クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


FLAC モノラルファイルデータベース>>>Top

ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 作品19


(P)ウィリアム・カペル:(Cello)エドマンド・クルツ 1947年4月23日~24日録音をダウンロード

  1. Rachmaninov:Cello Sonata in G minor, Op.19 [1.Lento. Allegro moderato]
  2. Rachmaninov:Cello Sonata in G minor, Op.19 [2.Allegro scherzando]
  3. Rachmaninov:Cello Sonata in G minor, Op.19 [3.Andante]
  4. Rachmaninov:Cello Sonata in G minor, Op.19 [4.Allegro mosso]

「芸人ラフマニノフ」の腕の冴えが発揮された美しいチェロの名曲



マイナー曲です。(^^;
おそらく、ラフマニノフってチェロ・ソナタなんて書いていたんだと思われる方が少なくないはずです。

恥ずかしながら、私もその一人で、「ラフマニノフのチェロソナタ・・・?」「はぁっ・・・?」「それ・・・何?」って感じでした。
そこで、早速調べてみると、交響曲第1番の大失敗で鬱状態に陥ってしまったラフマニノフがピアノコンチェルトの2番で奇蹟の大復活(^^;を遂げたすぐ後に作曲された作品だと言うことが分かりました。

「音楽における全く新しい道を発見し、切り開いた」ものだと自負した交響曲の第1番は失敗し、逆に、万人が容易に理解できるようなメランコリックで甘口のピアノ協奏曲第2番が成功をおさめたことで、ラフマニノフは「芸術家」として生きていくのではなく「芸人」として生きていく道を選びとりました。
もちろん、そんな事はどこにも書いていないので、それは私の全くの推測なのですが、それほど外してはいないと思います。

ですから、このチェロソナタこそは「芸人ラフマニノフ」としての自覚を持って書き上げた記念すべき第1作だったのです。

もちろん、常々言っているように、「芸人」は「芸術家」に劣る存在ではありません。
人に聞かせるほどの「芸」もないのに「芸儒家」気取りしている存在ほど鬱陶しい存在はありません。

では、そう言う記念すべき第1作に、彼にとっては馴染みのあるピアノではなくてチェロを選んだのかと言えば、そこには「ブランドゥコーフ」というチェリストの友人の存在がありました。
こういう関係ってよくありますね。

モーツァルトとロイトゲープの結びつきはホルン協奏曲を生み出し、ブラームスの残り火をかき立てたミュールフェルトの存在はクラリネットの名作を生み出しました。
そして、それらは、それほど作品に恵まれないホルンやクラリネットにとっては貴重な存在となっています。

もっとも、ラフマニノフのチェロソナタはそこまでの「有難味」はないかも知れませんが、そこには「芸人ラフマニノフ」の腕の冴えが発揮されていますから、もう少しは聞かれてもよい作品かも知れません。

冒頭の憂鬱な表情でチェロが歌い出すのは序奏です。そして、ここで奏されるチェロのモティーフはこの楽章の第1主題にも第2主題にも活用されません。
つまりは、数少ない素材を有効に活用して有機的な統一感をもたらすなどと言う「芸術家」気取りとはきっぱりと縁を切って美味しい旋律を出し惜しみせずに振りまいているのです。

ですから、これに続いてチェロが第1主題を歌い出すのですが、それもまた実に美しい旋律ですし、それに続いてピアノが披露する第2主題も申し分なく美しいのです。
そして、誰かが書いていたような気がするのですが、チェロとピアノが二つの主題を分け合うのはラフマニノフとブランドゥコーフの関係を反映しているのでしょう。

おそらくピアノパートはラフマニノフ自身が演奏することを想定しているでしょうから、ピアノがチェロの伴奏に徹するなどと言うことはあろうはずがありません。
このピアノが歌い出す第2主題は実に美しいのです。

続く第2楽章は旋律よりはリズムの面白さで始まるので少し驚くのですが、すぐにチェロがラフマニノフらしい歌を歌い出します。そして、中間部にはいるといかにもラフマニノフらしい叙情的な旋律をチェロが歌ってくれます。
しかし、ラフマニノフ節が炸裂しているのは続く第3楽章でしょう。
憂愁の気配をたたえたピアノの伴奏にのってどこまでも歌い上げていくチェロの美しさは、チェロという楽器の持つ美質を見事なまでに引き出しています。

そして、最終楽章では今までの憂愁の色を一気に打ち破るような輝かしい世界へと一変させます。
最も、それ行けどんどんで最後まで押し切ってしまっては「芸人ラフマニノフの名が泣きますから、ゆったりとチェロに歌わせる部分(どこか「ダニー・ボーイ」を思い出す旋律)もたっぷりと用意していますし、最後のコーダの部分の仕掛けは出色です。
いきなりピアノでコーダが始まって、そのまま静かに音楽が消え去って終わるかと思いきや、一転して茶目っ気たっぷりに華やか音楽が帰ってきて音楽を閉じます。

