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ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調, Op.58(Chopin:Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58)
(P)ディヌ・リパッティ:1947年3月1日&4日録音(Dinu Lipatti:Recorded on March 1&4, 1947)をダウンロード
ショパンのピアノソナタ
ショパンのピアノソナタは3曲残されていますが、そのうちの第1番は10代後半の若書き作品です。
この若書きの作品はショパン自身が出版を希望したものの出版社からは無視されます。ところが、彼が名声を博するようになると今度は出版社がショパンに校正を依頼するのですが、今度はそれをショパンが拒否します。そんなこんなで、結局はショパンが亡くなってから「遺作」として出版されて、ようやくにして日の目を見ることになります。
この第1番のソナタには、ショパンらしい閃きよりは、彼が若い時代にいかに苦心惨憺してソナタ形式を身につけようとしたかという「努力」の後が刻み込まれています。それでも、第3楽章のラルゲットからは後のショパンのノクターンを思わせるような叙情性が姿を見せています。いかに習作といえども、やはりショパンはショパンなのです。
それに対して、残りの二つのソナタ、作品35の変ロ短調のソナタと作品58のロ短調ソナタは、疑いもなくショパンの全業績の中でも大きな輝きを放っています。
特に「葬送」というタイトルの付いた変ロ短調のソナタはショパンの作品の中でも最も広く人口に膾炙したものです。
この葬送ソナタは愛人サンドの故郷の館で作曲されたもので、ある意味ではこの二人の最も幸福な時代を反映した作品だともいえます。
この作品の中核をなすのは言うまでもなく、第3楽章の葬送行進曲です。この葬送行進曲は、このソナタが着想されるよりも前にできあがっていたもので、言葉をかえれば、変ロ短調のソナタはこの葬送行進曲を中核としてイメージをふくらませて完成されたといえます。そういう意味では、3つもしくは4つの楽章が緊密な関係性を保持して構築される一般的なソナタとはずいぶんと雰囲気の異なった作品になってしまっています。
そのあたりのことを、シューマンは「ショパンは彼の乱暴な息子たち4人を、ただ一緒にくくりつけた」と表現しています。
もちろん、シューマンはソナタの約束事に反していることを批判しているのではなくて、そういう古い約束事を打ち破って独創性に富んだ作品を生み出したショパンを評価しているのです。それは、有機的な統一感に欠けるという、この作品に寄せられた批判に対するシューマンらしい弁護の論だったのです。
それにしても、二人の最も幸福な時代に葬送行進曲を中核としたソナタを書くというのは何とも不思議な話です。しかし、ここでの「葬送」の対象は個人的なものではなく「祖国ポーランド」であることは明らかです。そう思えば、そういう大きなテーマに取り組むには「幸福」が必要だったと考えれば、それもまた納得できる話です。
そして、その葬送行進曲から5年後に作品58のロ短調ソナタが書かれます。
ショパンにとって宿痾の病だった結核はますます悪化し、さらに父の死というニュースは彼にさらなる打撃を与えます。しかし、そんなショパンのもとを姉夫婦が訪れることで彼は元気を回復し再び創作活動に取り組みます。この作品は、そんなつかの間の木漏れ日ような時期に生み出されたのです。
この作品の大きな特徴は、変ロ短調ソナタとは異なってソナタらしい有機的な統一感を感じ取ることができることです。しかし、音楽の規模はより大きく雄大なものになるのですが、しかしながら決してゴツゴツすることなく、その中にショパンらしい「美しさ」と「叙情性」がちりばめられています。
しかし、世間とは難しいもので、そのような伝統的なソナタ形式への接近ゆえに、リストなどは「霊感よりも努力の方が多く感ぜられる」と批判しています。
変ロ短調ソナタでは伝統からはずれることで有機的な統一性がないことを批判され、逆にロ短調ソナタでは有機的統一への接近故に霊感の欠如と批判されます。
やはり、ダンテが言うように「汝の道を歩め そして人々をして その語るに任せよ」ですね。
儚き美しさは唯一無二の存在
ディヌ・リパッティです。
その名前は喩えが古くて恐縮ですが、水戸黄門の印籠か遠山の金さんの桜吹雪ほどのブランド力があります。それ故に、とりわけ私のような馬齢を重ねたものにとっては、その名を聞くだけで「へへーっ!」とひれ伏してしまうのです。
でも、若い人にとってはどうなのでしょうね。「ディヌ・リパッティ」というブランドにどれほどの価値があるのでしょうか。
確かに、EMINの大物プロデューサーであったウォルター・レッグは彼に惚れ込んでいました。そして、その惚れ込み方は尋常なものではなく、大きな録音機材をスイスにまで運び込んでは、体調が安定する期間をねらって録音活動を続けたほどに惚れ込んでいました。
しかし、死後70年もたてばその存在はどの様に捉えられているのでしょうか。
確かに、このサイトのレイティングの第1位はリパッティが1950年に録音したバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」です。しかし、その支持層ってのはどのあたりなのでしょうかね。
年をとったものにとっては、若くしてこの世を去った人は時の流れの中で日々美しさを増していきます。逆にしぶとくこの世にしがみついて連中には日々鬱陶しさが増していくだけです。
年寄りにとっては、リパッティという存在にはそう言うバイアスがかかっていることは否定は出来ないでしょう。それだけに、そう言うバイアスのあまりかかっていない若い人たちはリパッティというピアニストをどの様に受け止めているのか居身があるのです。
しかし、それでもなお、彼の演奏は、とりわけショパン演奏においては20世紀におけるショパン演奏の一つの頂点であったことを私は否定できないのです。
例えば、1947年に録音されたソナタなどを聞けば、とりわけ最終楽章などを聞くとき、リパッティというのはただただ叙情だけの人でないことは良くわかります。そこでは、結構強めの打鍵が聞き取れますし、同時にある種の生命力に溢れた輝かしさを感じとることが出来ます。
その意味でいえば、ソナタだけに限らず、彼ははかなくピアノを歌い上げるだけの人でなかったことはしっかりと見ておく必要があります。
それでもなお、例えばピアノソナタの第3番などを聞くとき、どうしても心をわしづかみにされるのは第3楽章の繊細にして叙情性に溢れた音楽であることは正直に白状しなければいけません。
やはり、彼の演奏の真骨頂は美しさとともにどこか儚さの漂う「歌」であって、それを聴くときに、決してそれだけのピアニストではないことを承知しながらも、それでもこの儚き美しさは唯一無二の存在であること認めざるを得ないのです。
馬齢を重ねれば重ねるほど、その儚き美しさがこの上もなく尊く思えるのです。