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スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より第2曲「モルダウ」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1951年1月24日録音をダウンロード
「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」・・・?。
スメタナの全作品の中では飛び抜けたポピュラリティを持っているだけでなく、クラシック音楽全体の中でも指折りの有名曲だといえます。ただし、その知名度は言うまでもなく第2曲の「モルダウ」に負うところが大きくて、それ以外の作品となると「聞いたことがない」という方も多いのではないでしょうか。
言ってみれば、「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」と言う数式が成り立ってしまうのがちょっと悲しい現実と言わざるをえません。でも、全曲を一度じっくりと耳を傾けてもらえれば、モルダウ以外の作品も「その他大勢」と片づけてしまうわけにはいかないことを誰しもが納得していただけると思います。
組曲「我が祖国」は以下の6曲から成り立っています。しかし、「組曲」と言っても、全曲は冒頭にハープで演奏される「高い城」のテーマが何度も繰り返されて、それが緩やかに全体を統一しています。
ですから、この冒頭のテーマをしっかりと耳に刻み込んでおいて、それがどのようにして再現されるのかに耳を傾けてみるのも面白いかもしれません。
第1曲「高い城」
「高い城」とは普通名詞ではなくて「固有名詞」です。(^^;これはチェコの人なら誰しもが知っている「年代記」に登場する「王妃リブシェの予言」というものに登場し、言ってみればチェコの「聖地」とも言うべき場所になっています。ですから、このテーマが全曲を統一する核となっているのも当然と言えば当然だと言えます。
第2曲「モルダウ」
クラシック音楽なんぞに全く興味がない人でもそのメロディは知っていると言うほどの超有名曲です。水源地の小さな水の滴りが大きな流れとなり、やがてその流れは聖地「高い城」の下を流れ去っていくという、極めて分かりやすい構成とその美しいメロディが人気の原因でしょう。
第3曲「シャールカ」
これまたチェコの年代記にある女傑シャールカの物語をテーマにしています。シャールカが盗賊の一味を罠にかけてとらえるまでの顛末をドラマティックに描いているそうです。
第4曲「ボヘミアの森と草原より」
スメタナ自身も当初はこの曲で「我が祖国」の締めにしようと考えていたそうですが、それは十分に納得の出来る話です。牧歌的なメロディを様々にアレンジしながら美しいボヘミアの森と草原を表現したこの作品は、聞きようによっては編み目の粗い情緒だけの音楽のように聞こえなくもありませんが、その美しさには抗しがたい魅力があります。
第5曲「ターボル」
これは歴史上有名な「フス戦争」をテーマにしたもので、「汝ら神の戦士たち」というコラールが素材として用いられています。このコラールはフス派の戦士たちがテーマソングとしたもので、今のチェコ人にとっても涙を禁じ得ない音楽だそうです。(これはあくまでも人からの受け売り。チェコに行ったこともないしチェコ人の友人もいないので真偽のほどは確かめたことはありません。)スメタナはこのコラールを部分的に素材として使いながら、最後にそれらを統合して壮大なクライマックスを作りあげています。
第6曲「ブラニーク」
ブラニークとは、チェコ中央に聳える聖なる山の名前で、この山には「聖ヴァーツラフとその騎士たちが眠り、そして祖国の危機に際して再び立ち上がる」という伝承があるそうです。全体を締めくくるこの作品では前曲のコラールと高い城のテーマが効果的に使われて全体との統一感を保持しています。そして最後に「高い城」のテーマがかえってきて壮大なフィナーレを形作っていくのですが、それがあまりにも「見え見えでクサイ」と思っても、実際に耳にすると感動を禁じ得ないのは、スメタナの職人技のなせる事だと言わざるをえません。
全盛期への復帰なのかエコーなのか
1951年の1月にフルトヴェングラーはウィーンフィルを相手として幾つかの小品をまとめてスタジオ録音しています。録音を行ったのはEMIなのですが、おそらくはテープ録音が行われていたようで、充分とはいえなくてもかなり良好な音質が確保されているのは嬉しい限りです。
この時期に録音された小品は以下の通りです。
- ケルビーニ:アナクレオン序曲 1月11日録音
- ニコライ:ウィンザーの陽気な女房たち序曲 1月18日録音
