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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第12番「葬送」 変イ長調 Op.26
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月29日録音をダウンロード
- Beethoven: Piano Sonata No.12 In A Flat, Op.26 [1. Andante con variazioni]
- Beethoven: Piano Sonata No.12 In A Flat, Op.26 [2. Scherzo (Allegro molto)]
- Beethoven: Piano Sonata No.12 In A Flat, Op.26 [3. Marcia funebre sulla morte d'un Eroe]
- Beethoven: Piano Sonata No.12 In A Flat, Op.26 [4. Allegro]
ウィーンの伝統様式を身にまとった18世紀的なソナタからは離れてい
このソナタは18世紀的なソナタを自らのものとし、その伝統的な様式を自由に操る能力を身につけたベートーベンがいよいよ新しい世界に踏み出したことを「密やか」に宣言した作品だと言えます。
それは、このソナタが書かれた1800年に第1番の交響曲と、作品番18の6曲からな弦楽四重奏曲を書き上げている事からも窺うことが出来ます。
ピアノソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲という3つのジャンルは、ベートーベンの生涯を貫いて取り組まれたジャンルでした。
パウル・ベッカーは「オーケストラの音楽史」の中で次のように述べています。
「ベートーベンのオーケストラ曲は、彼の創作活動の原点ではない。かといって、その頂点でもない。前者に相当するのはピアノソナタであり、後者に当たるのは弦楽四重奏曲だ。」
確かに、彼はピアノソナタというジャンルで道を切り開き、交響曲という分野でそれを踏み固め、そして弦楽四重奏曲の世界で完成させました。そして、そのたどり着いた道の切り岸で、再びピアノソナタというジャンルにおいて新しい道を切り開きはじめるのです。
この作品番号26の変イ長調ソナタは、まさにその様にして新しい道を切り開きはじめた最初の作品なのです。
そこではウィーンの伝統様式を身にまとった18世紀的なソナタからは離れていくことになります。
それは、言葉をかえれば、これ以降のソナタにおいてはベートーベンならではの強い個性が刻印されるような作品が生み出されていくことを意味したのです。
それでは、このソナタの「新しさ」は何かと言えば、それは4楽章構成のどの楽章においてもソナタ形式が採用されていないと言うことです。
ですから、このソナタはロマン派風の性格的小品の作品群という佇まいをもっています。
例えば、第1楽章冒頭の「Andante」の美しさは後の時代のジョパンを思わせます。実際、ショパンは数あるベートーベンのソナタの中でもこのソナタを好んだと伝えられています。
しかしながら、この変奏曲形式で書かれた叙情的な音楽では、その叙情性を打ち消すように「subito piano(急激に弱く)」が多用されています。クレッシェンドの後に突然ピアノにすることを要求するこの手法はベートーベンがはじめて用いたと言われていますが、この聞き手を驚かせる手法は最晩年まで用いられることになります。
ちなみに、この「subito piano」は前作の作品22のソナタの最終楽章においても多用されていました。
また、ローゼン先生は、多くのピアニストがこの変奏曲形式の音楽において、その変奏の性格に引きずられてテンポを遅くしたり速くしたりする誘惑にかられることが多い(第3変奏は遅く、第4変奏は速く)と述べて、その様な根拠はどこにもないと指摘しています。
続く第2楽章は洗練されたスケルツォで、そのアクセントのまずい処理によってその洗練を損なうことは許されません。
そして、第3楽章は「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」とタイトルがつけられているのですが、その「英雄」とは具体的な誰かをイメージしたものではなくて、一つの抽象的な存在としてイメージされたものだと思われます。
この楽章ではベートーベンはティンパニと金管楽器の響きをイメージしていることは明らかであり、ピアニストはその事を意識してペダルを使い分けることが求められます。
ティンパニーのロールにはベダルを添え、金管の響きにはペダル無しの乾いた響きが必要です。
また、ローゼン先生は、「葬送行進曲」というタイトルに引きずられて必要以上に遅いテンポを設定するのは現代人の偏見であると述べています。
そして、最終楽章のロンド形式だけが、どこか昔ながらのスタイルを思い出させてくれます。
確かに、一つもソナタ形式を持たないがゆえに「はっきりとした中心点をもたない作品」と言われることも多いのですが、それでも聞き終わってみればどこかに大きな統一感を感じることも事実です。
そして、何よりも「葬送行進曲」がもつ圧倒的な感情の発露は、そう言う細かいことを忘れさせるほどの力があることは事実なのです。
ベートーベンはこの作品によって、未だ誰も踏み出したこともない、そして引き返すことの不可能な新しい道へと踏み出したのです。
- 第1楽章:アンダンテ・コン・ヴァリアティオーニ 変イ長調 (変奏曲形式)
- 第2楽章:スケルツォ 変イ長調
- 第3楽章:「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」 変イ短調
- 第4楽章:アレグロ 変イ長調 (ロンド形式)
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
- 1953年10月8&9日録音:1番~3番
- 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
- 1953年10月22日録音:8番~10番
- 1953年10月26日録音:11番
- 1953年10月29日録音:12番~13番&15番
- 1953年11月1日録音:14番
- 1953年11月6日録音:16番~18番&21番
- 1953年11月13日録音:22番&24番~25番
- 1953年11月20日録音:23番&27番
- 1953年11月26日録音:30番~31番
- 1953年11月27日録音:26番&32番
- 1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。