クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, op. 90


ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年9月28日~29日録音をダウンロード

  1. Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [1.Allegro con brio]
  2. Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [2.Andante]
  3. Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [3.Poco allegretto]
  4. Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [4.Allegro]

秋のシンフォニー



私は長らくブラームスの音楽が苦手だったのですが、その中でもこの第3番のシンフォニーはとりわけ苦手でした。
理由は簡単で、最終楽章になると眠ってしまうのです(^^;(さすがに、今はそんな事はなくなりましたが・・・)

今でこそ交響曲の最後がピアニシモで消えるように終わるというのは珍しくはないのですが、ブラームスの時代にあってはかなり勇気のいることだったのではないでしょうか。
某有名指揮者が日本の聴衆のことを「最初と最後だけドカーンとぶちかませばブラボーがとんでくる」と言い放っていましたが、確かに最後で華々しく盛り上がると聞き手にとってはそれなりの満足感が得られることは事実です。

そういうあざとい演奏効果をねらうことが不可能なだけに、演奏する側にとっても難しい作品だといえます。
第1楽章の勇壮な音楽ゆえにか、「ブラームスの英雄交響曲」と言われたりもするのに、また、第3楽章の「男の哀愁」が滲み出すような音楽も素敵なのに、「どうして最終楽章がこうなのよ?」と、いつも疑問に思っていました。
つまりは、第1楽章が英雄的な勇壮さを持っていて、第3楽章が際だってメロディックであり、最後はピアニシモで終わると言うことで、全体的なバランスの悪さは否定できないような気するのです、ですから、ブラームスの4曲の交響曲の中でも、そのアンバランス故に、指揮者にとってもオケにとっても難しい作品だといえるでしょう。

しかしながら、ふと気がついたのが、これは「秋のシンフォニー」だという思いです。あー、また私の悪い文学的解釈が始まったとあきれている人もいるでしょうが、まあお付き合いください。

この作品、実に明るく、そして華々しく開始されます。しかし、その明るさや華々しさが音楽が進むにつれてどんどん暗くなっていきます。明から暗へ、そして内へ内へと音楽は沈潜していきます。
そういう意味で、これは春でもなく夏でもなく、また枯れ果てた冬でもなく、盛りを過ぎて滅びへと向かっていく秋の音楽だと気づかされます。


そして、最終楽章で消えゆくように奏されるのは第一楽章の第1主題です。もちろん夏の盛りの華やかさではなく、静かに回想するように全曲を締めくくります。

そう思うと、最後が華々しいフィナーレで終わったのではすべてがぶち壊しになることは容易に納得ができます。
人生の苦さをいっぱいに詰め込んだシンフォニーです。


50年代のウィーンフィルによるブラームスを聴くべき演奏


クーベリックは1956年から1957年にかけてウィーン・フィルとブラームスの交響曲の全曲録音を行っています。
クーベリックにとってこの時期は、チェコからイギリスに亡命し、その後にシカゴ響での不遇の時代を過ごし、再びイギリスに戻ってコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督をつとめていた時期でした。この時期にDeccaとの結びつきが多くなり、ウィーン・フィルとは随分多くの録音を残しています。

しかし、何故かこのブラームスの交響曲の録音はあまり話題になることはありません。何故ならば、多くの人はクーベリックのブラームスと言えばバイエルン放送交響楽団との録音を思い出してしまうからです。
さらに、ブラームスの交響曲という側面から見てみれば、この50年代というのはLPレコードが広く普及していくことで、SP盤の時代にはとんでもない大事業だった全曲録音というものが随分と垣根が低くなりました。ですから、この時代には数多くの大物を起用して各レーベルは積極的に録音を行ったために、そう言う大波の中ではクーベリックという名前はそれほど目立つものではなかったようです。

さらに言えば、クーベリックと言う指揮者は安易な効果を狙うことを潔しとせず、真っ正面から作品と向き合って外連味なく楽曲を構築するタイプです。良く言えば玄人好み、悪く言えば地味と言うことになります。どうしても、カラヤンのような人気を集めるのは向いていませんし、フルトヴェングラーやワルターのようなカリスマ性を発揮する時代は過ぎ去っていますし、さらに言えばセルやライナーのように極限までオケを絞り上げるには好人物にすぎました。

そこへ持ってきて、相手はウィーン・フィルです。
この世界でもっとも性悪なオーケストラは、クーベリックのような芸風にはあまり向いていないように思えます。要は、彼らは隙を見つけては指揮者の言うことを聞かないのです。おそらく、クーベリックは作品本来の姿を求めて丁寧に造形したいと思っているのでしょうが、ウィーンフィルのメンバーは隙あれば好き勝手に己の腕前を誇示しようとします。そして、それを咎めて駄目出しをすることはやはり難しかったのでしょう。
その意味では、彼が手兵のバイエルン放送交響楽団との録音では、オケは実に献身的にクーベリックの思いに応えています。おそらく、クーベリックの棒でブラームスを聴くならばファーストチョイスはやはりバイエルン放送交響楽団との録音でしょう。

しかし、音楽というのは不思議なもので、そのウィーンフィルの好き勝手が思わぬいい味を醸し出していることも事実なのです。ウィーンフィルから見れば、未だ40歳過ぎのクーベリックなどは鼻垂れ小僧に見えたのかもしれません。彼らにとってブラームスは我が町の作曲家であり、そことへの矜恃もあったでしょう。
おかげで、ある意味では50年代のウィーンフィルらしい響きが実現しています。

しかし、そう言う性悪のオケを相手にクーベリックも必死でブラームスの音楽を古典的な形式感の中に描き出そうと頑張っています。
それともう一つ、この時期のウィーンフィルのウィーンフィルらしい響きが、ステレオ録音で残されていることにはも感謝したいと思います。

そう言う意味では、これはクーベリックのブラームスと言うよりは、50年代のウィーンフィルによるブラームスを聴くものだと思った方がいいのかもしれません。