クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35


(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1954年3月27日録音をダウンロード

  1. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
  2. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante ]
  3. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]

これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。



まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。
これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。

チャイコフスキーはヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。

そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。
ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。

このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。

やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのは当時の演奏家にとってはかなり困難だったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。

めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生物語と世に出るまでのよく知られたエピソードです。

しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。

つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。
ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。

ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。
でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?

<追記:2018年2月>

アウアーのカットと原典版の違いが一番よく分かるのは第3楽章の繰り返しだそうです。(69小節~80小節・259小節~270小節・476小節~487小節の3カ所だそうな・・・)
それ以外にも第1楽章で管弦楽の部分をカットしていたりするのですが、演奏技術上の問題からのカットではないようなので、そのカットは「演奏不能」と評したアウアーを擁護するものではないようです。

ちなみにノーカットの演奏を録音したのはクレーメルが最初のようで、1979年のことでした。
ただし、それを「原典版」と言うのは少し違うようです。

なぜならば、通常の出版譜でもカッとされる部分がカットされているわけではなくて、「カット可能」と記されているだけだからです。
そして、その「カット」は作曲家であるチャイコフスキーも公認していたものなので、どちらを選ぶかは演奏家にゆだねられているというのが「捉え方」としては正しいようなのです。それ故に、79年にクレーメルがノーカット版で録音しても、それに追随するヴァイオリニストはほとんどあらわれなかったのです。

ある人に言わせれば、LP盤の時代にこのノーカット版を聞いた人は「針が跳んだのかと思った」そうです。(^^;

ただし、最近になって、本家本元(?)のチャイコフスキーコンクールではノーカットの演奏を推奨しているそうですから、今後はこのノーカット版による演奏が増えていくのかもしれません。


50代前半の、まさに脂ののりきった時代の録音


フランテェスカッティにはモノラルとステレオによる2種類の録音があります。モノラルはミトロプーロス指揮によるもので、ステレオ録音の方はシッパーズ、オケはともにニューヨーク・フィルハーモニックです。
モノラルとステレオという違いの為か、モノラルの方は分が悪いと言わざるを得ません。
さらに、同じ60年代にフランチャスカッティはバーンスタインとのコンビでブラームスやシリウスの協奏曲、ショーソンやラヴェル、サン=サーンスというフランス系の音楽も録音していますから、どう考えても50年代初頭のモノラル録音は影が薄くなると言うよりは、忘却の彼方に消えそうです。

しかしながら、フランチェスカッティの立場から眺めてみれば、モノラル録音の方は50代前半の、まさに脂ののりきった時代の録音であり、それに対してステレオ録音の方は60の坂を越えた後の録音と言うことになります。演奏家の頂点をどの時代に見るかを一概に言うのは難しいのですが、肉体的制約の少ない指揮者であっても60を超えれば衰えが見え隠れするものです。ヴァイオリニストであれば、加齢に伴う衰えはさらに大きな比重を占めるでしょう。
そう言えば、あのホロヴィッツでさえも、60歳を前にした頃になるとオケを相手に勝負をしなければ協奏曲はしんどいと言うことで、コンサートでも録音でもほとんど取り上げなくなっていきました。

そう言えば、60年代のフランチェスカッティの録音を聞いてみると、彼は指揮者に対して控えめにオケを鳴らすことを要求していたような雰囲気があります。そして、その穏やかなフレームの中で自分は自由に好き勝手をやるというスタンスを取っていたようです。
ただし、時にはバーンスタインのように最初の顔合わせではその辺りのすりあわせが上手くいかなかったのか、思わぬガチンコ勝負になってしまっているときもありますが、そうな言うときは聞き手にとっては面白くても、フランチェスカッティにしてみれば妙に居心地が悪くなっていたりします。
やはり、どれほどの名手であっても、60を超えてオケと真っ向から切り結ぶというのはさすがにしんどいのでしょう。

しかしながら、この50年代初頭のミトロプーロスとの録音では、そう言う「切った貼ったの勝負」が十分に成り立っています。第1楽章にしても、最終楽章にしても、最後に向かってミトロプーロスがテンポを上げて襲いかかってきてもそれをがしっと受け止めて一歩も引きません。
フランチェスカッティってこんなにも凄腕のヴァイオリニストだったっけ?等と怪しからぬ事を思ってしまうのは、頂点をこえた時代のステレオ録音で彼のイメージを作りあげてしまっているからなのです。
さらに驚くのは、そう言う凄腕を誇示しながら、他方では「Andante」楽章においてこの上もない妖艶さを振りまいているのです。

おそらく、このような録音を長きにわたって放置してアップしてこなかったのは、すでにステレオ録音によるチャイコフスキーの協奏曲をアップしていたからです。そして、一度後回しにされてしまえば、パブリック・ドメインという新しい収蔵物が毎年積み上げられる状況の下では二度と陽の目を見ることはなかったはずなのです。
そう言う意味では、冗談でもなく、やせ我慢でもなく、Tpp11の発効にともなう保護期間の延長は一面においては「福音」だったのかもしれないのです。
その「福音」がなければ、「世界の縁から滑り落ちようとするもの」をすくい上げ、そして「その物たちが内包している意義深い価値」を呈示することは出来なかったのですから。

幸か不幸か、パブリック・ドメインという新しい収蔵物が運び込まれることがなくなったからこそ、整理もされず記録もされずに倉庫に積み上げられている音源を今一度きちんと整理をして呈示する余裕が与えられたのです。
そして、その滑り落ちようとしたものをこの手にすくい上げて眺めてみれば、これほどの価値ある音楽が今の時代にはほとんどないという現実に突き当たり愕然とするのです。

おそらく、真の不幸はそこにこそ存在しているのでしょう。