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ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第2集 作品72
ヴァーツラフ・ターリヒ指揮:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1935年11月録音をダウンロード
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[1.Odzemek. Vivace]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[2.Dumka. Allegretto grazioso]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[4.Dumka. Allegretto grazioso]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[3.Skocna. Allegro]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[5.Spacirka. Poco Adagio?Vivace]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[6.Polonaise. Moderato, quasi menuetto]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[7.Kolo. Allegro vivace (C major)]
- Dvorak:Slavonic Dances Op.72[8.Sousedska. Grazioso e lento, ma non troppo, quasi tempo di Valse]
メランコリックで美しい旋律を持った作品が多い
スラブ舞曲の予想以上の大成功に気をよくした出版業者のジムロックは早速に第2集の作曲をドヴォルザークに依頼します。しかし、第1集の大成功で名声を確立したドヴォルザークは、彼が本来作曲したかったような作品の創作へと向かっていました。
速筆のドヴォルザークにしては珍しく時間をかけてじっくりと取り組んだピアノ三重奏曲ヘ短調やヴァイオリン協奏曲、交響曲の6番、7番などが次々と生み出されるのですが、スラブ舞曲の第2集に関しては固辞していました。
しかし、その様な「大作」だけでは大家族を養っていくことは困難だったようで、ある程度の稼ぎを得るためには「売れる」作品にも手を染めなければいけませんでした。そして、その様な仕事はドヴォルザークの心をブルーにし、鬱屈した思いが募っていきました。
そんな、ドヴォルザークに妻のアンナは散歩に出かけることをよくすすめたそうです。
すると、ドヴォルザークは葉巻を一本加えては汽車を見に行きました。ドヴォルザークにとって音楽の次に好きだったのが汽車だったのですが、その大好きな汽車を眺めているうちに鬱屈した思いも消え去って、再び元気になって帰宅したというエピソードが残されています。
そんなドヴォルザークに対してジムロックはついに第1集の10倍という破格のギャラで第2集の作曲をドヴォルザークに懇願します。
はたして、この金額が彼の心を動かしたのかどうかは定かではありませんが、今まで断り続けてきたこの仕事を、1886年になってドヴォルザークは突然に引き受けます。そして、わずか一ヶ月あまりで4手のピアノ楽譜を完成させてしまいます。
もちろん、だからといって、この第2集はお金目当てのやっつけ仕事だったというわけではありません。
ドヴォルザークは第1集において、この形式においてやれるべき事は全てやったという自負がありました。それだけに、これに続く第2集を依頼されても、それほど簡単に第1集を上回る仕事ができるとは思えなかったのもこの仕事を長く固持してきた理由でした。
ですから、彼が第2集の仕事を引き受けたときには、それなりの成算があってのことだったのでしょう。
この第2集では、チェコの舞曲は少ない数にとどめ、他のスラブ地域から様々な形式の舞曲が採用されています。
また、メランコリックで美しい旋律を持った作品が多いのもこの第2集の特徴です。明らかに、第2集の方が成功をおさめた巨匠のゆとりのようなものが感じ取れます。そう言う意味では、第1集よりはこちらの方が好きだという人も多いのではないでしょうか。
なお、この第2集もピアノ用に続いてオーケストラ版も出版されて、今ではそちらの方が広く流布しています。
- 第1番:モルト・ヴィヴァーチェ ロ長調 4分の2拍子
- 第2番:アレグレット・グラッティオーソ ホ短調 8分の3拍子
- 第3番:アレグロ ヘ長調 4分の2拍子
- 第4番:アレグレット・グラッティオーソ 変ニ長調 8分の3拍子
- 第5番:ポーコ・アダージョ 変ロ短調 8分の4拍子
- 第6番:モデラート・クアジ・ミヌエット 変ロ長調 4分の3拍子
- 第7番:アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の2拍子
- 第8番:グラッティオーソ・エ・レント・マ・ノン・トロッポ クアジ・テンポ・ディ・ヴァルセ 変イ長調 4分の3拍子
まさにターリッヒにとって油の乗り切った時期の演奏
さて、このような「骨董品」のような録音をここで取り上げるべきかどうかいささか迷ってしまいました。しかし、実際に聞いてみれば演奏はやはり素晴らしく、さらに言えば「演奏史」というものを考えてみれば無視は出来ないと判断しました。
調べてみれば、録音は「His Master's Voice」で、実に立派な真っ赤なボックスに収められてリリースされていますから、レーベルにとっても大いに意味のある録音だったことは間違いありません。もしかしたら、この二つのスラブ舞曲集を全曲録音したのはこれが初めてかもしれません。(確証はまったくありませんが・・・^^;)
さらに言えば、1935年という年はターリッヒにとってはチェコ・フィルの首席指揮者だけでなく、プラハ国民劇場の音楽監督にも就任して、まさに油の乗り切った時期でもありました。
それだけに、この録音もまた、半端のない熱量に溢れています。もちろん、録音のクオリティも低くはないので、そう言う勢いだけでなく細部に至るまでコントロールの行き届いたものであることもよく分かります。それは、ホンのちょっとしたフレーズに至るまで、その歌わせ方やテンポの設定を考え抜いているのがよく分かります。
そう言う意味では、これは、おかしな喩えかもしれませんが、シベリウスにおけるカヤヌスの録音のようなポジションを持ってしまったものかもしれません。あの録音はシベリウス演奏の「原点(origin)」とも言うべき位置を占めるのですが、これもまた同様にドヴォルザーク演奏の「原点(origin)」になっているのかもしれません。
そして、両者に共通するのは安易な「民族性」というものに寄りかかっていないことです。しかし、同時にその背景には同郷の偉大な作曲家に対する尊敬と愛情が溢れていて、それに裏打ちされた「献身」が見て取れます。
もっとも、こういう古い録音はやめてくれと言う人も少なくないことは承知しているのですが、それでも、一つの時代を切り取る録音としてやはり無視は出来ないでしょう。