- スメタナ:モルダウ 1月24日録音
- シューマン:マンフレッド序曲1月245~25日録音
シューマンのマンフレッド序曲が小品かと言われるといささか言葉に詰まるのですが、それでもコンサートのメインプログラムにはならないだろうと言うことでご容赦ください。
なお、この小品を録音している間にハイドンの交響曲第94番「驚愕」(1月11日~12日&17日録音)も録音しています。
「録音」という行為に懐疑的であり、批判的でもあったフルトヴェングラーにしては珍しい事だと思うのですが、後の世のものにとっては有り難いことでした。
しかし、これら一連の録音を聞くと、フルトヴェングラーの演奏は戦争下の極限状態で行われたものこそが人類の至宝であり、とりわけ戦後にスタジオで録音されたものはつまらないという人の言い分には納得させられてしまう要素があることは事実です。
しかし、その事の根っこには、フルトヴェングラーという指揮者の本質をどうとらえるのかという根本的な問題も潜んでいるように思えます。
私がその事に気づいたのは、山下山人氏の「フルトヴェングラーのコンサート」を読んだことが切っ掛けでした。
興味のある方は是非とも一読願いたいのですが、そこで私が注目したのは山下氏がフルトヴェングラーの全盛期は1922年にベルリンフィルのシェフに就任したときからナチスが政権を握る1933年までだと断言し、それ以降の戦争が終了するまでのフルトヴェングラーの演奏をナチスによって歪に変形させられたものだったと断じたことです。
これはもう、世間一般の常識、とりわけ丸山真男氏やその熱烈な支持者である中野雄氏などの見解に真っ向から異を唱えるものになっています。山下氏にはそう言う気はないかもしれませんが、私にはその様に読めました。
もちろん、私はそのどちらが正しいかなどと言うことにここで言及するつもりはありません。
しかし、フルトヴェングラー演奏の評価に大きな影響力を持っていた丸山真男氏などとは異なる立場を、フルトヴェングラーの演奏記録を全て洗い出すという大変な労力を積み上げることによって示したと言うことは実に新鮮でした。
そして、世間ではつまらないと言われる事の多い戦後のスタジオ録音を聞くと、フルトヴェングラーがナチス政権下の歪な変形から抜け出して再び若い時代のスタイルに戻りつつあるように感じられるのです。
山下氏はこの時代のフルトヴェングラーのことを「縮小の時代」と述べています。
それはフルトヴェングラーのレパートリーが著しく限定されたものとなり、さらには、ナチス政権下の歪さからは解放されたものの、全盛期の活き活きとした活力は蘇っていないというのです。それ故に、戦後の演奏は全盛期の演奏と較べれば「影」のような音楽だと述べています。
ただし、フランスのフルトヴェングラー協会が、この戦後の時代を「アポテオーシス(神格化)」と評価していることは紹介しています。
私としては、指揮者が年を経れば若い時代の活力を失っていくのはやむを得ないことであり、この一連の録音に見られるようにテンポ設定も遅くなっていくのは良くあることです。しかし、その演奏のスタイルはナチス政権下の異常な演奏よりははるかに全盛期のスタイルに近いもののように思われます。
しかしながら、1947年に演奏活動に復帰してからフルトヴェングラーに残された時間は余り多くはありませんでした。
彼が1954年に、わずか68歳でなくなるなどと誰が想像したことでしょう。せめて、あと10年の余裕があれば、おそらくナチス政権下の忌まわしい記憶を振り切って、もう一段高い境地を聞かせてくれたかもしれないと妄想したりするのですが、それもまた妄想でしかありません。
それにしても、昔の巨匠というのは、フルトヴェングラーだけでなく誰もがこのような小品でも手を抜くことなく実に立派に演奏したものだと感心させられます。もちろん、今の指揮者も手を抜いているわけではないのでしょうが、それでもこのように上手く小品を演奏しているのを聞いたことは殆どありません。
それは、録音媒体における「小品」の価値の低下と言うことが根っこにあるのでしょう。
SP番の時代であれば「小品」といえどもそれはメインであり得ました。しかし、デジタルの時代になってからは「小品」は埋め草程度の価値しか持たないようになってしまいました。
そう思えば、フルトヴェングラーが、彼の全盛期を思わせるようなスタイルで、そしてそれが全盛期の「影」にしか聞こえないような演奏だと言われても、こういう形でスタジオ録音が残ったことは実に有り難いことだと思わずにはおれません。1951年の1月にフルトヴェングラーはウィーンフィルを相手として幾つかの小品をまとめてスタジオ録音しています。録音を行ったのはEMIなのですが、おそらくはテープ録音が行われていたようで、充分とはいえなくてもかなり良好な音質が確保されているのは嬉しい限りです。
