クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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プロコフィエフ:交響曲第1番, Op.25「古典」(Prokofiev:Symphony No.1, Op.25 "Classical")


ウィリアム・スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1953年11月30日録音(William Steinberg:Pittsburgh Symphony Orchestra Recorded on November 30, 1953)をダウンロード

  1. Prokofiev:Symphony No.1, Op.25 "Classical" [1.Allegro]
  2. Prokofiev:Symphony No.1, Op.25 "Classical" [2.Intermezzo. Larghetto]
  3. Prokofiev:Symphony No.1, Op.25 "Classical" [3.Gavotte. Non troppo allegro]
  4. Prokofiev:Symphony No.1, Op.25 "Classical" [4.Finale. Molto vivace]

現在人が住んでいる古い町



プロコフィエフにとって「交響曲」というジャンルはそれほど大きな位置を占めていないように見えます。それは、彼が作曲家として活躍をはじめた20世紀という時代がすでに「交響曲の時代」ではなくなりつつあったからでしょう。
それ故に、プロコフィエフが初めて交響曲を手がけた時には、すでに「スキタイ組曲」や2つのピアノ協奏曲と一つのヴァイオリン協奏曲などを書き上げていました。

彼がようやくに交響曲を手がけたのは第1次世界大戦のさなかの1917年に始まったロシア革命が始まったときでした。彼は、その時寡婦の一人息子として徴兵を免除されてレニングラード近郊の田舎で作曲活動に取り組んでいました。そして、そこで、彼はピアノを使うことなしに交響曲を書くという試みに挑戦したのです。
そして、ピアノを使わないのであるならば、構成のしっかりとした古典的な雰囲気の交響曲の方が良いだろうと言うことで、ハイドンの技法を参考にしながらこの最初の交響曲を書き上げました。
プロコフィエフはこの作品のことを「ハイドンがもしも現在に生きていたら書いたであろう様な作品」だと述べています。

つまり、その試みが、この交響曲のタイトルである「古典」の所以でしょう。
しかしながら、一見すると極めてシンプルに見える作品なのですが、その響きや突然の転調などは明らかに20世紀的な感覚に貫かれています。つまりは、これはハイドンの偽作のように見せかけながら、その中にプロコフィエフらしい感覚がふんだんに盛り込まれているのです。そして、その際だった対比をより鮮明に浮かび上がらせるために、作品全体は故意的だと思えるほどに単純化されています。

そう言えばこの作品のことを「現在人が住んでいる古い町」と評した人がいましたが、実に上手いたとえです。
ただし、初演時には「スキタイ組曲」のような斬新で過激な音楽を期待していた多くの聴衆は当てが外れて戸惑ったようです。


完璧なオーケストラ・バランス


こういう一連のロシア音楽演奏を聞かされると、スタインバーグというのは実に不思議な指揮者だと思わざるを得ません。まあ、プロコフィエフの音楽を「ロシア音楽」という狭い括りの中に入れていいのかはいささか疑問は残りますが、でも根っこはロシアにあることは否定できないからまあいいでしょう。
おそらく、これほどスラブの重みというか、憂愁というか、そう言うものと縁遠い演奏は他には思い当たりません。もっとも、そう言う中にあってチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」のように「直線路などは存在しない」と言わんばかりの曲がりくねった演奏を展開したりするときもあるのですが、それでもその曲線路はスラブの憂愁とは異なります。

それ故にか、スタインバーグは「職人的指揮者」として認識され、手堅く作品をまとめるけれども聞くものの胸に迫ってくるものがないなどとも言われたりします。
しかし、こういうロシアの音楽をまとめて聞いてみると、「手堅い」という言葉ではすまされないほどに、オーケストラの響きが完璧にコントロールされていることに気づかされます。

録音がワンポイントからマルチになることによって、オーケストラの各楽器の音量バランスは録音が終わってからのエンジニアの仕事みたいな雰囲気が一般化しました。
考えてみればふざけた話で、その結果として録音と実演とでは随分と雰囲気が変わっていて、そのある意味での「雑さ」みたいなものを「ライブゆえの熱気」みたいな言葉に変換して恥じない指揮者も少なくないのは否定しようのない事実です。

それで思い出すのは、アンセルメとスイス・ロマンド管との演奏です。
アンセルメは非常に耳のいい指揮者で、オーケストラのバランスと言うことに関しては完璧にコントロールする能力を持っていました。ところが、初来日の時の演奏はそう言う録音で聞くことのできる演奏とはかけ離れものだったので、あの素晴らしい響きはDeccaの録音マジックだったと誤解されて一気にその評価を下げてしまいました。

しかしながら、来日公演がアンセルメにとっては亡くなる直前の最悪の状態での演奏であり、衰える前のアンセルメのバランス能力の高さにはDeccaのカルショーは太鼓判を押していました。ですから、そう言う前評判に惑わされることなく、衰えたアンセルメの実演に「駄目出し」をした当時の日本の聴衆の耳は確かだったと言えます。
ボロボロの演奏であるにもかかわらず、演奏家がビッグ・ネームであるがゆえに「ブラボー」を叫んでいる昨今の聴衆よりははるかに聞く耳を持っていたと言うことです。

そして、このスタインバーグもまた、オーケストラをコントロールしてバランスを保持するのは録音エンジニアではなくて指揮者の仕事であると確信していた一人だったのです。ただし、そのバランスが常に明るめの方向を向いているので、良く言えば明るく健康的、悪く言えば「脳天気なアメリカン・サウンド」という事にはなります。

しかし、暗い情念よりはどこか明るく爽やかな雰囲気でロシア音楽が完璧に鳴り響いているというのもまた一興ではないでしょうか。
そして、彼が率いたピッツバーグ響の事をアメリカの二流オーケストラという人もいるのですが、それもまたあまりにも聞く耳がないと言わざるを得ません。
何しろ、これは録音が終わってからエンジニアがいじり回してバランスをとったものではないのですから、その実力は素直に評価されるべきでしょう。