クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調, Op.125「合唱」


ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団 (S)ヴィルマ・リップ (A)エリーザベト・ヘンゲン (T)ユリウス・パツァーク (Bs)オットー・ヴィーナ ウィーン楽友協会合唱団 1956年録音をダウンロード

  1. Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [1.Allegro Ma Non Troppo, Un Poco Maestoso]
  2. Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [2.Molto Vivace]
  3. Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [3.Adagio Molto E Cantabile; Andante; Adagio]
  4. Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [4.Presto; Allegro Ma Non Troppo; Allegro Assai; Presto; Allegro Vivace; Alla Marcia; Andante Maestoso; Allegro Energico Sempre Ben Marcato; Allegro Ma Non Tanto; Poco Adagio; Prestissimo]

何かと問題の多い作品です。



昨年と同じく、コロナ禍の年の暮れと言うことになればそれはもう「第九」を一つは取り上げないわけにはいかないでしょう。
2020年本当には真っ黒けっけの一年でした。2021年はコロナの正体も少しずつ分かってきて、さらにはワクチン接種もすすみ少しは白に近いグレーになってきた一年でした。
さて、2022年はオミクロン株という障壁が立ちはだかろうとしていますが、出来うるならそんな壁などは踏み倒して今度こそは真っ白な年になる事を祈るばかりです。


ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。
そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。

しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出した原因は、この作品の創作過程にあります。

この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。

一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。

後者はベートーベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です

交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。
もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。

年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽が始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。

ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自然さを感じないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。つまりは、合唱付きの最終楽章はそれだけで単独の作品として十分に成り立っているのです。
そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・、これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。それはおそらく、ブルックナーの9番と同じような扱いを受けるのかもしれません。最終楽章が未完成の時には自作の「テ・デウム」を演奏するようにブルックナーは言い残したそうですが、第3楽章までで十分に完結しています。

そして、過去に年末に日本中で繰り広げられる第九の合唱を「大人の学芸会」と書いて大顰蹙をかった事があるのですが、残念ながらそう言わざるを得ないような合唱が今も大部分を占めています。
素人集団が歌い切るにはあの合唱は難しすぎるのです。

ですから、一時このようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。

前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています。


安心して聞けるベートーベン


ヤッシャ・ホーレンシュタインと言う名前も今ではかなり忘却の彼方に沈みつつあります。第2次大戦は多くの音楽家に苦難をもたらしたのですが、このホーレンシュタインもその典型のような音楽家人生を強いられました。
ホーレンシュタインはフルトヴェングラーの助手として修行を重ね、若くしてデュッセルドルフ・オペラの音楽総監督に就任するなど順調にキャリアの第一歩を踏み出しています。しかし、1933年にナチスが政権するとユダヤ人だった彼の境遇は一変し、結局はアメリカへの亡命を余儀なくされます。

そして、不思議なのは、戦争が終わってヨーロッパの楽団に復帰するものの最後まで特定の楽団のシェフというポストを得られなかったことです。
もちろん、能力がなければそれも仕方のない話なのですが、残された録音を聞けば分かるように指揮者としての能力は半端ではないことがよく分かります。とりわけ、ブルックナーやマーラーを得意としたことからも分かるように、大規模な編成のオケを完璧にコントロールする能力は抜きんでていました。
それ故に、客演指揮だけでその指揮者人生を終わったのですが、どんなオーケストラに招かれてもそれなりの音楽に仕上げてしまうと言う凄技を持っていました。

それは例えてみれば、道具一式を担いで、己の腕一本で各地を巡り歩く「渡り職人」を彷彿とさせます。
つまりは指揮棒一本を手にしてどんなオーケストラに招かれても、そして、その能力に少なくない問題を抱えているオーケストラであっても、コンサート当日までにはそれなりのレベルに上げてしまう職人指揮者だったのです。

それだけに、それほどの能力を持ちながら生涯特定のポストを手に入れることが出来なかったというのは実に不思議な話です。
それとも、そう言う特定のポストにつきまとうあれこれの煩わしい業務をホーレンシュタイン自身が嫌ったのでしょうか。