この時期に録音された小品は以下の通りです。
- ケルビーニ:アナクレオン序曲 1月11日録音
- ニコライ:ウィンザーの陽気な女房たち序曲 1月18日録音
- スメタナ:モルダウ 1月24日録音
- シューマン:マンフレッド序曲1月24日~25日録音
シューマンのマンフレッド序曲が小品かと言われるといささか言葉に詰まるのですが、それでもコンサートのメインプログラムにはならないだろうと言うことでご容赦ください。
なお、この小品を録音している間にハイドンの交響曲第94番「驚愕」(1月11日~12日&17日録音)も録音しています。
「録音」という行為に懐疑的であり、批判的でもあったフルトヴェングラーにしては珍しい事だと思うのですが、後の世のものにとっては有り難いことでした。
しかし、これら一連の録音を聞くと、フルトヴェングラーの演奏は戦争下の極限状態で行われたものこそが人類の至宝であり、とりわけ戦後にスタジオで録音されたものはつまらないという人の言い分には納得させられてしまう要素があることは事実です。
しかし、その事の根っこには、フルトヴェングラーという指揮者の本質をどうとらえるのかという根本的な問題も潜んでいるように思えます。
私がその事に気づいたのは、山下山人氏の「フルトヴェングラーのコンサート」を読んだことが切っ掛けでした。
興味のある方は是非とも一読願いたいのですが、そこで私が注目したのは山下氏がフルトヴェングラーの全盛期は1922年にベルリンフィルのシェフに就任したときからナチスが政権を握る1933年までだと断言し、それ以降の戦争が終了するまでのフルトヴェングラーの演奏をナチスによって歪に変形させられたものだったと断じたことです。
これはもう、世間一般の常識、とりわけ丸山真男氏やその熱烈な支持者である中野雄氏などの見解に真っ向から異を唱えるものになっています。山下氏にはそう言う気はないかもしれませんが、私にはその様に読めました。
もちろん、私はそのどちらが正しいかなどと言うことにここで言及するつもりはありません。
しかし、フルトヴェングラー演奏の評価に大きな影響力を持っていた丸山真男氏などとは異なる立場を、フルトヴェングラーの演奏記録を全て洗い出すという大変な労力を積み上げることによって示したと言うことは実に新鮮でした。
そして、世間ではつまらないと言われる事の多い戦後のスタジオ録音を聞くと、フルトヴェングラーがナチス政権下の歪な変形から抜け出して再び若い時代のスタイルに戻りつつあるように感じられるのです。
山下氏はこの時代のフルトヴェングラーのことを「縮小の時代」と述べています。
それはフルトヴェングラーのレパートリーが著しく限定されたものとなり、さらには、ナチス政権下の歪さからは解放されたものの、全盛期の活き活きとした活力は蘇っていないというのです。それ故に、戦後の演奏は全盛期の演奏と較べれば「影」のような音楽だと述べています。
ただし、フランスのフルトヴェングラー協会が、この戦後の時代を「アポテオーシス(神格化)」と評価していることは紹介しています。
私としては、指揮者が年を経れば若い時代の活力を失っていくのはやむを得ないことであり、この一連の録音に見られるようにテンポ設定も遅くなっていくのは良くあることです。しかし、その演奏のスタイルはナチス政権下の異常な演奏よりははるかに全盛期のスタイルに近いもののように思われます。
しかしながら、1947年に演奏活動に復帰してからフルトヴェングラーに残された時間は余り多くはありませんでした。
彼が1954年に、わずか68歳でなくなるなどと誰が想像したことでしょう。せめて、あと10年の余裕があれば、おそらくナチス政権下の忌まわしい記憶を振り切って、もう一段高い境地を聞かせてくれたかもしれないと妄想したりするのですが、それもまた妄想でしかありません。
それにしても、昔の巨匠というのは、フルトヴェングラーだけでなく誰もがこのような小品でも手を抜くことなく実に立派に演奏したものだと感心させられます。もちろん、今の指揮者も手を抜いているわけではないのでしょうが、それでもこのように上手く小品を演奏しているのを聞いたことは殆どありません。
それは、録音媒体における「小品」の価値の低下と言うことが根っこにあるのでしょう。
SP番の時代であれば「小品」といえどもそれはメインであり得ました。しかし、デジタルの時代になってからは「小品」は埋め草程度の価値しか持たないようになってしまいました。
そう思えば、フルトヴェングラーが、彼の全盛期を思わせるようなスタイルで、そしてそれが全盛期の「影」にしか聞こえないような演奏だと言われても、こういう形でスタジオ録音が残ったことは実に有り難いことだと思わずにはおれません。