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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 Op.10-2


(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月15日~16日録音をダウンロード

  1. Beethoven: Piano Sonata No.6 In F, Op.10 No.2 [1. Allegro]
  2. Beethoven: Piano Sonata No.6 In F, Op.10 No.2 [2. Allegretto]
  3. Beethoven: Piano Sonata No.6 In F, Op.10 No.2 [3. Presto]

新しいスタイルを模索するベートーベン



"3つのピアノソナタ"としてまとめて発表されていますが、一つ一つがユニークさをもっていて、意欲満々で新しい形式を模索するベートーベンの姿を感じ取ることができます。
曲の配列は作品2の時と同じで、ここでもハ短調のソナタを1番に持ってきて、最も演奏効果の高いニ長調のソナタを最後に持ってきています。

そう言えば、チャールズ・ローゼンはこの3曲のことを「彼は情熱的な英雄気取りで1曲目をはじめ、より機知に富んだ2曲目へと続き、雄大な広がりを見せて3曲目を終えている」と述べています。

そして、この中で一番ユニークであり優れているのがピアノソナタ第7番の第2楽章です。
"ラルゴ・エ・メスト"と記されたこの楽章は、ベートーベン自身が「悲しんでいる人の心のありさまを、様々な光と影のニュアンスで描こうとした」ものだと語っています。
"メスト(悲しみ)"と記されているように、ベートーベンの初期作品の中では際だった深刻さを表出している作品です。

また、ラルゴというスタイルを独立した楽章に用いるのもこれが最後になるだけに意味深い作品だと言えます。

それ以外にも、例えば第5番のソナタの第1楽章の構築感は紛れもない「ベートーベンそのもの」を感じ取ることができますし、緩徐楽章が省かれた第6番のソナタのユニークさも際だっています。
初期のピアノソナタの傑作とも言うべき第8番「悲愴」の前に位置する作品で、見過ごされることの多い作品ですが、腰をすえてじっくりと聞いてみるとなかなかに魅力的な姿をしています。

ピアノソナタ第6番 ヘ長調 作品10の2


  1. 第1楽章 Allegro
    ぱっと聞いただけではこぢんまりとしたソナタだが、第1主題は結構複雑です。
    二つの短いスケルツァンド(諧謔的な)的な動機に8小節もの「cantabile」と書かれたメロディで構成されています。そして、13小節目からすぐに属調への移行が始まり、それが半終止で区切りがつくと突然ハ長調で第2主題が始まります。
    当時の人はこういう音楽の流れに喜劇的な要素を感じとったのでしょうか。

    また、最後の再現部で第1主題が帰ってくるのですが、よく聞いてみると音程がおかしいのですが、それはピアニストが間違ったのではなくて、それも一種の冗談としての仕掛けだったようです。

  2. 第2楽章 Allegretto
    「A - B - A'」という3部形式です。
    その意味では、緩徐楽章を欠くこのソナタではこの第2楽章は「スケルツォ」の性格を持つのでしょうが、若きベートーベンはそこまでの決断は出来ずに「アレグレット」と書くにとどまっています。

    第1部と第2部は規則通りの8小節で構成されていますが、第3部では第1部を基本に最初の4小節の後に2小節の二声の対位法を置き、その後ろ4小節を反復する14小節で構成されています。
    また、三拍子の二拍目にアクセントを置くシンコペーションが聞き手をからかうような雰囲気がこの楽章にも存在します。

  3. 第3楽章 Presto
    明らかにハイドンを思い起こさせるような音楽です。
    頑固なまで一定のテンポが維持され、その上で繊細であってもベートーベンらしい動きに満ちたスタッカートを実現しないといけません




見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン


ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。

この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。

  1. 1953年10月8&9日録音:1番~3番

  2. 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番

  3. 1953年10月22日録音:8番~10番

  4. 1953年10月26日録音:11番

  5. 1953年10月29日録音:12番~13番&15番

  6. 1953年11月1日録音:14番

  7. 1953年11月6日録音:16番~18番&21番

  8. 1953年11月13日録音:22番&24番~25番

  9. 1953年11月20日録音:23番&27番

  10. 1953年11月26日録音:30番~31番

  11. 1953年11月27日録音:26番&32番

  12. 1954年1月11日録音:28番~29番


グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。

しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。

それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。

さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)

ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。

当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。

そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。

そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。

ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。

しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。

そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。