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スメタナ:「我が祖国」から「ヴィシェフラド(高い城)」
エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1954年11月録音をダウンロード
「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」・・・?
スメタナの全作品の中では飛び抜けたポピュラリティを持っているだけでなく、クラシック音楽全体の中でも指折りの有名曲だといえます。ただし、その知名度は言うまでもなく第2曲の「モルダウ」に負うところが大きくて、それ以外の作品となると「聞いたことがない」という方も多いのではないでしょうか。
言ってみれば、「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」と言う数式が成り立ってしまうのがちょっと悲しい現実と言わざるをえません。
でも、全曲を一度じっくりと耳を傾けてもらえれば、モルダウ以外の作品も「その他大勢」と片づけてしまうわけにはいかないことを誰しもが納得していただけると思います。
組曲「我が祖国」は以下の6曲から成り立っています。しかし、「組曲」と言っても、全曲は冒頭にハープで演奏される「高い城」のテーマが何度も繰り返されて、それが緩やかに全体を統一しています。
ですから、この冒頭のテーマをしっかりと耳に刻み込んでおいて、それがどのようにして再現されるのかに耳を傾けてみるのも面白いかもしれません。
第1曲「高い城」
「高い城」とは普通名詞ではなくて「固有名詞」です。(^^;これはチェコの人なら誰しもが知っている「年代記」に登場する「王妃リブシェの予言」というものに登場し、言ってみればチェコの「聖地」とも言うべき場所になっています。ですから、このテーマが全曲を統一する核となっているのも当然と言えば当然だと言えます。
第2曲「モルダウ」
クラシック音楽なんぞに全く興味がない人でもそのメロディは知っていると言うほどの超有名曲です。
水源地の小さな水の滴りが大きな流れとなり、やがてその流れは聖地「高い城」の下を流れ去っていくという、極めて分かりやすい構成とその美しいメロディが人気の原因でしょう。
第3曲「シャールカ」
これまたチェコの年代記にある女傑シャールカの物語をテーマにしています。シャールカが盗賊の一味を罠にかけてとらえるまでの顛末をドラマティックに描いているそうです。
第4曲「ボヘミアの森と草原より」
私はこの曲が大好きです。スメタナ自身も当初はこの曲で「我が祖国」の締めにしようと考えていたそうですが、それは十分に納得の出来る話です。
牧歌的なメロディを様々にアレンジしながら美しいボヘミアの森と草原を表現したこの作品は、聞きようによっては編み目の粗い情緒だけの音楽のように聞こえなくもありませんが、その美しさには抗しがたい魅力があります。
第5曲「ターボル」
これは歴史上有名な「フス戦争」をテーマにしたもので、「汝ら神の戦士たち」というコラールが素材として用いられています。
このコラールはフス派の戦士たちがテーマソングとしたもので、今のチェコ人にとっても涙を禁じ得ない音楽だそうです。ただし、これはあくまでも人からの受け売り。チェコに行ったこともないしチェコ人の友人もいないので真偽のほどは確かめたことはありません。(^^;
スメタナはこのコラールを部分的に素材として使いながら、最後にそれらを統合して壮大なクライマックスを作りあげています。
第6曲「ブラニーク」
ブラニークとは、チェコ中央に聳える聖なる山の名前で、この山には「聖ヴァーツラフとその騎士たちが眠り、そして祖国の危機に際して再び立ち上がる」という伝承があるそうです。
全体を締めくくるこの作品では前曲のコラールと高い城のテーマが効果的に使われて全体との統一感を保持しています。そして最後に「高い城」のテーマがかえってきて壮大なフィナーレを形作っていくのですが、それがあまりにも「見え見えでクサイ」と思っても、実際に耳にすると感動を禁じ得ないのは、スメタナの職人技のなせる事だと言わざるをえません。
音楽力の凄み
この演奏をブラインドで聞かせて、さて指揮者は以下の3人の内の一人なのですが、さて誰でしょう、と聞いたりします。
- エーリヒ・クライバー
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
- ハンス・クナッパーツブッシュ
おそらく、真っ先に除外するのはエーリヒ・クライバーでしょう。
そして、フルトヴェングラーもドラマティックは音楽作りをする人ですが、これは流石に方向性が違うので、最後はクナッパーツブッシュを選ぶのが常識というものでしょう。
しかしながら、それにしてもここまで好き勝手に演奏しているのはクナッパーツブッシュでも珍しいよね、ここまでやると流石に呆れちゃうよね、等と付け加えるでしょうか。
そこへ、「実は正解は(1)のエーリヒ・クライバーです。」なんて言ったら、「おいおい、冗談も休み休み言ってくれよ、エーリヒがこんな演奏するはずないでしょう」と文句を山ほど言われそうです。
それはそうでしょう。エーリヒ・クライバーと言えば直線的でキリリと引き締まった演奏をする人というのが通り相場であって、こういうとんでもなくデフォルメした恣意的な演奏スタイルからは最も遠い位置にいる指揮者だからです。でも、これって、信じがたいことにエーリヒの演奏なのですね。
そして、その戸惑いは演奏が終わったあとのしばしの静寂、そして、ふと我に返った人からパラパラと拍手は始まり、やがて熱狂的な拍手へと変わっていく聴衆の反応にもよくあらわれています。最後はままさにエーリヒ呼び出そうとする手拍子のようなものへと変わっていきます。
おそらく、この演奏にはエーリヒがただのザッハリヒカイトなだけの指揮者ではなかったことの本質が如実に表れているのかもしれません。
実は、彼の若いときの録音で興味深いものが残されています。
ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」, Op.314
エーリヒ・クライバー指揮 シュターツカペレ・ベルリン 1923年録音
J.Strauss:An der schonen, blauen Donau, Op.314
この録音には、彼が指揮者を目指した原点がマーラーにあったことがはっきりと刻み込まれています。
演奏時間12分というのは最初は何かの間違いではないかと思うのですが、まさにそれだけの時間をかけ、さらにはポルタメントもかけまくってこれ以上はないと言うほどにネッチリと濃厚に歌い上げているのです。
しかし、彼はその後姿を変えていき、やがては私たちがよく知るエーリヒへと変身していきます。しかし、表面的にはザッハリヒカイトなスタイルをとっていても、その奥には溢れるほどのロマンティシズムを秘めていて、それを内なる原動力としてたんなるザッハリヒカイトなだけでない音楽ををつくり出すことが出来たのでしょう。
私はその内なるロマンティシズムを「音楽力」と名づけたいのですが、この小品のライブ録音では、そう言うエーリヒが持つ音楽力が、何故か素のままに溢れ出してしまったようなのです。
もちろん、これを持って名演奏と言うつもりはありませんが、それでもエーリヒという指揮者が持っていた音楽力の凄みを知る上では貴重な記録と言えます。