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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」


(P)ヴィルヘルム・バックハウス:クレメンス・クラウス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年5月録音をダウンロード

  1. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]
  2. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso]
  3. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [3.Rondo. Allegro]

演奏者の即興によるカデンツァは不必要



ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。



申し分のない組み合わせなのですが・・・


ピアノがバックハウス、指揮がクレメンス・クラウス、そしてオケがウィーン・フィルという申し分のない組み合わせなのですが、何故か余り注目されてこなかった録音です。
もちろん、理由はすぐに察しがつきます。それは、50年代の後半にハンス・シュミット=イッセルシュテットとウィーン・フィルとの組み合わせによるステレオ録音が存在するからです。イッセルシュテットの指揮も悪いものではありませんし、バックハウスも70歳をこえている時期でしたがそれほどの衰えは感じられません。

そうなるとステレオによる録音の優秀性は大きく、この50年代初頭のモノラル録音は忘却の彼方に沈んでしまう運命となったのです。
私の手もとには以下の3曲の録音があります。録音年代順に並べると以下の通りです。

  1. ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58:1951年5月31日録音

  2. ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19:1952年5月25日~26日録音

  3. ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」:1953年5月録音


1番と3番は録音したのかどうかは分かりませんが、おそらく「全集」に仕上げると言うことにはあまり価値を見いださなかった時代ですから、おそらくこの3曲だけを録音したのでしょう。少なくとも私は見つけ出すことは出来ませんでした。

しかしながら、いかにモノラルによる古い録音と言えでも、実際に聞いてみると忘れてしまうには惜しいと思わせるものを持っていることに気づかされます。

まずは、バックハウスのピアノは、未だ60代だったこの頃と、70歳を超えたステレオ録音とでは全く同じとは言い難いようです。それは、ピアノ・ソナタの全曲録音においても同じ事が言えました。
ベートーベンの積み上げた論理を作曲家になりかわって誠実に、そして確信を持って再現しきれているのはモノラル録音の方であって、さらに言えば、バックハウスならではのピアノの響きの美しさも印象的です。

また、クレメンス・クラウスとウィーン・フィルとの相性の良さも聞き物です。決して、軽くはないのですが、かといってベートーベンだからと言うことで重々しくなることもありません。そして、そう言うクレメンスとバックハウスの二人がお互いの特徴を引き立てあっているように聞こえます。
とりわけ、素晴らしいと思ったのは、ベートーベンのピアノ協奏曲の中ではもっとも聞かれる機会の少ない第2番の演奏です。

言うまでもないことですが、そう言うことを書いたからと言って、このモノラル録音が後年のステレオ録音を押しのけるほどの存在打倒つもりはありません。
しかし、第2番の協奏曲の魅力だけは後年のステレオ録音に勝るものがあるように思われます。