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J.S.バッハ:管弦楽組曲第4番 ニ長調 BWV1069
アドルフ・ブッシュ指揮 ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズ 1936年9月27日~28日録音をダウンロード
- J.S.Bach:Orchestral Suite No.4 in D major, BWV 1069 [1.Ouverture]
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- J.S.Bach:Orchestral Suite No.4 in D major, BWV 1069 [3.Gavotte]
- J.S.Bach:Orchestral Suite No.4 in D major, BWV 1069 [4.Menuett]
- J.S.Bach:Orchestral Suite No.4 in D major, BWV 1069 [5.Rejouissance]
ブランデンブルグ協奏曲と双璧をなすバッハの代表的なオーケストラ作品
ブランデンブルグ協奏曲はヴィヴァルディに代表されるイタリア風の協奏曲に影響されながらも、そこにドイツ的なポリフォニーの技術が巧みに融合された作品であるとするならば、管弦楽組曲は、フランスの宮廷作曲家リュリを始祖とする「フランス風序曲」に、ドイツの伝統的な舞踏音楽を融合させたものです。
そのことは、ともすれば虚飾に陥りがちな宮廷音楽に民衆の中で発展してきた舞踏音楽を取り入れることで新たな生命力をそそぎ込み、同時に民衆レベルの舞踏音楽にも芸術的洗練をもたらしました。
同様に、ブランデンブルグ協奏曲においても、ともすればワンパターンに陥りがちなイタリア風の協奏曲に、様々な楽器編成と精緻きわまるポリフォニーの技術を駆使することで驚くべき多様性をもたらしています。
ヨーロッパにおける様々な音楽潮流がバッハという一人の人間のもとに流れ込み、そこで新たな生命力と形式を付加されて再び外へ流れ出していく様を、この二つのオーケストラ作品は私たちにハッキリと見せてくれます。
ただし、自筆のスコアが残っているブランデンブルグ協奏曲に対して、この管弦楽組曲の方は全て失われているため、どういう目的で作曲されたのかも、いつ頃作曲されたのかも明確なことは分かっていません。
それどころか、本当にバッハの作品なのか?という疑問が提出されたりもしてバッハ全集においてもいささか混乱が見られます。
疑問が提出されているのは、第1番と第5番ですが、新バッハ全集では、1番は疑いもなくバッハの作品、5番は他人の作品と断定し、今日ではバッハの管弦楽組曲といえば1番から4番までの4曲ということになっています。
- 管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV1066
荘厳で華麗な典型的なフランス風序曲に続いて、この上もなく躍動的な舞曲が続きます。 - 管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067
パセティックな雰囲気が支配する序曲と、フルート協奏曲といっていいような後半部分から成り立ちます。終曲は「冗談」という標題が示すように民衆のバカ騒ぎを思わせる底抜けの明るさで作品を閉じます。 - 管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068
この序曲に「着飾った人々の行列が広い階段を下りてくる姿が目に浮かぶようだ」と語ったのがゲーテです。また、第2曲の「エア」はバッハの全作品の中でも最も有名なものの一つでしょう。 - 管弦楽組曲第4番 ニ長調 BWV1069
序曲はトランペットのファンファーレで開始されます。後半部分は弦楽合奏をバックに木管群が自由に掛け合いをするような、コンチェルト・グロッソのような形式を持っています。
ナチス支配下にある「輝けるドイツ芸術」への異議申し立て
