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ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調, Op.21
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 フランス国立放送管弦楽団 1963年10月録音をダウンロード
- Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [1.Adagio Molto; Allegro Con Brio]
- Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [2.Andante Cantabile Con Moto]
- Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [3.Menuetto; Allegro Molto E Vivace]
- Beethoven:Symphony No.1 in C major , Op.21 [4.Adagio; Allegro Molto E Vivace]
18世紀の交響曲の集大成であり、ハイドンの総決算
ベートーベンという人の作曲家としての道筋を辿るときに、重要な目印になるのが32曲のピアノ・ソナタです。
ベートーベンという人はクラシック音楽の世界を深く掘り下げた人であるのですが、驚くほど多方面にわたって多様な音楽を書いた人でもありました。さすがに、オペラは彼の資質から見ればそれほど向いている分野ではなかったようなのですが、それでも「フィデリオ」という傑作を残しています。
特定の分野に絞って深く掘り下げた人はいますし、多方面にわたって多くの作品を書き散らした人もいます。しかし、ベートーベンのように幅広い分野にわたって革命的と言えるほどに深く掘り下げた人は、他にモーツァルトがいるくらいでしょうか。
そんなベートーベンが、その生涯にわたって創作を続けた分野がピアノ・ソナタであり、それ以外では交響曲と弦楽四重奏の分野でしょうか。
そして、この3つの中でもっとも数多くの作品を残したのがピアノ・ソナタですから、ピアノ・ソナタこそがもっとも細かい目盛りでベートーベンという男を計測できるのです。
この計測器を使って初期の1番と2番の交響曲を計測してみれば、それが同列に論じてはいけないことは一目瞭然です。
- ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 [1799年~1800年]
- ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36 [1801年~1802年]
時間的に見れば相接しているように見えるのですが、ピアノ・ソナタで計測してみれば、この二つの交響曲の間には明らかに大きな飛躍が存在していることに気づかされます。
ベートーベンはこの第1番の交響曲を書き上げるまでに「悲愴ソナタ」を含む第10番までのピアノ・ソナタを書き上げていました。ピアノ・ソナタ全体のおよそ3分の1を占める10番までの初期ソナタは、ハイドンやモーツァルトが確立した18世紀のソナタを学んでそれを血肉化し、それをふまえた上で前に進もうと模索した時期でした。
そう言う模索の先に第1番の交響曲が生み出されたことは、ベートーベンという男の「歩み方」のようなものが暗示されているように思えます。
彼にとってピアノ・ソナタは常に新しい道を切り開くアイテムであり、そこで切り開いた結果を集大成するのが交響曲でした。
その意味では、この第1番の交響曲は18世紀の交響曲の集大成であり、その手本は明らかにハイドンだったのです。
しかし、その事は先人の業績をなぞっただけの作品になっていると言うことを意味するものではありません。そこには、ハイドンが長年の試行錯誤の中で確立した18世紀的な交響曲の手法をしっかりと自らのものとしながら、そこに何か新しいものを付け加えようとする意欲も垣間見ることが出来るのです。
それは、例えば第1楽章冒頭のちょっと不思議な印象が残る和音進行からして明らかです。そう言えば、カラヤンがこの冒頭部分は指揮者にとっては難しいみたいな事をどこかで語っていました。
