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ファリャ:恋は魔術師(Falla:El amor brujo)
アタウルフォ・アルヘンタ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1957年8月29日ライブ録音(Ataulfo Argenta:Orchestre de la Suisse Romande Recorded on August 29, 1957)をダウンロード
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [1.Introduccion y escena]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [2.Ev la cueva: La noche]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [3.El Aparecido. Danza del Terror]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [4.El circulo magico: Romance del pescador]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [5.A Media Noche, Los Sortilegios]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [6.Danza Ritual del Fueg]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [7.Escena]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [8.Pantomima]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [9.Danza del Juego de Amor]
- Falla:El amor brujo (Concerto version) [10.Final: Las Campanas del Amanecer]
アンダルシア的雰囲気に溢れた音楽
「恋は魔術師」は「三角帽子」と並んでファリャを代表する作品です。しかし、その成立過程を見てみると結構色々とあったようです。
まず、この「恋は魔術師」を最初に依頼したのはジプシーの舞踊家のパストーラ・インペリオでした。
彼女が依頼したのは歌入りの音楽劇で、その依頼に応えてファリャは1914年から1915年にかけて室内オーケストラのための作品を書き上げます。
タイトルも当初は「ヒタネリア(Gitaneria)」でした。
「ヒタネリア」とは「ヒターノ気質」と言う意味らしくて、私たちにとってはジプシーとヒターノはほとんど区別はつかないのですが、スペインの人にとっては全く異なった文化をになう存在として明確に区別をされているようです。特に、スペインといえば「フラメンコ」なのですが、そのスタイルを築き上げたのはジプシーではなくてヒターノとよばれる人々だったようです。
ヒターノはルーツをインドに持っていて、15世紀頃にアンダルシアに流れ着いて定着したといわれています。
当然の事ながら、その様な出自は差別の対象となり、迫害されて行き場所をなくしたヒターノの叫びや願いがフラメンコという表現に凝縮されていったようです。
ですから、「ヒターノ気質」とは、アンダルシアで迫害され、ともすれば生きる希望もなくしそうになりながらも、それでも歌と踊りを通して厳しい現実を乗りこえて生きていくための希望や活力を失わなかった彼らの精神を表す言葉だったのでしょう。
しかし、この最初の 「ヒタネリア」は成功をおさめることはなかったようです。そこで、ファリャは1915年から1916年にかけてこの作品を演奏会用の組曲として仕立て直し、タイトルも「恋は魔術師」としました。
この改訂版は初演で大成功をおさめ、それを受けて本格的なバレエ音楽へと改訂をはかり、1923年にパリのトリアノン・リリック劇場で上演されました。現在演奏されるのはほとんどこのバレエ版です。
物語は、官能的なジプシー女のカンデラが夫の死後、二枚目の若いジプシー男カルメロと恋に落ちるところから始まります。
しかし、その二人の恋は、夫の亡霊によって妨げられます。
亡霊は二人につきまとって離れないので、カンデラは巧妙なはかりごとを思いつきます。それは、生前の夫が美しいジプシー娘に惚れやすかったことを思い出し、友達のルシアに夫の亡霊を誘惑してもらうという計画です。
そして、カンデラの思惑通り亡夫はルシアの美しさにすっかり夢中となり、その間に、カンデラとカルメロは、いかなる魔術も効力を失うとされている完全な愛の接吻をして、めでたく結ばれる・・・と言うのが最初のストーリーだったようです。
しかし、バレエ化に際してこの最後のシーンに変更が加えられたようです。
美しいジプシー娘のルシアがカンデラの亡父を誘惑するところまでは変わらないのですが、バレエでは美しいジプシー娘たちが焚き火を囲んで舞を捧げるのです。これが有名な火祭りの踊り」です。
そして、この踊りが始まると亡父の霊がすぐに現れ彼女たちと一緒に踊り始めます。そして、その踊りが最高潮に達すると、亡父の霊は焚き火の中に吸い込まれて永遠に消滅してしまうのです。
つまりは火祭りの踊りは徐霊の儀式であり、それによってカンデラとカルメロはめでたく幸せに結ばれるのです。
確かに、バレエ音楽としてこの方がはるかに効果的です。
作品の構成は以下のようになっています。
- 序奏と情景
- 洞窟にて。夜
- 悩ましい愛の歌
- 登場
- 恐怖の踊り
- 魔法の輪(漁師の物語)
- 真夜中(呪文)
- 火祭りの踊り(悪霊を追い払うために)
- 情景
- きつね火の歌
- パントマイム
- 愛の戯れの踊り
- 終曲~夜明けの鐘
生命力の発露が聞くものを圧倒する
スペインはフランコ政権下のもとで世界から孤立していた時代だったためかアルヘンタの名前が広く知られるには随分と時間がかかったようです。しかしながら、結果として最晩年となった50年代を中心にDeccaが録音を残してくれたのは幸いでした。
ファリャの三角帽子の録音クレジットを見ると1958年録音となっています。彼が不慮の事故で亡くなったのは同年の1月21日のことですから、おそらくはこれが最後の録音だったのかもしれません。
ファリャという人は「スペイン風」の音楽がヨーロッパで流行する中で、スペイン人による本当の「スペインの音楽」を書こうという動きの旗手となった人物でした。確かにその背景には彼が音楽を本格的にな学んだパリの印象主義の影響は否定できませんが、それでも、あまり「お国もの」などと言う言葉は使いたくないのですが、そう言う既存のスタイルを打ち破るスペインらしい溢れるような熱気と活力が溢れている音楽を残しました。
そして、そう言うスペインの生命力を遺憾なく引き出したのがアルヘンタの三角帽子でした。
これもまた「お国もの」などと言う安易な言葉で括りたくないのですが、そこには唖然とするほどの生命力の発露が聞くものを圧倒します。そこには、かつての細部にこだわる口うるさいアルヘンタの姿は微塵も感じられません。
そう言えば、1957年の8月に同じくファリャの「恋は魔術師」を録音しているのですが、そこでは確かに口うるささは影をひそめていますが、この三角帽子ほどの突き抜けた境地にまでにはまだ少し距離があるようです。
おそらく、この半年の間において、音楽に宿る生命力みたいなものと真摯に向き合、本当に表現すべきものが何なのかをつかみ取ったのかもしれません。
とはいえ、あの口うるささがここまで解消していたのは嘉すべき事でした。
しかし、注意して欲しいのはアルヘンタという指揮者はそう言うお国ものを得意としただけの指揮者ではないと言うことです。
上で述べたのと同じような感慨を、57年11月に録音したシューベルトの「グレイト」においても感じとることが出来ます。そう言う意味では、彼は地方性などと言うものからは早くから抜け出していたのですが、そう言う普遍性という面においても大きな飛躍を最後の半年でつかみ取っていたことは間違いありません。
私自身もアルヘンタという名前に注意を向けるようになったのは最近のことなのですが、こういう演奏を聞けば聞くほどに無念と思わざるを得ません。