと思う次第なのです。何故ならば、どうにも「歌曲」というものに馴染めない私のようなものであっても、彼女の歌唱だけはすんなりと心に響くからです。
しかしながら、1956年の録音ですから、その時彼女は60歳を超えていました。
器楽奏者ならばどうと言うことはない年齢ですし、指揮者ならばいよいよこれからだという年かもしれませんが、体が楽器の歌手にとっては疑いもなく「最晩年」と言っていい時期でした。
さらに言えば、この録音の数年前に彼女は引退を表明していたのですから、これはカムバック録音と言うことになります。
カラスを例に出すまでもなく、、一度引退した歌手のカムバックなどと言うものはろくでもない結果になるのが常でした。
しかしながら、彼女にとっては「引退」は力尽きての選択と決断ではありませんでした
彼女の引退のきっかけとなったのは、「トリスタンとイゾルデ」の録音における「ハイC」差し替え事件でした。
この話はあまりにも有名なので簡単に記しますが、フルトヴェングラーの指揮で録音した「トリスタンとイゾルデ」の録音(1952年)で、どうしても出なかった「ハイC」の一音をだけシュヴァツルコップに出してもらったのです。そして、それは録音スタジオだけの秘密だったのですが、それをEMIの社員が不用意に外部に漏らしてしまったのです。
それを知ったフラグスタートは激怒をして、EMIとの関係を断ち切るだけでなく、歌手活動そのものからも引退することを表明してしまったのです。
しかし、引退を表明したものの母国ノルウェーでの活動は続けていたようで、さらには一時の感情の勢いで引退を表明したもの録音活動だけならば復帰してもいいかと考え始めるようになるのです。
そして、そう言う彼女の意向をいち早く察知した「Decca」が彼女に働きかけて録音活動に復帰をさせたのです。
その復帰に当たって彼女は幾つかの歌曲とワーグナーからの抜粋による録音を選択したのですが、カルショーはそれをフラグスタートの賢明さのあらわれだと記していました。
それは、己の余力を見切った上での賢い選択だったのです。
この1956年の3月に行われた一連の録音が彼女の復帰第1作であり、その中にはシューベルトやシューマン、グリーグ、そしてワーグナーなどの歌曲が含まれていました。
そして、フラグスタートも、そして「Decca」も、依然として彼女に未だに第一線で活躍できる力が残っていることを確認した上で、次のステップへと移っていくのです
フラグスタートと言えば不世出の「ワーグナー歌手」でした。
「神のごとき」とたたえられたその歌声はこの上もなく豊かであり、オーケストラの響きを突き抜けていく強靱さをもちながらも透明感を失いませんでした。
そんな彼女の全盛期が1930年代のメトロポリタン時代であったことは否定しようはないのですが、それでも晩年になってもその豊かな美しさは衰えてはいません。
そして、何より気品があり、時に垣間見せる劇的な表現は、さすがは不世出のワーグナー歌手と言われた片鱗をうかがわせます。
そして、何よりも録音が素晴らしくいいことが嬉しいのです。
メトロポリタン歌劇場の録音こそがフラグスタートのベストと言われても、あれを最後まで聞き通せる人はそれほど多くはないでしょうから、この「Decca」録音の持つ意義は小さくないのです。
それから、伴奏ピアニストのエドウィン・マッカーサーは1930年代から一貫してフラグスタートのパートナーを務めてきた人物であり、フラグスタートからも全幅の信頼をおかれていました。全く知らない名前だったのですが深々としたよい響きを出すピアニストなので驚かされたのですが、さすがにフラグスタートが見込んだだけのことはあります。