まさに芸人の面目約如です。

チェロ・ソナタ ト短調 作品19


  1. 第1楽章:レント - アレグロ・モデラート

  2. 第2楽章:アレグロ・スケルツァンド

  3. 第3楽章:アンダンテ

  4. 第4楽章:アレグロ・モッソ




強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められる


カペルのショパンを聴いて「もう少しカペルの録音を聞き込んでみないといけないな」と書いたのは2014年の事だったみたいです。
最近、ふとカペルの録音を引っ張り出してきて聞いてみる機会があったのですが、あらためて「これはすごいや」と思って、自分が昔書いたものを調べてみれば8年前にそんな事を書いていたことを発見して驚いてしまいました。

カペルを取り上げるのは随分と久しぶりになるので(プロコフィエフの録音を追っていて協奏曲を取り上げたことはありましたが、その時の関心は作曲家のプロコフィエフであってソリストのカペルにはほとんど注意が向いていませんでした)、簡単にカペルの紹介を繰り返しておきます。

ウィリアム・カペル(William Kapel)といえば、「ホロヴィッツの再来」と呼ばれるような華々しいキャリアと、そのキャリアが飛行機事故によってわずか31歳で断ち切られたことの悲劇性が常について回ります。さらに、その事故の報に接したホロヴィッツが「これで私がナンバーワンだ。」と語ったというエピソードによってその悲劇性はさらに飾り立てられることになります。
しかしながら、同じように若くして、そしてほとんど同時代にこの世を去ったリパッティが今も多くの人の記憶にとどまっているのと比べると、カペルの記憶はずいぶんと薄らいでしまっていることは否めません。そして、今回、あまり多いとはいえない彼の録音をまとめて聞いてみて、その理由が少しはわかったような気がしました。

リパッティは33歳でこの世を去りましたが、すでに彼ならではの世界を築いていました。しかし、カペルはホロヴィッツを意識したのか、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代を脱皮して、心の内面を繊細に表現しようとする新しい世界に足を踏み入れた矢先に人生を断ち切られました。
それは、終わりを意識してピアノに向き合わざるを得なかったリパッティと、そういうことは夢に思わずにピアノに取り組んでいたカペルの違いでしょう。カペルにしてみれば、そんなにも生き急ぐように歩を進める必要などは全く感じていなかったでしょうし、おそらくはじっくりと時間をかけて一つ一つを丹念に確かめながら音楽を熟成させていくつもりだったのでしょう。
そう思えば、真に悲劇的だったのはリパッティではなくカペルの方だったことに気づかされました。


カペルの室内楽録音というのはかなり珍しくて、おそらく正規録音としては以下の3つだけだと思われます。


  1. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調, 作品19

  2. ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調, Op.120-1

  3. ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108



この中で一番聴き応えがあるのがラフマニノフでしょう。
ラフマニノフの作品ですから、ピアノが大活躍することは言うまでもないのですが、まさに聞き手が期待する以上にカペルは華やかパフォーマンスを繰り広げてくれます。この作品に関してはネルソヴァとバルサムによる録音を取り上げているのですが、ラフマニノフがこの作品にどれだけのピアノの名人芸を込めているかがよく分かるのはカペルの方です。
そして、名前はあまり知られていないのですが、チェリストのエドマンド・クルツもそう言うカペルに対抗して伸びやかで力強い響きで対抗しています。

エドマンド・クルツはシカゴ交響楽団の首席チェロ奏者を務めるなどした後にソリストに転向して、1945年にアルトゥーロ トスカニーニ指揮のNBC 交響楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲を録音しています。当時は「非の打ちどころのない技術」「輝きを失うことのない暖かく官能的な性質」をもったチェリストと評されたようです。

次に注目したいのはハイフェッツと協演したブラームスです。
こういう二重奏でハイフェッツと協演すると相手はどうしても腰が引けてしまうものです。しかし、カペルは臆することなく、おそらくはヴァイオリンとピアノの二重奏としてブラームスが思い描いたであろうバランスを崩していません。あわせて、あらためてハイフェッツのヴァイオリンの凄みと美しさにもひたることが出来る演奏です。

そして、最後がプリムローズと協演したブラームスのヴィオラ・ソナタです。これはもう完璧にカペルが圧倒してしまっています。
言うまでもなく、このソナタは最初はクラリネット・ソナタでした。それが後に作曲者自身によってヴィオラ用に編曲されたのがこのヴィオラ・ソナタです。

しかし、これは個人的な感想ですが、この作品はやはりクラリネット版の方がしっくりいくような気がします。とりわけ、カペルのような強靭なピアニズムが爆発するような相方だと、いささかヴィオラが気の毒に思えてくる部分があります。例え、それがプリムローズであっても、「やっとれんなぁ」と思ったのではないでしょうか。

とは言え、この3つの録音は、ひたすら強靱にピアノを鳴らすことに没頭した時代のカペルを少し違った視点から眺められると言うことで、実に興味深い演奏ではないかと思われます。