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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調, K.545(Mozart:Piano Sonata No.16(15) in C major, K.545)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1955年発行(Guiomar Novaes:Published in 1955)をダウンロード
- Mozart:Piano Sonata No.15 in C major, K.545 [1.Allegro]
- Mozart:Piano Sonata No.15 in C major, K.545 [2.Andante]
- Mozart:Piano Sonata No.15 in C major, K.545 [3.Rondo]
最後の4つのソナタ
モーツァルトが残した最後の4曲はそれぞれが独自の世界を形作っていて、何らかのグループにまとめることは不可能なようです。
ウィーンでの成功ははかなく消え去ろうとしていました。
生活の困窮によって家賃の高い家に住むことが難しくなったモーツァルト夫妻は頻繁に転居を繰り返すようになります。そして、フリーメーソンの友人であった裕福な商人、ミヒャエル・ブラベルグに泣きたくなるような借金の手紙を何通もしたためるようになります。
この時期にモーツァルトは3つのピアノ曲を書いています。
一つはピアノのためのアレグロとアンダンテK533で、これに旧作のロンドヘ長調K494をくっつけてピアノソナタに仕立て上げ、ホフマイスターから出版しています。言うまでもなく生活のために売り飛ばすのが目的でしたが、晩年のモーツァルトを代表するすぐれたピアノ曲に仕上がっています。
第1楽章は将来のジュピターシンフォニーにつながっていくような対位法の世界です。しかし、注目すべきは第2楽章に現れる強烈な不協和音です。まるで一瞬地獄の底をのぞき込むような音楽は、隣り合って作曲されたK540アダージョにも共通する特徴です。
このアダージョの方はどのような経緯で作曲されたのかは全く分かっていませんが、これこそは救いがたい悲劇性に貫かれた音楽となっています。アインシュタインはこのピアノのためのソロ音楽を「モーツァルトがかつて作曲したものうちでもっとも完璧で、感覚的で、もっとも慰めのないものの一つである。」と述べています。
そしてもう一つのピアノソナタ、K545はそれほど技量の優れない弟子たちのために書かれた音楽で、ピアノの前に縛り付けられた子どもたちがおそらくは200年以上にもわたって嫌々演奏してきた作品です。
しかし、この音楽にはモーツァルトのもっとも最上のものが詰め込まれています。極限にまでそぎ落とされながらもその音楽はモーツァルトらしいふくよかさを失なわず、光が飛び跳ねるような第1楽章から深い情感の込められた第2楽章、そして後期ロマン派のピアノ音楽を予想させるような第3楽章まで、いっさいの無駄をそぎ落として組み上げられたその音楽は一つの奇跡とも言えます。
そして、最後の二つのソナタです。
内田光子は1789年に作曲されたこの二つのソナタのことを「K457/K475のピアノの可能性を駆使しきった曲を忘れたかのごとくチェンバロの世界に戻る」と語っています。
モーツァルトはこの年に自らの苦境を脱するためにプロイセン王家を訪ねて就職の可能性を探ります。その旅の途中にライプティッヒを訪れてバッハの音楽に改めて大きな影響を受けています。
K570のソナタは「初心者のための小ソナタ」と題されているように技量に優れない弟子のために書かれたソナタと思われますが、対位法の産物とも言えるこの作品は左手で軽やかに伴奏をつけながら右手で歌わせるというのは決して易しくはありません。
これに続く、プロイセン王女のために書かれた最後のピアノソナタK576は易しいピアノソナタという注文にも関わらず、全く易しくない、それどころか彼のピアノソナタの中ではもっとも難しいだろうと思われる作品に仕上がっています。
アインシュタインは「フィナーレではプロイセンの王女のことは全く考えていない。・・・アダージョの深い憧れと慰めの中でも王女は考えていない」と述べ、この作品を「偉大な先駆者大バッハへの感謝としての創造物である」と断じています。
カラリとした空気感
ギオマール・ノヴァエスの存在を知ったのは1951年1月7日のニューヨークフィルの定期講演会のライブ録音によってでした。演奏したのはショパンのピアノ協奏曲第2番で指揮者はジョージ・セルでした。
セルという指揮者は協奏曲のソリストの選定に関しては極めて五月蝿い人で、とりわけピアニストに関しては自らも一流のピアニストだっただけにその先帝に関しては非常に厳しい指揮者でした。そして、調べてみれば、セルとのニューヨークフィル定期での協演はそれ以外に5回もあったようなのです。
- 1951年12月13日:モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」
- 1951年12月14日:モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」
- 1951年12月16日:ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
- 1952年12月20日:ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
- 1952年12月21日:ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
1951年1月7日のライブ録音に関してはすでに紹介してあります。それはセルを相手にしていると言うことを考えれば実に驚くべき演奏で、ノヴァエスはセルの支配下にはいることなく十分すぎるほどに自己主張を行っています。そして、その「凄さ」故に第1楽章が終わったあとに会場から思わず拍手がこぼれているのです。
しかし、その事をセルは決して苦々しくは思わなかったようで、率直に彼女の実力を認めたようです。そんな言葉がどこかに残っているというわけではないのですが、上で紹介したようにその後の5回の協演という事実が証明しています。
そして、ここで紹介しているモーツァルトはセルとのライブ録音ではないのですが、この力強さに溢れたピアニストがモーツァルトとどの様に向き合うのかいささか興味がひかれる録音ではあります。
言うまでもないことですが、モーツァルトのピアノ音楽を力強くガンガン鳴らせば、それは実に困ったことになります。
そう言えば、あのルービンシュタインは自分が演奏するピアノの音はすみずみまで聞こえなければいけないといってモーツァルトをガンガンならしまくった録音が存在します。レコード会社は編集で手直しが可能な分は可能な限り手直しをして発売したものの、どうにもこうにも編集のしようがない録音は最終的にお蔵入りになってしまったという逸話が残っています。
もちろん、セルとのショパンのように力強く、そして丹念に旋律線を浮かび上がらせるスタイルをそのままモーツァルトに採用は出来ないことはいうまでもありません。
おそらくノヴァエスにとってモーツァルトはそれほど相性の良い音楽ではないと思うだけに、そう言う「興味」はいささか悪趣味であるとは思うのですが、セルとのショパンがあまりにも凄かった故にお手並み拝見という思いがどうしても出てきてしまうのです。
しかし、聞いてみれば、若い頃に「神に愛でられたピアニスト」と言われただけのことはあって、リリー・クラウスを思わせるような力強さを保持しながらその歌わせ方は彼女ならではのニュアンスに満ちた微笑みに溢れています。そして、それはピアノ単独のソナタ作品よりも、オケと共同作業で作りあげる居箏曲の方がその美質がより強く出るようです。
「ジュノーム」にしてもニ短調のコンチェルトにしても、ロマン派好みの強い思い入れではなくて、どこかカラリとした空気感が聞き手に不要な緊張を求めないのは好感を持てます。
ただし、ソナタ作品に関してはもう少しモーツァルトらしい愛想があってもいいのにと思う場面もあります。しかし、彼女が残したソナタの演奏が悪いというわけではありません。
どれを取り上げても繊細でいながら確かな確信を持った響きで歯切れの良い音楽に仕上げています。
そう言えばあのショーンバーグが「彼女のように魅力的に繊細にしかも確かな指さばきで演奏するピアニストはいない。」と絶賛していましたね。
そう言えばこの時代のギーゼキングのモーツァルトのソナタも結構無愛想な感じがしたものです。
そう言う時代の精神みたいなものが背景にあったのかもしれません。