続く、第2楽章では、どこか浪漫派を思わせるような叙情性を身にまとっていますし、何よりも続くメヌエット楽章の雰囲気はハイドン的な典雅さとは随分隔たっています。もっとも、それを「スケルツォ」とまでは言い切れないのでしょうが、それでもハイドンをなぞっているだけでないことは明らかです。
そして、最終楽章のアダージョの序奏はハイドン的な世界からはかなりへだっています。
しかしながら、音楽全体としてはやはりそれはハイドンの総決算です。
そして、この第1番の交響曲を書き上げた後に、さらに第11番から18番までのピアノ・ソナタを書き上げます。
しかし、それらのピアノ・ソナタは同一線上に存在するものではなくて、11番から15番までの作品群と、それ以後の作品31の16番から18番までの作品群に分かれます。
前者の作品群はそれ以前の初期ソナタの流れを引き継ぐものであり、それはウィーンでの人気ピアニストとしての腕を振るうために18世紀的ソナタを集大成たピアノ・ソナタでした。
ですから、それらは若き人気ピアニストの作品群と言えます。
しかし、それはやがて彼のわき上がるような創作意欲をおさめるものとしては、あまりにも小さく、そしてあまりにも古いものであることに気づかざるを得なくなります。
そして、その事に気づいたベートーベンは、未だ誰も踏み出したことがないような世界へと歩を進めていくのです。
それが、「私は今後新しい道を進むつもりだ」と明言して生み出された「テンペスト」を含む作品31のソナタだったのです。
交響曲2番は、まさにその様な新しい道へと踏み出した時期に生み出された音楽なのです。ですから、「初期の1番・2番」などとセットにして語ってはいけないのです。
交響曲の1番が18世紀の総括だとすれば、第2番は明らかに19世紀への新しい一歩を踏み出した音楽なのです。
そして、彼はピアノ・ソナタの分野ではこのすぐ後に「ワルトシュタイン」を生み出し、その後に、ついに音楽史上の奇蹟とも言うべき「エロイカ」が生み出されるのです。
フランスのオケならではの色気に溢れている 熱気と推進力は半端ではない
ホーレンシュタインとフランス国立放送管弦楽団とのベートーベンのライブ録音が手もとに二つあります。1952年に録音された第8番と1963年に録音された第1番です。
聞いてみて面白いのは第1番です。指揮者の気迫が凄くて、オケもまたその熱気に煽られて凄まじい集中力を発揮しています。あのヤナーチェクのシンフォニエッタのライブ録音と同じオケとは思えないほどです。
ただし、いわゆるフランスのオケならではの魅力には乏しいので、それに不満を感じる人がいるかもしれませんが、この熱気と推進力は半端ではありません。
おそらく、コンセルヴァトワールのようなオケだとこういう事は起こらないのでしょうが、そのあたりは放送局のオケと言うことで、そこまでの頑固な個性に凝り固まらず、それなりのニュートラルさを持っていると言うことでしょう。
ですから、フランスのオケならではの魅力が味わえるという点では52年の第8番のライブ録音の方が好ましいかもしれません。とりわけ第3楽章のホルンに独奏に代表されるような場面では、フランスのオケならではの色気に溢れていて、その色彩感の豊かさは見事なものです。
とは言え、そう言うことは分かっていながらも、それでも第1番の熱気は尋常ではありません。
そして、ライブ録音だけに、聞いている方としてはこの集中力が最後まで持つのかというハラハラドキドキ感がたまりません。いつか、どこかでズッコケルのではないかという危機感が常につきまとうだけに最後に近づいてくれば来るほど、いやいや、このままなんの事故も起こらずに終わるはずはないという思いが強くなりそのドキドキ感は増していきます。
しかし、ホーレンシュタインは見事に最後の最後までオケを引っ張っていってしまいました。最後の拍手喝采は、こちらもまた同じように拍手をしてしまったほどです。
まさに、恐るべしホーレンシュタインなのですが、おそらくはフランス国立放送管弦楽団とのつきあいも長くなり、スムーズに意志が通じ合える信頼関係を築き上げていたのかもしれません。
ただ一つ残念なのは、両方ともにライブ録音と言うことを割り引いても音質が今ひとつさえないことです。
特に、第1番の方は予想に反する熱演だったためか、強奏部分では明らかにピークアウトしていてリミッターがかかったような雰囲気になっています。この部分もきれいにおさまっていれば文句なしだと思うのですが、まあ、贅沢は言えないでしょうね。