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ヴォーン・ウィリアムズ:「富める人とラザロ」の5つの異版
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1953年12月31日録音をダウンロード
民謡の収拾に力を尽くした真骨頂が発揮されている
伝統音楽は伝承されていくものなので、同じ曲でも楽譜ごとに微妙な違いが生じることがよくあります。さらに言えば、地域が異なれば同じテーマを扱っていても随分と音楽の形が変わってしまうのは当然です。
この「富める人とラザロの5つの異版」は「富める人とラザロ」にもとづく5つのイングランド民謡からから成り立っている作品です。それ故に正式タイトルが「富める人とラザロの5つの異版」となっているのです。
ちなみに、「富める人とラザロ」砥はどういう話なのかと検査をしてみれば以下のような内容でした。
「ある金持ちがいました(この金持ちは名前すら示されない)。近所にラザロという名前の貧者がおりました。貧者ラザロは金持ちの家から出る残飯で生をつないでおりました。
この金持ちがとうとう天に召されたとき、あの世の聖者アブラハムの足下に、かつて自分が慈悲を示した貧者ラザロがいるのが見えました。彼はアブラハムに願いました。
地獄は苦しいです。私を救ってください。あなたの足元にいるラザロはかつてわたくしが施しをして救ってやったやつです。今度は私を救って下さい、と。
すると聖アブラハムは言いました。お前は生きている間、いい目を見たじゃないか。我慢しなさい。ラザロは生きている間不幸せだったのだからいまは救われるべきなのです。
それならば、と死んだ金持ちは言いました。
是非そのラザロを私の家族に使わして警告してください。豪奢をやめよと。こんな苦しみを、私は愛する家族には味合わせたくない。
すると聖者は言いました。
「それは貧者ラザロじゃなくてモーゼと救世主の役割りです」
個人的には、なんだか理不尽な話のように思えるのですが、それがキリスト教に馴染みのない人間だからでしょう。
弦楽とハープで演奏される音楽は美しく、民謡の収拾に力を尽くしたヴォーン・ウィリアムズの真骨頂が発揮された作品と言えるでしょうか。
イギリス訛りがバルビローリの一つの本性となっている
イギリスという国には不思議な愛国心があるようです。
思い出すのは、イギリスのグラモフォン誌が世紀末に20世紀を代表する指揮者を読者対象のアンケート調査で決めたところ、フルトヴェングラーをおさえて第1位になったのはバルビローリでした。おそらく、こんな結果が出るのはイギリスだけでしょう。
しかし、もう一つこの時思い出したのは、イギリスの指揮者はイギリスの作曲家を大いに支援すると言うことです。その典型はビーチャムとディーリアス、ボールトとヴォーン・ウィリアムズでしょうか。
そう考えてみると、バルビローリも当然の事ながらイギリスの作曲家の作品を多く録音していますが、特定の誰かを強く推すという態度は取っていません。
しかし、彼の演奏するヴォーン・ウィリアムスを聞いていてふと気づいたことがあります。
それは、彼のヴォーン・ウィリアムスにはボールトのようなスコットランドの原野を吹きすさぶ風のような厳しさはありませんし、スタインバーグのようなスコアに託された響きを完璧なバランスで再現する事も目指していません。当然の事ながらオーマンディのような甘さとも少し違います。そして、これってなんだろうと考えて思いついたのは、イングランドが持っているローカリティです。
そう言えば、ヴォーン・ウィリアムズは熱心にイギリスの各地方に根付いていた民謡やキャロルを集めてまわった人でした。もちろん、彼の作品にはそのような民謡が剥き出しのままで登場することはないのですが、バルビローリの演奏で彼の作品を聞くと、その作品が持っているイングランド訛りのようなものが感じられるのです。
そして、ともすれば美しく旋律線を歌い上げるバルビローリのことを「ミニ・カラヤン」のように言う人もいるのですが、それは大きな間違いであることの証左の一つがそこにあるように思われました。
おそらく、バルビローリの体の中にはそう言うイギリスの風土が持つローカリティが染み込んでいるのでしょう。そして、そのローカリティは日本人が共感しやすい親しみやすさと美しさを持っていることは間違いありません。蛍の光や庭の千草などはほとんど日本の歌曲かと思えるほどに私たちの生活に溶け込んでいます。
また、ホルストの「木星」などを聞くと「ああ、これってイギリス版ド演歌だな」と思ったりするのですが、そう言うイギリス訛りがバルビローリの一つの本性となっているのでしょう。
もちろん、厳しい気候風土のイギリスにはボールト的な厳しさもあるのですが、おそらくイギリス人にとってもバルビローリ的な優しさと美しさ、そして親しみやすさの方がより身に添うのでしょう。
そう考えれば、グラモフォン誌でバルビローリこそが20世紀を代表する最高指揮者だと選び取ったイギリスの人々の判断は、身贔屓と言うだけでなく、それだけ彼らの心に深く共感させる音楽を彼が提供していたと言うことなのでしょう。