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ニューヨーク・フィルへのデビュー・コンサート(2)~スメタナ:モルダウ,ワーグナー:タンホイザー序曲,スーザ:星条旗よ永遠なれ
ジョージ・セル指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1943年7月4日録音(ニューヨーク・フィル デビュー・コンサート)をダウンロード
ニューヨーク・フィルへのデビュー・コンサート
1930年代のセルはプラハのドイツ歌劇場音楽総監督に就任していたのですが、やがてナチスの台頭に脅威を感じてイギリスに活動の拠点を移動します。そして、1939年にオーストラリア・アメリカへの演奏旅行中に第二次世界大戦が勃発したため、帰国をあきらめ、そのままアメリカに定住することを決意をします。
そして、新天地のアメリカではトスカニーニの援助によって(そう、トスカニーニは最後までセルの擁護者でした)NBC交響楽団の客演指揮者として迎えら、メトロポリタン歌劇場でも指揮活動を行うようになります。
しかし、セルにとってアメリカでのキャリアを築く上で決定的な踏み台となったのが、ここで紹介しているにニューヨーク・フィルへのデビュー・コンサートでした。
それは、いわゆる演奏会シーズンが終了した後に行われた「サマー・コンサート」だったのですが、1943年の7月4日と11日の2回のコンサートはセルにとってアメリカにおけるキャリアを積み重ねていく上では極めて重要なステップだったはずです。
ちなみに、その二日間のコンサートのプログラムは以下の通りです。
1943年7月4日
- ベートーベン:交響曲第7番イ長調 作品92
- スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より第2曲「モルダウ」
- ワーグナー:「タンホイザー」序曲
- スーザ:星条旗よ永遠なれ
1943年7月11日
- ウェーバー:「オベロン」序曲
- メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
- リヒャルト.シュトラウス:交響詩「ドンファン」 作品20
- ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー
両日ともに日曜日ですし、こういう夏のコンサートはいわゆる「名曲コンサート」のような内容になることが多いのですが、セルが計画したプログラムはその手のコンサートとしてはかなり意欲的です。
いわゆるドイツ正統派の古典派からロマン派に至る音楽は言うまでもなく、東欧系の音楽、さらにはアメリカの音楽まで幅広く対応できる能力を示そうという意気込みが感じ取れます。
そして、まさにこれをステップとして「完璧主義の権化」とも言うべきアメリカ時代のセルがスタートするのです。
なお余談ながら、1943年と言えば、日本ではその年の5月に学徒戦時動員体制、いわゆる学徒出陣が発表され、さらには米軍のアッツ島上陸で日本軍が全滅して「玉砕」という言葉が使われるようになっていた時期です。そんな時に、アメリカのニューヨークではこのような「サマー・コンサート」が行われていたのかと思うと複雑な心境にならざるを得ません。
<さらにどうでもいい追記>
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
今回のアメリカの大統領選挙を眺めていると、赤狩りでアメリカを追われたチャップリンのこの言葉が驚くほどピッタリです。
とは言え、アメリカ国民にしてみればとんでもない「tragedy(悲劇}」になる可能性は消えたわけではないようです。
そして、考えようによっても、今のコロナ禍も「クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」なのかもしれません。
なんだかタイトルがだんだんサティみたいになってますね・・・(^^;
いったい何が起こったのか
オープニングのベートーベンの演奏が大コケだったことは前回紹介しました。
あんなライブ録音を紹介するのはセルの名誉のためにも宜しくないとは思ったのですが、しかし、そこから何があったのかは分からないのですが、後半からはセルもオケも別人のように蘇るのです。
おそらく、ベートーベンの後に休憩時間があったはずです。
その間にセルの胸中にどのような思いが去来したのかは分かりませんが、これではいけないと思ったことだけは確かでしょう。そして、後半の最初はスメタナの「モルダウ」です。おそらく、立て直すならばここしかないという作品だったはずです。
おそらく、この短い休憩時間の中で落ち着きを取り戻し、過去はいくら悔やんでもどうしようもないと言うことを思い定め、いつもの集中力を取り戻すことにのみ意識を集中したはずです。
そして、その事によってオケへの指示はいつもの的確さを取り戻し、それにつられてニューヨーク・フィルも少しずつ本来の姿を取り戻していきます。
セルは、この後もこの作品をスタジオ録音をしていますし、演奏会でも何度も取り上げています。そして、それらの演奏とこの当日の演奏を聞き比べてみれば、ほぼ違いは感じられないほどに仕上げています。
セルという人はライブでもスタジオでも、そして時を経ても作品へのアプローチがほとんど変わらない指揮者だったのですが、そう言うセルの本来の姿を取り戻しています。
そして、それに続くワーグナーの「タンホイザー」序曲でも、途中で次第に熱くなって燃え上がりそうになったりするのはセルらしくはないのですが、それはそれで聞き手にとっては悪くない雰囲気です。しかし、そう言う音楽はセルが目指すものでないことも事実であって、それに気づいたセルは最後に向かってもう一度冷静さを取り戻して、最後は堂々たる見上げるような構築物としての音楽を作りあげています。
この音楽の大きさは後のスタジオ録音を上回っているかもしれません。
そして、最後はスーザの行進曲は誰が振っても勢いで突き進んでいくだけですから、セルだからと言う特徴がでるはずもないのですが、最後の最後にブラボーをもらうにはもってこいの作品だったことでしょう。
それにしても、前半と後半の間の休憩時間にいったい何があったんだと、あれこれと想像をたくましくさせてくれるライブ録音です。しかし、この成功によって確かなキャリアの第一歩を踏み出せたことは間違いないようです。