クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番 ト長調, Op.44


(P)シューラ・チェルカスキー:リヒャルト・クラウス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1955年録音をダウンロード

  1. Tchaikovsky:Piano Concerto No.2 in G major, Op.44 [1.Allegro brillante e molto vivace]
  2. Tchaikovsky:Piano Concerto No.2 in G major, Op.44 [2.Andante non troppo]
  3. Tchaikovsky:Piano Concerto No.2 in G major, Op.44 [3.Allegro con fuoco]

影が薄い作品ですが一度は聞いてみましょう



この協奏曲は第1番と較べると非常に影が薄いです。それが、どれくらい薄いかというと、「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」が「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 変ロ短調 作品23」と表記されてしまうことがあるほどに影が薄いのです。
ちなみに、単一楽章しか完成しなった第3番の協奏曲となると、ほとんど抹殺状態です。

しかしながら、演奏効果抜群で豊かな楽想に溢れた第1番の協奏曲と較べると、演奏する側からすれば「労多くして益少なし」の典型みたいな作品がこの第2番の協奏曲でしょう。聞き手にしてみても、コンサートのプログラムが「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番 ト長調, Op.44」と記されていれば、普通のクラシック音楽ファンならばあまり食指は動かないでしょう。

ですから、逆に言えば、演奏会でこれを取り上げるピアニストがいれば、それなりの覚悟を持って臨んでいるとも言えます。

この協奏曲はチャイコフスキーの不幸な結婚が破綻した後の放浪時代というか、スランプ時代というか、そう言う落ち込んだ時期に作曲されました。
その時期は弟にあてて「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」と書き送るほどに苦しい時代だったようです。

しかし、それと同時にメック夫人にあてて「私は仕事なしでは生きられないことを、前よりも自覚するようになりました」と言うように、必死でもがいていた時代でもありました。

この時期のチャイコフスキーは民族色よりは古典的な様式を追求する作品が多くなった時期です。
そのために、この第2番の協奏曲もそう言う方向性を目指しながらも、結果としては1番の協奏曲の延長線上に存在することにとどまりました。それ上に、先行した第1番の協奏曲と較べてみれば残念ながら聞き劣りする部分があることは否定できません。
言葉をかえれば、それほどに第1番の完成度が高かったと言うことです。

また、この作品は第1楽章と第2楽章が非常に長いというのも演奏する側からすれば問題であり、実際、チャイコフスキーが自分で指揮したときもかなりカットして演奏したという話も伝わっています。
ですから、この作品を熱心に演奏したジロティなどは大胆にカットして演奏していて、チャイコフスキーにも出版にあたっては大幅な改訂を持ちかけています。
しかし、その提案にチャイコフスキーは最初は強く反対したようです。そして、やがてはその提案を受け入れる気になり改訂作業に入るのですが、それは思わぬ急逝によって未完に終わってしまいました。

結果としては、出版にあたってはジロティの意思が尊重され、チャイコフスキーの意図をはるかに超えた改訂が為されてしまいました。
おそらくその辺りの事情もこの作品の影を薄くしているのかも知れません。

また、第2楽章のヴァイオリンとチェロの掛け合いがあまりにも美しすぎて、独奏ピアノが後ろに引いてしまっているように聞こえるのもソリストには我慢できない一因でもあるようです。実際作品全体を見渡しても、ピアノの独奏がオケの中に埋没しているように聞こえる部分が多くて、大見得を切れる第1番と較べればソリストにとってはあまり気の進まない作品なのでしょう。

しかし、それは1番があまりにも出来がいいのが原因であって、並みの作曲家がにこの作品を書いていればそれなりに満足できる作品だと感じたでしょう。
そんなわけで、影が薄い作品ですが一度は聞いてみましょう。


己の信ずるままに表現


私がこのピアニストとこの作品を知ったのはN響の定期演奏会のテレビ中継でした。
チェルカスキーはその演奏会でチャイコフスキーのコンチェルト(それも1番ではなくて2番の方!)を演奏し、さらにはアンコールで美しき青きドナウを演奏して聴衆の度肝を抜きました。

私はあの演奏会をぼんやりとテレビで見ていたのですが、やがて居住まいを正してソファに座り直し、やがて身じろぎも出来ずにテレビに釘付けとなり、最後はせめてアンコールだけでもとあの美しき青きドナウだけを録画しました。
それから、あのテープを何度見たことでしょう。(残念ながら、そのテープは度重なる引っ越しの中でどこかへ消えてしましました。)

そして、調べてみれば、彼は1988年からは毎年来日してはリサイタルを開いていて、一部では知る人ぞ知ると言う存在だったのですが、名人芸をひけらかすだけの内面空っぽのピアニストというのが通り相場で、バックハウスやケンプなどとは比ぶべくもないというのが一般的な評価でした。
彼に関しては「グランドマナー」と言うことがよく言われます。

「グランドマナー」とは元は絵画の世界で使われる表現で「威厳のあるスタイル」ということらしいです。
そして、それを具体的に言えば、以下の4つのモードが存在するとのことです。

  1. フリジアン(Phrygian):暴力的な場面に適応し、戦いを表現する。

  2. リディアン:悲劇を表現する。

  3. イオニアン:喜び、喜び、お祝いの場面。

  4. hypolidian:宗教的な場面。


これを音楽にあてはまれば、楽譜の中からその様なスタイルにあてはまる部分を感じとって、それを徹底的に表現しつくすと言うことになるのでしょうか。

確かに、こういうチャイコフスキーの第2番協奏曲のような作品を、楽譜通りに粛々と演奏してもなんの面白味もありません。
そうではなくて、その音楽の中から演奏者が感じとった悲劇や喜び、または戦いに向かう雄々しさや宗教的感情というあらゆる要素を、己の信ずるままに表現してこそ聞き手を満足させることが出来るのです。

ただし、そう言うことを実際の演奏会でやってのけるには並大抵ではない「勇気」が求められます。空振りすれば、ただの自己満足の阿保になってしまいます。
しかし、「不良老人」とも言われたチェルカスキーにしてみれば、己の感興の趣くままにその場その場の霊感に従って演奏しても、聴衆だけでなくバックのオーケストラも納得させてしまうことが出来たのです。

まさに希有なピアニストです。