クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35


(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:リチャード・オースティン指揮 北西ドイツ放送交響楽団 1949年録音をダウンロード

  1. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
  2. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante]
  3. Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]

演奏不能! 〜初演の大失敗



これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。

まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
ヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。

そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。

このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。

やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのはかなり困難であったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。

めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生と世に出るまでのよく知られたエピソードです。

しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。

つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。

ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?

やっぱり難しいんでしょうね。


妖艶で情熱的な演奏


Vasa Prihoda(ヴァッシャ・プシホダと読みます)は1901年にプラハに生まれて1960年にこの世を去ったヴァイオリニストです。若い頃は、その素晴らしいテクニックからパガニーニの再来と言われたそうですが、どういう理由があったのかほとんど録音が残されていません。
ただし、戦前のSP盤の時代に野村あらえびすが彼のことを「普通のヴァイオリンから出る音とは、どうしても想像することのできない妖艶極まる音色が、エルマンやクライスラーをレコードで聴き慣れた我々にとっては、全くひとつの驚きにほかならなかった。」と評しているように、その妖艶な音色は多くの人を魅了しました。死後半世紀近くもたち、おまけに録音もほとんどないと言うことならば忘れ去られても不思議ではないのですが、この「妖艶な音色」というのは今のヴァイオリニストが失ってしまったものだけに、今もって一部に根強いファンを獲得している不思議なヴァイオリニストです。

しかし、ここで紹介したチャイコフスキーの録音は、「妖艶な音色」という言葉から想像されるようななよっとした雰囲気は欠片もありません。第1楽章からはほとばしるような情熱が感じ取れますし、なんと言っても第2楽章から漂ってくる深い感情は実に感動的です。
ユング君はこの作品をティボール・ヴァルガの演奏で聞くことを好みますが、この演奏はまさにそれに十分に肩を並べることができるものです。惜しむらくは、もう少し音質が良好ならば何も言うことはないのですが、それでも音楽を楽しむには十分なクオリティは保持しています。
それにしても、クラシック音楽の演奏家というのは同時代の演奏家だけでなく、半世紀以上も前の演奏ともその価値を競い合っていかなければならないとは、実に厳しい話だと同情せざるをえません。(もっとも、そういう演奏史に関わるような部分には全く無知で、何も考えずに脳天気に演奏する人も多いですから、同情されたりするとかえってとまどうかもしれませんが・・・^^;)