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スメタナ:チェコの歌, JB 1:111


ヴァーツラフ・ターリヒ指揮:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 プラハ・フィルハーモニー合唱団 1954年11月6日録音をダウンロード

  1. Smetana:Czech Song, JB 1:111 [1.Moderato]
  2. Smetana:Czech Song, JB 1:111 [2.Andante]
  3. Smetana:Czech Song, JB 1:111 [3.L'istesso tempo: Allegretto]
  4. Smetana:Czech Song, JB 1:111 [4.Moderato]
  5. Smetana:Czech Song, JB 1:111 [5.Moderato maestoso]

民族に勇気を与える力を持つ音楽への賛辞



スメタナと言えば「我が祖国」であり、それ以外の作品と言えば「売られた花嫁」や弦楽四重奏曲「我が生涯」、もしかすれば歌劇「ダリボル」あたりまでを思い出せればいい方で、それに続く作品となるとなかなか浮かんでこないのが現実です。
しかし、調べてみると、彼は実に多くのピアノ作品を残しており、合唱用の作品も少なくありません。

この「チェコの歌」は演奏される機会は決して多くはないのですが、そう言うスメタナの合唱作品の中ではこうして録音が残っていると言うことは、母国ではそれなりの認知度があるのでしょう。
ただし、この作品が合唱とオーケストラによるカンタータとも言うべき形に落ちつくまでには長い年月を要したようです。

まず最初は伴奏のない男声合唱のための作品として作曲されました。その後ピアノ伴奏付きの画商曲に改訂されたのですが、この時に内容的にも大きく見直しが為され、タイトルも「チェコの歌」となったようです。そして、最終的にはオーケストラ伴奏付きの小さなカンタータのような作品へと書き換えて決定稿となったようです。最初の男性合唱曲は1840年にかかれ、オーケストラ伴奏付きの決定稿が完成したのは1878年ですから、随分と紆余曲折を経たものです。

作品のテキストはチェコの詩人であり、司祭でもあったヤン・インドゥジヒ・マレク(Jan Jindrich Marek)が提供したもので、4つの物語で構成されています。

まず最初は混声合唱によるチェコの宗教歌で始まり、最後は「ついに必ず勝つ」というフス派の讃美歌をポリフォニックに発展させて終わります。
第2曲は女声合唱団が、詩的で優しい愛の歌を歌います。
第3曲は男声合唱によって仲間たちとの楽しい交流の姿を歌います。
そして、最後は混声合唱によって愛国的な歌で国を活気づけ、そして、そう言う力を与える音楽への賛辞で締めくくられます。



チェコ・フィルは言うまでもなく合唱陣も素晴らしい出来


この作品もほとんど取り上げられることの少ない作品だけに、ターリヒによる優れた演奏の録音が残ったことに感謝したいと思います。
ただし、この作品はターリヒにとってはいささか因縁を含んだ作品でもあります。

チェコは1939年の第2次大戦の勃発によってナチスの支配下に入ります。しかし、その占領下に於いて、ターリヒを中心として「我が祖国」などを含む作品を取り上げた「プラハ5月音楽祭」を実現させます。この時の「我が祖国」の演奏は凄まじいもので、聴衆の盛り上がりはそのままナチス・ドイツに対するレジスタンスとなっていると言っていいものでした。
それはもはや「演奏会」などと言うものの枠を破って、一つの歴史的事件と言っていいものでした。と、ここまで書いて、そのかんじんの1939年の録音を未だに紹介していないことに気づきました。(^^;
これは、出来るだけはやく紹介しなければいけないですよね。

そして、この出来事がナチスを硬化させたようで、翌年の「わが祖国」の演奏では、第5、6曲「ターボル」、「ブラニーク」は、チェコ人の愛国心を煽るとして、スメタナの「チェコの歌」に差し替えられるという出来事が起こります。
しかし、聞けば分かるように「チェコの歌」も十分に愛国的な内容であって、おそらくは、ナチスにとの間におけるギリギリの妥協点だったのでしょう。そして、それほどまでに我が祖国の「ターボル」、「ブラニーク」には破壊力があったのでしょう。

戦後になって、ターリヒはモスクワ帰りのネイェドリィー文化大臣にナチスに協力したとの難癖をつけられて音楽活動を制限されるのですが、それでも祖国が独立した事への喜びは大きかったようで、祖国への深い愛情は失わなかったようです。
そして、1954年には再びチェコ・フィルの首席指揮者・音楽監督に返り咲き、最後の録音活動も活発に行うようになります。

この「チェコの歌」もそう言うターリッヒが引退する直前に活発に行った録音活動の一つとして残されました。
チェコ・フィルは言うまでもなく合唱陣も素晴らしい出来で、このマイナーな作品の姿を知る上ではなんの不満もありません。
そして、かつて、我が祖国の「ターボル」、「ブラニーク」をこの「チェコの歌」に差し替えさせられたときのこともターリッヒの脳裏には浮かんでいたのかもしれません。