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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調, Op.104(Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104)


(Cell)ピエール・フルニエ:ラファエル・クーベリック指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1948年10月18日~19日録音(Pierre Fournier:(Con)Rafael Kubelik Philharmonia Orchestra October 18-19, 1948)をダウンロード

  1. Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [1.Adagio]
  2. Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [2.Adagio ma non troppo]
  3. Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [3.Finale. Allegro moderato]

チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。



この作品は今さら言うまでもなく、ドヴォルザークのアメリカ滞在時の作品であり、それはネイティブ・アメリカンズの音楽や黒人霊歌などに特徴的な5音音階の旋律法などによくあらわれています。しかし、それがただの異国趣味にとどまっていないのは、それらのアメリカ的な要素がドヴォルザークの故郷であるボヘミヤの音楽と見事に融合しているからです。
その事に関しては、芥川也寸志が「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っているのですが、まさに言い得て妙です。

そして、もう一つ指摘しておく必要があるのは、そう言うアメリカ的要素やボヘミヤ的要素はあくまでも「要素」であり、それらの民謡の旋律をそのまま使うというようなことは決してしていない事です。
この作品の主題がネイティブ・アメリカンズや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説が早い時期から囁かれていたのですが、その事はドヴォルザーク自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てた手紙の中で明確に否定しています。そしてし、そう言う民謡の旋律をそのまま拝借しなくても、この作品にはアメリカ民謡が持つ哀愁とボヘミヤ民謡が持つスラブ的な情熱が息づいているのです。

それから、もう一つ指摘しておかなければいけないのは、それまでは頑なに2管編成を守ってきたドヴォルザークが、この作品においては控えめながらもチューバなどの低音を補強する金管楽器を追加していることです。
その事によって、この協奏曲には今までにない柔らかくて充実したハーモニーを生み出すことに成功しているのです。


  1. 第1楽章[1.Adagio]:
    ヴァイオリン協奏曲ではかなり自由なスタイルをとっていたのですが、ここでは厳格なソナタ形式を採用しています。
    序奏はなく、冒頭からクラリネットがつぶやくように第1主題を奏します。やがて、ホルンが美しい第2主題を呈示し力を強めた音楽が次第にディミヌエンドすると、独奏チェロが朗々と登場してきます。
    その後、このチェロが第1主題をカデンツァ風に展開したり、第2主題を奏したり、さらにはアルペッジョになったりと多彩な姿で音楽を発展させていきます。
    さらに展開部にはいると、今度は2倍に伸ばされた第1主題を全く異なった表情で歌い、それをカデンツァ風に展開していきます。
    再現部では第2主題が再現されるのですが、独奏チェロもそれをすぐに引き継ぎます。やがて第1主題が総奏で力強くあらわれると独奏チェロはそれを発展させた、短いコーダで音楽は閉じられます。

  2. 第2楽章[2.Adagio ma non troppo]:
    メロディーメーカーとしてのドヴォルザークの資質と歌う楽器としてのチェロの特質が見事に結びついた美しい緩徐楽章です。オーボエとファゴットが牧歌的な旋律(第1主題)を歌い出すと、それをクラリネット、そして独奏チェロが引き継いでいきます。
    中間部では一転してティンパニーを伴う激しい楽想になるのですが、独奏チェロはすぐにほの暗い第2主題を歌い出します。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして op.82-1 (B.157-1)」によるものです。
    やがて3本のホルンが第1主題を再現すると第3部に入り、独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏して、短いコーダは消えるように静かに終わります。

  3. 第3楽章[3.Finale. Allegro moderato]:
    自由なロンド形式で書かれていて、黒人霊歌の旋律とボヘミヤの民族舞曲のリズムが巧みに用いられています。
    低弦楽器の保持音の上でホルンから始まって様々な楽器によってロンド主題が受け継がれていくのですが、それを独奏チェロが完全な形で力強く奏することで登場します。
    やがて、ややテンポを遅めたまどろむような主題や、モデラートによる民謡風の主題などがロンド形式に従って登場します。
    そして、最後に第1主題が心暖まる回想という風情で思い出されるのですが、そこからティンパニーのトレモロによって急激に速度と音量を増して全曲が閉じられます。





オケの濃厚な響きが魅力的です


フルニエによるドヴォルザークの協奏曲といえば、セル&ベルリンフィルによる録音が一番有名です。評論家の中でも。この録音をこの作品のベストワンに推す人もおおいようです。
しかし、調べてみると、フルニエは実に多くの機会にこの作品を録音しています。
まずはセッション録音なのですが有名なセル&ベルリンフィルの前には、クーベリック&ウィーンフィルという組み合わせで録音しています。(ここで紹介している録音です)ところが、さらに調べてみると、この両者はクーベリック&フィルハーモニア管弦楽団との組み合わせで、1948年にもセッション録音を行っているのです。同一の作品を、ひとりのソリストが10年たらずの間に3回もセッション録音するなどと言うのはかなり珍しいことだと思うのですが、しかし、落ち着いて考えてみると、チェロ協奏曲というジャンルで他にどんな作品があるのかを考えると、まあ仕方がないのか・・・とも納得してしまいます。
シューマン、エルガー、ハイドン・・・と指を折っていってもすぐにストップしてしまいます。少ーし考えて、サン=サーンス、ショスタコーヴィッチとあげていくと、あとはかなりマイナーな作品になってしまいます。つまり、普通のコンサートで取り上げることのできる作品となると、本当に数が少なく、よって需要のある有名なソリストとなると、短期間に何度もドヴォルザークを録音するということにならざるを得ないのです。

ちなみに、フルニエはこの3回のセッション録音を行った期間内に、以下のようなライブ録音が残されてCD化されているそうです。

 1956年 S=イッセルシュテット&北ドイツ放送響
 1959年 セバスチャン&チェコ・フィル(廃盤)
 1962年 シェルヘン&ルガーノ放送管(廃盤)
 1962年 セル&ケルン放送響

おそらく、録音として残っていない演奏はこれの何倍にも上るでしょうから、有名なチェリストならばそれこそ「うんざり」するほどドヴォルザークの協奏曲に付き合わなければいけないようです。
ただし、これらの一連の録音を聞いてみて決してルーティンに陥っていないことは立派なものだと思います。当たり前のことですが・・・。

この48年のフィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音は、54年のウィーンフィルとの録音と較べるとほとんど忘れ去られたような存在になっています。やはり、ウィーンフィルとの録音ではオケの濃厚な響きが魅力的で、フルニエのチェロも細身の音ながらしなやかによく歌っていて素晴らしいです。それ故に、英デッカのオリジナル盤LPは中古市場では数万円の値がつくそうです。
しかし、この48年の録音も、そう言う濃厚さを期待しなければ、フルニエらしい美音とフィルハーモニア管との響きは上手く調和していて、決して悪い演奏だとは思いません。こういう録音を残しておくことも大きな意味があると言えるでしょう。