クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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シューマン:子供の情景 Op.15~トロイメライ(Schumann:Kinderszenen, Op.15 No.7~Traumerei)


(1)(Cello)パブロ・カザルス:(P)チャールズ・アルバート・ベイカー 1915年4月14日録音(2)(Cello)パブロ・カザルス:(P)オットー・シュルホフ 1930年3月5日録音((1)Pablo Casals:(P)Charles AlbertRecorded on BakerApril 14, 1915(2)Pablo Casals:(P)Otto Schulhof Recorded on March 5, 1930)をダウンロード

  1. Schumann:Kinderszenen, Op.15 No.7~Traumerei
  2. Schumann:Kinderszenen, Op.15 No.7~Traumerei

シューマンの最高傑作の一つ



シューマンはこの作品を決して子ども向きの「軽い作品」として書いたのではありません。
それどころか、彼は「今僕は音楽いっぱいで張りさけそうな気がすることがよくあります」と手紙に綴った時期にこの作品を書いたのです。

実際、シューマン自身も「クライスレリアーナ」や「幻想曲」と並んぶ作品としてこの「子ども情景」を位置づけています。

それにしても、じっくりと聞いてみると、その限りないニュアンスの豊かさには驚かされます。

冒頭の「見知らぬ国から」では、6度上がって少しずつ降りてくるロマン派お約束の「憧れ」の音形に心をつかまれてしまいます。
それから、あまりにも有名な第7曲の「トロイメライ」、挙がって降りてくるだけの4小節で出来た旋律が8回繰り返されるだけの音楽。ところが、その一回一回が微妙にニュアンスが変化していつしか夢の中に誘われます。

同じ事が、第12曲の「子どもは眠る」にも言えます。うつらうつらとした短調の響きが一瞬ホ長調の明るさを経過して再び深い眠りの中に落ち込んでいく様の何と見事なことか!
そして、最後の13曲目「詩人は語る」でまさに眠りの中の子ども夢が語られていきます。そして、その夢もいつしか深い眠りの中にとけ込んでいきます。

ピアノという楽器で、これほども繊細なニュアンスが表現できることを初めて発見したのは、疑いもなくこのシューマンだったことをこの作品は私たちに確信させてくれます。


  1. 見知らぬ国と人々について Von fremden La"ndern und Menschen(ト長調)

  2. 不思議なお話 Kuriose Geschichte(ニ長調)

  3. 鬼ごっこ Hasche-Mann(ロ短調)

  4. おねだり Bittendes Kind(ニ長調)

  5. 十分に幸せ Glu"ckes genug(ニ長調)

  6. 重大な出来事 Wichtige Begebenheit(イ長調)

  7. トロイメライ(夢) Tra"umerei(ヘ長調)

  8. 暖炉のそばで Am Kamin(ヘ長調)

  9. 木馬の騎士 Ritter vom Steckenpferd(ヘ長調)

  10. むきになって Fast zu ernst(嬰ト短調)

  11. 怖がらせ Fu"rchtenmachen(ホ短調)

  12. 眠りに入る子供 Kind im Einschlummern(ホ短調)

  13. 詩人は語る Der Dichter spricht(ト長調)



なお、この中でも最も多くの人に親しまれていいるのが「トロイメライ」でアンコールピースとして良く演奏されますし、チェロなどピアノ以外の楽器でも演奏されています。


カザルスの古き響き


大阪狭山市でアナログレコードを聞き合う集まりが毎月開催されています。毎月、顔なじみとあれこれおしゃべりできる時間は本当に貴重です。もちろん、持ち寄ったアナログ・レコードを聞くのも楽しみですが・・・(^^;
その集まりで少し前の話なのですが、SP盤でカザルスの古い録音を聞く機会がありました。
これが、想像以上に素晴らしくて、帰ってきてから聞かずにしまい込んでいたカザルスのアコースティック・レコーディングの復刻盤CDを引っ張り出して来てあれこれと聞いてみる日々が続きました。

1910年代の録音は間違いなく機械吹き込みですが、音源のSP盤の状態が非常にいいのでしょう、実に魅力的な音楽を聞かせてくれました。SP盤も1925年以降は電気吹き込みに変わるのですが、明らかに音の雰囲気は変わります。機械吹き込みという極めて原意的な録音法が持つ実に不思議なえもいわれぬ魅力があります。

その後、20年代のものも聞き進めているのですが、カザルスの20年代の録音はほぼ全て25年以降のものです。
厳しい人によると、カザルスは20年代の中頃には衰えが出始めると指摘していますので、まさに機械吹き込みによる録音こそがカザルス最盛期の演奏といえるのかもしれません。
今から見ればまさに化石のような録音ですが聞く価値は十分にあると確信しました。

どこで聞いた話なのかは忘れてしまいましたが、さらに言えば今となってはそのはなしの真偽も定かではないのですが、カザルスは「楽譜に書かれていないように演奏することが大切だ」みたいな事を語っていたそうです。もちろん、私の全くの思い違いの可能性は高いです。
しかし、こういう1910年代の古い録音を聞いていると、もしもこの言葉が本当ならば、彼が言わんとしたことは分かるような気がします。

「楽譜通りに演奏しない」というのは決して恣意的なデフォルメを要求しているわけではありません。そうではなくて、楽譜通りに何も考えずに機械にのように演奏することを諫めているのです。
カザルスの本質は「歌う人」です。そして、「歌う」事の本質をその人生をかけて探求した人だとも言えます。

彼は晩年指揮活動も行うのですが、その指揮の技術はお世辞にも誉められるようなものではなかったようです。
ですから、彼はリハーサルで己の音楽美学をオケのメンバーに口移しのようにして伝えました。その時、彼が常に語ったのは「歌って、歌って、自然に、愛らしく」であり、経過句や音階をも歌うべきことを強調したそうです。そう言えば、あのトスカニーニも歌うことを常に要求し、休止符さえも歌えと言ったというのは有名な話です。

おそらく、ここで紹介している古い録音での歌い方は古色蒼然たるものと映るかもしれません。しかし、その古き響きによる歌い回しの何と魅力的なことか!

「音符を音にするのではない、音符の意味を表現するのだ!」

おそらく、この言葉の方が「楽譜に書かれていないように演奏することが大切だ」という刺激的な表現よりはカザルスの本質をあらわしているのかもしれません。
こんな化石のような録音は聞きたくもないという方もおられるでしょうが、まあ、騙されたと思って一度は聞いてみてください。電気吹き込みの録音もある作品については比較のために療法紹介しておきます。
まあ、週に一回くらいのペースで紹介していければと思います。