クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンと2つのチェロのための協奏曲 ト長調, RV.575


ジャン=フランソワ・パイヤール指揮:(piccolo)マクサンス・ラリュー パイヤール室内管弦楽団 1965年初出をダウンロード

  1. Vivald:Concerto in G major, RV 575 [1.Allegro]
  2. Vivald:Concerto in G major, RV 575 [2.Largo]
  3. Vivald:Concerto in G major, RV 575 [3.Allegro]

協奏曲というジャンルにおけるスタンダードの創設者



このレコードには麗々しく「1965年度フランス・ディスコ・フィル大賞 協奏曲部門」と記されています。「フランス・ディスコ・フィル大賞」とはどういう賞なのか今ひとつよく分からないのですが、おそらく日本のレコード芸術誌の「レコード・アカデミー賞」みたいなものなのでしょうか。
収録されている作品は全てヴィヴァルディの協奏曲です。

  1. ヴィヴァルディ:2つのトランペットのための協奏曲 ハ長調, RV.537

  2. ヴィヴァルディ:ピッコロ協奏曲 イ短調, RV.445

  3. ヴィヴァルディ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 変ロ長調, RV.548

  4. ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンと2つのチェロのための協奏曲 ト長調, RV.575

  5. ヴィヴァルディ:ヴァイオリンとオルガンのための協奏曲ヘ長調RV.542


凄いなと思うのは。ソリストとしてモーリス・アンドレやマリー=クレール・アランが参加していることです。しかし、考えてみれば、今ではビッグ・ネームの彼らもエラート・レーベルによって世に出たのですから、参加していて当然と言えば当然の話なのかもしれません。

ただし、ヴィヴァルディの協奏曲というのは1曲、2曲だけを聴く分にはどれを聞いても十分に美しく魅力的に思うのですが、それ以上続けて聞くと、なんだか同じような音楽を繰り返し聞かされているような雰囲気になってきて、いささか退屈に感じてしまうことは正直に告白しなければいけません。
ヴィヴァルディは500曲以上の協奏曲を書いたのではなく、1曲の協奏曲を500通り以上のやり方で書いたにすぎない、等と言われることが良くあります。
確かに、こういう多種多様な楽器をソロ楽器として使いながら、それでもどれを聞いても似たような雰囲気がつきまとうのは否定できませんから、上のような批判も言い過ぎとも言い難いところがあります。

しかしながら、彼が生み出した協奏曲のスタイル、「急ー緩ー急」というシンメトリーなスタイルは、その後のこのジャンルににおけるスタンダードとなった事への評価は忘れてはいけません。
さらにいえば、彼はオーケストラがソロ楽器に覆い被さることを巧みに回避し、どの作品においてもソリストを優遇しています。もちろん、ロマン派以降になると、ソリストとオケが切った貼ったの勝負をするような作品も登場する尾ですが、このソリストへの優遇というスタイルも長く協奏曲の標準的なスタイルとなりました。

さらに言えば、扱うソロ楽器によって、それが最も映える主題とスタイルを導き出していることも見逃せません。
確かに、彼は一見すれば1曲の協奏曲をあの手この手で塗り替えたように思える面もあるのですが、こうしていろいろなソロ楽器による協奏曲を続けて聞けば、それほど単純な音楽家ではなかったことに気づかされます。

もちろん、最終的な判断はそれぞれの聞き手にお任せはします。


もう一度聞き直してみる価値はある


50年代から60年代にかけての古楽の復興にはめざましいものがありました。
そして、そこには多くの若手の音楽家たちの挑戦があったことを忘れてはいけません。

ミュンヒンガ^、リヒター、パイヤールなどはそのトップランナーとして新しい道を切り開いた存在です。
彼らがつくり出し音楽は、それまでの巨匠たちの手になる重厚で重々しい音楽とはまったことなるものでした。さらに、それまでほとんど演奏されることのなかった古い時代の音楽を次々と録音することで、ほとんど忘れ去られていた多くの素晴らしい音楽を多くの聞き手に提供してくれました。

とりわけ、エラー・レーベルは、自ら発掘したパイヤールを中心としてバロック音楽の発掘・録音に力を注ぎ込みました。そして、その功績は今では記憶の彼方に遠のきつつあるのですが、その最大の原因は彼らの後の世代によるピリオド演奏の台頭でした。
古き良き巨匠たちの時代の音楽に新風を吹き込んだのがパイヤールたちなのですが、その後にピリオド演奏というスタイルが登場してクラシック音楽の世界を席巻するようになると、彼らの音楽は何とも言えず中途半端な立ち位置となってしまいました。それは、新しい流れを追いかける人々にとっては古くさい音楽であり、古き良き時代への郷愁を捨てきれないものにとっては軽すぎたのです。

しかし、ピリオド演奏という「悪夢」から覚めてみれば、パイヤールたちの世代の古楽復興の成果はもう一度聞き直してみる価値は十分にあることに気づかされます。
ただし、音源と言うことになるとアナログ・レコードが中心とならざるを得ないので(パイヤールのボックス盤は出ているようですが・・・)、ある程度のノイズは避けられません。この録音もアナログレコードからの板おこしなので、入念にクリーニングはしているものの、溝自体についている傷はカバーしきれません。
そのあたりはご容赦ください。