アドルフ。ブッシュによるバッハのブランデンブルグ協奏曲と管弦楽組曲は、スイスに亡命をしたアドルフ・ブッシュが中心となって、当時のヨーロッパを代表する錚々たるソリストを糾合した録音となっているのです。おそらく、そこにはナチスに対する強い意志を感じとるのは私だけではないはずです。
戦前の古い録音を辿っているとどうしてもナチスとどのように関わったのかと言うことは避けては通れません。それは、芸術と政治は別だろうと言う、一見すれば正当に思える主張などを吹っ飛ばしてしまうほどの出来事だったからです。
おそらく、ナチスほど政治的目的を実現するために芸術を利用した集団はいないでしょう。そして、困ってしまうのは、その政治が目的とした現実が、戦後のドイツ政府でさえ「永遠に国際社会から許してもらえなくても仕方がない」と言わざるを得ないほどの酷いものだったと言うことです。
ですから、ナチス支配下のドイツに留まって純粋に芸術活動を行っただけだという主張は、客観的に見れば、非人道的という言葉でさえも足りないナチスの行いに消極的であっても荷担したことを自白するようなものなのです。
ですから、そのままドイツに残ろうと思えば残れた立場であるにもかかわらず、ユダヤ人の排斥を隠そうともしないナチスの振る舞いに抗議の意志を示して亡命を決意したドイツ人芸術家がいたことは、民族としての道義をギリギリのところで守ったとも言えます。
しかし、その様な存在は戦後のドイツにおいてはこの上もなく目障りな存在になったことも事実です。
何故ならば、民族としての道義を辛うじて担保した彼らの振る舞いは、そのままドイツに残った己の不甲斐なさ、さらに言えばより積極的に犯してしまった自らの犯罪的行いを照らし出す存在となるからです。
そう言えば戦後ドイツに復帰したエーリヒ・クライバーに対して好意的な態度を示したのはフルトヴェングラーだけだったと言われています。私はこの一点において、フルトヴェングラーの偉大さを確信しました。
しかし、それでもエーリヒはその事に深く傷ついて、戦後の活動の拠点をアメリカに据えてしまいますし、ヨーロッパでの活動はコンセルトヘボウが中心になっていきました。
言うでもなく、アドルフ・ブッシュこそは輝けるドイツを代表する純粋アーリア人(そんなものがあるとすれば・・・ですが)のヴァイオリニストでした。
しかし、彼の娘婿であるルドルフ・ゼルキン、さらには弦楽四重奏団の仲間はユダヤ人でした。彼らとの縁を切ってドイツに残れば輝かしい地位が約束されていたのですが、彼は仲間を選び、1935年にスイスに亡命します。
1935年に録音したブランデンブルク協奏曲はまさにヨーロッパを代表するソリストを糾合した録音となっています。それに対して、この管弦楽組曲の録音は彼が移り住んだスイスのバーゼルで結成した室内楽団(ブッシュ・チェンバー・プレイヤー)によって録音されています。いわゆる「ソリスト」は必要ない作品なのですから、当然と言えば当然のことです。
ちなみに、ブッシュはこのバーゼル時代にユーディ・メニューインなど、多くのヴァイオリニストを教えていますから、もしかしたらこの室内楽団にメニューインも参加していたかもしれません。(全く根拠はありませんが・・・^^;)
この当時、ナチスは何度もアドルフ・ブッシュに帰国するようにうながすのですが、それへの回答は「ヒトラー、ゲッベルスとゲーリングが公に絞首刑にされた日に喜びをもって帰国する」との宣言でした。
それ故に、この一連のバッハ録音は疑いもなく、ナチス支配下にある「輝けるドイツ芸術」への異議申し立てであったに違いないのです。
バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」や「管弦楽組曲」というのは結構恐い音楽であって、下手をすればいとも容易くBGMのような音楽に変身してしまいます。いや、BGMのような音楽になってしまっている録音の方が多いようにさえ思えるほどです。
しかし、このアドルフ・ブッシュが中心となった録音は何処を探してもそう言う安易なBGM的な雰囲気はありません。
かといって、わざとらしい荘重さや重さもなく、何ともいえない気高さを感じる音楽がそこにはあります。そして、それこそが「これこそがドイツの音楽だ!」というナチスへの抗議であり、アドルフ・ブッシュの魂だったのでしょう。
なお、彼は最終的には1952年にこの世を去るまでアメリカのバーモントに定住して、ドイツに帰ることはありませんでした。