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グルック:バレエ組曲(モットル編曲)
ルドルフ・ケンペ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年12月12日~13日録音をダウンロード
- Gluck:Ballet Suite(Arr.Motti) [1.Introduction - Air Gai - Lento - Air Gai]
- Gluck:Ballet Suite(Arr.Motti) [2.Dance of the Blessed Spirits]
- Gluck:Ballet Suite(Arr.Motti) [3.Musette]
- Gluck:Ballet Suite(Arr.Motti) [4.Air Gai - Sicilienne - Air Gai]
バロックの音楽をロマン派の音楽に仕立て直している
フェリックス・モットルと言う名前はほとんど忘却の彼方に沈んでいるのですが、19世紀にはワーグナー作品の有能な指揮者として名を馳せた人物らしいです。また、作曲活動も行い、「アグネス・ベルナウアー」や「王様と歌手」「エーベルシュタイン伯」「ラマ」などの歌劇や多数の歌曲を作曲し、その他にも2曲の交響曲や同じく2曲の弦楽四重奏曲を残しているようです。
しかし、それらは現在ではほとんど演奏されることはなく、かろうじてこのグルックの作品を下敷きにしたバレエ組曲が記憶に残っているくらいです。また、ワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」を管弦楽用に編曲したこともかすかに記憶に残っているようで、どうやらアレンジャーとしての才能は高かったようです。
このグルックの作品の下敷きにしたバレエ組曲も古風な感じはするものの、疑いもなくバロックの音楽をロマン派の音楽に仕立て直しています。
ちなみに、モットルが選んだグルックの作品は以下の通りです。やはり、何といっても2曲目の「精霊の踊りが有名ですね。
- バレエ「ドン・ファン Don Juan」から 序奏 Introduction
- 歌劇「アウリスのイフィゲニア Iphigenie en Aulide」より 快活なアリア - レント - 快活なアリア
- 歌劇「オルフェオとエウリディーチェ Orfeo ed Euridice」より 祝福された精霊の踊り
- 歌劇「アルミーダ Armide」より ミュゼット
- 歌劇「アウリスのイフィゲニア Iphigenie en Aulide」より 快活なアリア - 歌劇「アルミーダ Armide」より シシリエンヌ - 歌劇「アウリスのイフィゲニア Iphigenie en Aulide」より 快活なアリア
語り口の上手さ
ケンペと言えばベートーベンやブラームスに代表されるようなドイツ・オーストリア系の正統派の作品を手堅くまとめ上げるというイメージがついて回ります。しかし、ケンペにとっての「本線」とも言うべきベートーベンやブラームスに関しては数多くの名演・名盤に恵まれていますから、その中でどれほど自己主張ができるのかと問われればいささか心許なくなってしまいます。
ですから、そう言う「本線」以外の演奏の方が意外と他者との差別化が出来て、意外と心に染み込んでくる事があります。おそらくは、べーートーベンやブラームスという大きな縛りから抜け出せるために、かえって自分らしさが出せたのかもしれません。
たとえば、ドヴォルザークの「新世界より」の第2楽章で聞ける深い情感あふれる表現は出色です。第3楽章から最終楽章へと突き進んでいくベルリンフィルからはドイツの田舎オケらしいゴリゴリとした迫力が感じられてこれもまたかなり魅力的です。
さらに言えば、これらを一括して論じていいのかは多少の躊躇いを覚えるのですが、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」とかメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」なんかは、ロイヤル・フィルから素晴らしい響きをひきだしています。
さらに、極めてレアな作品なのですがフェリックス・モットルがグルックの作品を下敷きに編曲したバレエ組曲ではウィーンフィルを使っているのですが、まさにウィーンフィルならではの美しい響きを見事にひきだしています。そう言えば、これも小品ですが、レハールの「金と銀」などは見事なものでした。
そしてそれらの演奏に何よりも共通しているのは「語り口の上手さ」です。
あまり簡単に決めつけるのは良くないのでしょうが、そのあたりにもとはオペラ指揮者が本線であり、その後コンサート指揮者に転向した強みが存分に発揮されているように思われます。そして、その語り口の上手さだけでなく、コンサート指揮者としての経験によってオーケストラのバランスを見事にとる事によって、どのオーケストラからも最良の響きの美しさを引き出す能力も備えているのです。
そう言う強みは本線のドイツ・オーストリア系の正統派の作品よりは、そこからは少し距離をおいた傍系の作品での方が上手く引き出せているのではないでしょうか。
もっとも、その辺りの作品で評価されるのはケンペにとっては不本意かもしれませんが、どれもが素直に楽しめる演奏になっていることはやはり見事と言うしかありません。