それにしても、ここで紹介している50年代に録音されたベートーベンを聞くと、あれこれと複雑な思いをかき立てられずにはおれません。
ここで彼が指揮している「ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団」というのは実に怪しげな楽団名であり、渡り職人には「相応しい^^;」オケのように思えます。しかし、この楽団は怪しいオケ等ではなくて、その実態は「ウィーン交響楽団」そのものでした。

では、どうして「ウィーン交響楽団」ではなくて「ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団」とクレジットされたのかと言えば、それは当時の音楽監督だったカラヤンの強い意向によるものでした。つまりは、ウィーン交響楽団はカラヤンが指揮したときにだけ正式な名称を名乗る事が許され、それ以外の指揮者が録音をするときには「ウィーン交響楽団」の名称を使うことをカラヤンが強く禁じたのです。
カラヤンという指揮者は疑いもなく優れた指揮者であったことは認めざるを得ません。しかし、同時に、自分の敵になりそうな人物にはあれこれの政治的手段を使って芽のうちにつみ取ると言うことにも熱心な人物でした。
バーンスタインがベルリン・フィルの指揮台に立てたのは一度しかなかったというのは有名な話です。

そして、このホーレンシュタインと「ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団」との演奏を聞けば、もしも彼がこのオケのシェフとして活躍することが出来ればどれほど素晴らしい成果が残せた事だろうと思わざるを得ません。
低声部をドッシリと鳴らしたヨーロッパの伝統的な響きをウィーン響からひきだしているのは実に見事なのです。このあたり、フルトヴェングラーのもとで修行したという音楽的なルーツを感じてしまいます。
そして、そう言う響きはカラヤンの棒からは引き出せないものでもありました。もっとも、カラヤンにはそのような響きは時代遅れのもので、そんな響きを出す気もなかったでしょうが、それでもおそらくは「出せなかった」のではないかと思われます。

しかしながら、どうしても客演という限界があるのか、もう一歩踏み込むことが出来ずに、最後は手際よくまとめている部分が垣間見られていささか残念です。例えば、交響曲第6番「田園」の嵐の部分などは随分と大人しい表現におさえているなと思ったものです。
もっとも、その手際よくまとめたレベルは決して低いものではないので、客演一本でよくぞこれほどの世界を築き上げていったものだとは思います。

しかし、その後、彼の録音を次々と聞き進めていくうちに、この「もう一歩踏み込むことが出来ない」という私の評価は少し誤った捉え方ではなかったのかと思うようになってきました。
何故ならば、ホーレンシュタインという人は極めて論理的に主情的な解釈を行い、その解釈を必要十分にオケに伝えてそれを現実の音楽として成就させることが出来る人だったことに気づいてきたからです。
そして、あらためて彼がフルトヴェングラーの助手だっと言う過去の重みに気づかされるのです。もちろん、フルトヴェングラーの主情とホーレンシュタインの主情は異なりますから音楽のスタイルも変わってくるのですが、「自分の感受性くらいは自分で守れよ、馬鹿たれめ」と言いたくなるような演奏とは大きくへだった地点にたっていると言うことでは共通しています。

考えてみればベートーベンの交響曲を「手際よくまとめる」などと言うことは絶対に不可能です。
あれは、演奏者に対して常にあらん限りの献身と熱量を要求する音楽です。「もう一歩踏み込むことが出来ずに、最後は手際よくまとめている」などと言うのは聞き手の勝手な戯言であり、もしも聞き手がそう感じたのならば、その背景に潜むホーレンシュタインの思いに心をめぐらせるべきなのでしょう。
そして、エロイカなどでは驚くほどの踏み込みを見せていることを思い出せば、そういうもの全てを含めて、そこにはホーレンシュタインのベートーベンが揺るぎなく表現されている事にこそ気づくべきなのです。

結果として、ホーレンシュタインのベートーベンは決して声高に指揮者の我を表現するための手段として濫費されることはありません。
ある方から「安心して聞けるベートーベン」というコメントをいただきました。まさに、それこそがホーレンシュタインのベートーベンに対する的確な讃辞なのかもしれません。