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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
(P)アルド・チッコリーニ:コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フランス国立放送管弦楽団 1957年11月25日~26日&28日録音をダウンロード
- Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [1.Moderato]
- Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [2.Adagio sostenuto]
- Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [3.Allegro scherzando]
芸人ラフマニノフ
第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)
さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。
このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。
また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。
ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。
そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?
漂白されきった演奏
このチッコリーニの独奏によるラフマニノフとチャイコフスキーの協奏曲を聞いていると、ふと19世紀の著名な評論家であったハンスリックが、チャイコフスキーの協奏曲に対して「ロシア臭のただよう作品」と酷評したエピソードを思い出しました。その酷評は、チャイコフスキーにとってはアウアーから演奏不能と突き返された失意にさらに塩を擦り込むような思いを味あわせることとなりました。
チッコリーニの演奏とハンスリックの言葉がどうして結びついたのかというと、遠い昔にパラパラと呼んだエドワード・サイードの「オリエンタリズム」が頭をよぎったからです。確かその中で、サイードはオリエンタリズムは文化的な一つの様式として、西洋が失ったものを思い出させ、それを賛美する傾向もあったとしながら、その本質は、西洋を理性的で合理的で自由な世界と定義し、東洋はそれに対して感応的であり、非合理的であり、隷属的であると規定することにあったと指摘していたような記憶があります。そして、その規定が結果的には進んだ西洋が遅れたた東洋を支配するのは道徳的に正しいことであるとして、19世紀以降の植民地支配を正当化するステレオ・タイプとなったと指摘しているのです。
サイードはその後1981年に「イスラム報道」を著し、それはまさに「9.11」以降の西洋とイスラム世界の深刻な対立を見事に予言した内容となっていたのでした。
もちろん、ロシアはサイードが定義した「オリエンタリズム」の範疇には入らないのですが、それでもハンスリックが活躍した西洋から見ればそれは「遅れたスラブ」の国であったことは事実であり、その「ロシア臭のただよう作品」という酷評の背景にはサイードが「オリエンタリズム」の中で指摘したようなステレオ・タイプの基づいた「進んだ西洋と大くれたロシア」という「刷り込み」が根を張っていたことは否定しようがないでしょう。
そして、私がこの演奏からハンスリックの言葉を思い出したのは、このチッコリーニによる二つのスラブの協奏曲がハンスリックが嗅ぎ取ったであろう「ロシア臭」をものの見事なまでに洗い流していたからです。
いや、それは「洗い流す」などと言う生易しいものではなくて「漂白」したと言ってもいいほどに無味無臭な音楽に仕上げているのです。そして、その漂白の程度はより「ロシア臭」の強いラフマニノフの方が徹底されています。
そんなわけで、この二つの演奏をどのように評価すればいいのか、正直言って戸惑ってしまうのです。
確かに、チッコリーニという人は、モーツァルトのピアノソナタにおいても、「モーツァルトのソナタというものはこういう風に演奏するものだ」という「継承」から一度自由になって、それをもう一度ラテン的な明晰さでもって再構築しようとした人でした。
そして、それは50年代という時代における大きな流れとなっていた事も事実ですから、スラブ的な協奏曲をこのようにザッハリヒカイトに、そしてその線上で徹底的に明晰に造形する背景に「オリエンタリズム」というステレオ・タイプを持ち込むのは誤りでしょう。そして、100%の疑いもなく、チッコリーニにはそう言う「オリエンタリズム」的な差別意識がなかったことは事実でしょう。
しかし、恐ろしいのは「ステレオ・タイプ」というものは、決してその人自身は全く意識せずに身につけてしまっていると言うことです。それは、日本人が時々「アジアの国々では」などと言う言い方をすることにほとんどの人が疑問を持たないことからも察することが出来ます。言うまでもなく日本人がその言葉を口にするときに「アジア」には「日本」は含まれていません。
そして、泥沼化する西洋とイスラムの現在の対立を見ていると、そしてアメリカと中国の対立を見ていると、その根深さは私たち日本人には想像もつかないものなのかもしれません。おそらく西洋の東洋に対する偏見と差別意識は、我々日本人には想像できないほどに根深いステレオ・タイプとして根付いているのかもしれません。
直接音楽に関わりのない話になって申し訳ないのですが、この「漂白」されきった演奏を聞いて若い時代にパラパラと呼んだサイードのことを思い出してしまった次第です。それ故に、この「漂白」されきった演奏に対して、民族的情緒には一切よりかからる事なく明晰に分析した演奏であると、どこかで素直になれない自分がいるのです。
なお、この録音は残念なことにと言うべきか、さすがはEMIと言うべきか「モノラル録音」です。ただし、極上の「モノラル録音」であることもまた事実であり、それはそれで「さすがはEMI」と感心するのです。
なお、チッコリーニは1951年にクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団とのコンビでチャイコフスキーの協奏曲を録音しています。
チッコリーニのアプローチは57年の録音とほとんど変わっていませんし、ともにモノラル録音であり、51年の録音クオリティは57年の録音と較べても遜色はありません。逆に、51年録音の方にはその時代ならではなのコンセルヴァトワールのオケが持っていた色気のようなものが感じられる美点がありますので、チッコリーニのチャイコフスキーとしてはそちらの方を選ぶべきかもしれません。
まあ、おかしな事を書いて申し訳ありませんでした。m(_ _)m